第十五話「書斎にて④」
「ば、バカなこと言ってんじゃないわよっ!」
リンクは大声で叫んだ。この声を聞いて誰かが来てしまうかもしれない――なんていう危機感を打ち消す程の激高なのだろう。
さっきからそれなりに大きい声も上げてはいるが、まだ人が近づいてくる気配はない。この場面を人に見られたくないのはヴァルナークも同じようだが、こいつも慌てる様子はない。邸内の他の人間はここから割と遠い所に居るようだというのは、ある程度正しい予測なのだろう。
「だ、誰があんたなんかに! 犯罪者なんかに! 人殺しなんかに! 謝るけわがないでしょう! 頭を下げるわけがないでしょう!」
「そうか、まあそれならそれで結構だが――」
ふふんと、失笑するような息を吐きながらヴァルナークは答える。
「だとしたら、この件は飲めんな。最初に言った通り、貴様らにはそれ相応の処分を下す」
私の背後、肩くらいの高さの本棚を挟んで背中合わせで立っているこの壮年の男は、あくまで落ち着いた声で言う。
一体、こいつの思考回路はどうなっているのだ?
汚れ仕事も認知の上でこなす手足が一人手に入るというのだから、こいつにとっても願ってもいない交換条件のはずだ。一人失ったタイミングでちょうど手に入るスペアなのだ。そんな言質一つで決裂するには惜しいだろうに。
もしかしてこいつには、相当な嗜虐趣味があるのだろうか?
他に何か、理にかなわない理由があるのか?
……いや、推測だが、私の乱暴な憶測に過ぎないが、恐らくこれはもっと根本的な話なんだろう。根源的なこいつの性格なのだろう。
つまりこいつは、傍から見る以上に『プライドが高い』のだ。
だから、先ほどから自分に対し敬意を表さないこの少女が許せないのだ。自分を見下し、上からものを言ってくる少女に我慢ならないのだ。何としても謝らせたいのだ。負けを認めさせたいのだ。
そしてプライドが高いからこその上昇志向なのだろう。だからこそ、この街で一番の権力を持つ『市議長』の席を取ったのだ。汚い手段を使ってでも、そこに居座っているのだ。そう考えれば、こいつのパーソナリティについても腑に落ちる。
……また話がややこしくなる。
売り言葉に買い言葉というか、この後のリンクの返答も大体読める。即ち――
「――勝手にすれば。こっちから頼んだ覚えはないわよ」
あくまで毅然とリンクは言う。
「処分なり何なり、やれるもんならやってみなさい。私は何としてでも必ず、あんたを引きずり落と――きゃっ」
ががん、と床が鳴る。何かが床に落ちたような音だ。
もしかしてアンディが何かしたのかと思っていると、
「やめとけ。いいから、ここは謝れ」
アンディが言う。さっきのは、リンクがアンディに床に引っ張られ、無理やり『謝罪の体勢』を取らされた音か。
「い、いい加減にしなさい!」
振り払うように、リンクが再度叫ぶ。
「さっきから勝手に話を進めて! 私は何も認めてないわよ!」
「だが、冷静に考えろ。落ち着いて、しっかりと考えてみろ。お前の今の大切なものは何だ? それを守る最善手は一体何だ?」
以前山小屋でそうしたように、アンディはリンクにゆっくりと言い聞かせる。
「今お前が大切にしなきゃならねえのは、お前のプライドでも、いなくなっちまったお前の弟でもねえ。今いるお前の家族だろう。息子がいなくなってふさぎ込んでるお前の父親、母親、祖父母だろう。その人たちをこの街からも追い出させるなんて、一番選んじゃいけねえ選択肢だろう。……それを、お前の謝罪一つで回避できるかもしれねえんだ。頼むから、言う通りに動いてくれ。なあ」
「でも、だ、だからって……」
さっきにも増して、リンクの声が震えている。
「だからって、何で私が謝らなきゃいけないのよ! 弟を殺された私が! 弟を殺したこいつに! 何で頭を下げなきゃいけないのよ! おかしいでしょ! 私は何も悪くないのに!」
「……悪いんだよ」
アンディは言った。
「ケンカを売る相手を間違えた俺たちが悪い。報復の手段を間違えた俺たちが悪い。このタイミングで作戦を決行した俺たちが悪い。背後に近づかれたのに気づけなかった俺たちが悪い。色々な事が悪かった。だから――謝るんだ」
アンディは静かに言い聞かせる。これはリンクに対しての言葉だが、しかし同時に聞いている私にもくるものがある。
……『俺たちが悪い』か。
そう言われると耳が痛い。こんなことになるのなら、私たちはリンクに協力などしなければよかった。マスターにちゃんと止めてもらっておけばよかった。あの時、門で追い返されていた方がよかった。ヒューミッドに負けて敗走していた方がまだよかった。
結果論でしかないが、結果として、恐らく最悪のシナリオを描いてしまったのだ。大いに反省がいる話だ。
「だ、だけど、けど」
リンクはさらに言い返す。しかし、口が頭と連動していない。気持ちをそのまま口にしているようだった。
「殺されたのよ! 家族を! 弟を! その犯人に頭を下げるなんて、バカらしいにもほどがある! こんなことして、スランに顔見せができないわ! そんなバカみたいなことするくらいなら、まだ死んだほ――んくっ」
リンクが苦しそうな声を上げた。どんな所作かは見えないが、どちらにしろ、力づくでアンディが止めたのだろう。その先を言わせないように。
「……あくまで俺の私見だがよ、この世にゃ、家族以上に大切にするべきものなんてねえだろ? 今この時を堪えないで、今いる家族まで壊れちまったら、それこそバカみてぇじゃねえか。後から考えりゃ確実に後悔する話じゃねえか。……まあこれは、今まで家族なんてもんが居たことがない、俺のやっかみも少なからずあるだろうが。……でもよ、客観的に見てもそうだろう? 今いる家族のために、今は堪えるときだろう。弟に顔見せできねえのは、判断を間違えた俺たちの責任だ。だから、今は堪えろ」
「でも、でも!」
リンクはなおも叫ぶ。
「許せない! 私は許せない! 弟は、スランは、私の目の前で撃たれたのよ! 殺されたのよ! あの瞬間! 何が起こったのかわからない顔で倒れて、そして最後に、お姉ちゃんて呟いて、私の方見て、そして、そ、そのま――」
リンクの声が途切れる。またアンディが止めたのかと思ったが、どうやら違うようだ。うっ、うっと嗚咽が聞こえてくる。
リンクはついに耐え切れなくなり――泣き出してしまったのだ。仇の前で。
考えなしに物事を決め、快活に笑う。また、意地を張りだすと相手が引くまで一向に譲らない。あるいは、戦闘となれば他に類を見ないほど相当な集中力を見せる。そんなリンク=ザックナーガの涙声をよもやこんな場所で聞くことになるとは。
その姿が視界に入らないだけまだマシだろうか。
私は深く息を吐いた。音をたてないように。そしてただじっと、次の動きを待つ。
数分なのか、もしくは十数分なのか、感覚ではわからなくなっていたが、リンクの嗚咽だけが続き――その間、ヴァルナークは何も言わなかった。少女の涙一つでは何も動かない。『そういう男』なのだろう――そしてようやく、ごそりと音がした。
床の軋む音。そして、落ち着いた布すれの音。
もしかして――と思った。
しかし、アンディが何も言わないことからも、想像はつく。リンクは姿勢を正しているのだ。膝を床に突き、手を床についているのだ。嗚咽の後のしゃっくりはまだ収まっていないようだが、懸命に言葉を発しようとしているようだった。
意を決するように、一時、部屋の中は無音になる。
静まり返る。
そしてリンクが息を吸い、吐く音がする。
絶望の末、覚悟を決めた瞬間。
家族のために、プライドを捨てた瞬間。
「ごめ――」
「――ぷぉっ?」
しかし、代わりに聞こえたのは、間の抜けたようなヴァルナークの声だった。
その理由は、言わずもがなだ――
――私が、背後に向かい、刀を突きたてたからだ。