第十四話「書斎にて③」
「ふははははは! 押し付けたとは人聞きが悪い」
ヴァルナークは高らかに笑った。
「そこに書いてあること、それらはすべてクーネが勝手にやったことだ。私には何ら関係ない。私のあずかり知らぬ話だ。……もっとも、やつが私に数十万ドルの借金をしていることは事実だがな」
「……白々しい」
先ほどのヴァルナークと同じセリフを今度はリンクが呟く。ぎりりと歯ぎしりする音が次いで聞こえてきた。
――つまり、恐らく、こういうことなのだろう。
今までヴァルナークが行ってきた違法行為の数々、それをすべて、秘書補佐であったクーネさんがやったことにさせたのだ(自首なのか通報なのかは新聞記事を読めていない私にはわからないが、『勝手にやったこと』と言っていることから、出頭をさせたのかもしれない)。クーネさんはこの二日ほど休んでおり、私はただの休暇だと聞かされていたが、実際はどこぞの警備隊に拘束されての欠勤だったのだろう。タイミングの悪い。せめて――
「――せめて、あと一週間早く行動を起こしてれば……」
まるでトレースしたかのように、私が思ったのとまったく同じ内容をリンクが呟いた。
しかし、これに対し、アンディは
「……まあ、実際俺らが早く行動を起こしてたとしても、色々状況は違っただろうし、今回みたいにちゃんと潜入できていたかわからねえけどな。それにそうなったらそうなったで、こいつは後追いでも同じ出頭をさせただろうよ。俺達の手が回る前に」
慰めなのかそれともただの事実を口にしただけなのか、アンディは遣る瀬のないことを言ってくる。
「……ってことはよ、さっき『そんなもの好きにすればいい』って言ってたのはつまり、この手帳もあんたを突き出す証拠にはならねえってことか?」
「調べればわかることだが、それは『クーネの手帳』だ」
ヴァルナークは自信のこもった声で答える。
クーネさんの手帳。つまり、クーネさんが『書いた』手帳ということか――なるほど。こいつは最初から、悪事の片棒をクーネさんにも担がせていたのか。手伝わせていたのか。最初から、最後には『こうする』つもりで。
ヴァルナークの抜け目のない手の回し用に、逆に感心してきたところで、
「オーケー、オーケー」
アンディが嘆息交じりに言った。
「わかった。状況はわかった。負け。俺たちの負けだ。任務失敗。納得しました。速やかに帰らせてもらおう」
「……帰れると思っているのか?」
「はん、そりゃ思ってるさ」
アンディは言い切った。
「こっちは丸腰、そっちは銃持ちだってのに、あんたは発砲もしなけりゃ、仲間も呼ぼうとしねえじゃねえか。……ようは、あんたもあんたで、無闇に事を荒立てたくないんだろう? 問題ごとを起こしたくないんだろう? 部下の不祥事が明るみになった『このタイミング』で」
アンディの推測。
これに対し、ヴァルナークは反応を返さない。……図星ということか?
「この手帳を手に取られる前ならば、俺たちを『ただの盗人』ってことで用心棒に処理させることができただろうが、ここまで内実に迫ってるやつが相手だと、近づかせたくないんだろう? 手を出させたくないんだろう? ただ金で雇ってるだけの部外者は。俺たちをこの場で殺すのも、ノーリスクってわけじゃねえだろうし。……法廷なりで俺たちに何を言われたところで、最終、勝つ自信はあるんだろうが、ゴタつく可能性は拭いきれない。疑いが最後まで残ってしまうのは本意ではない。せっかく、身を綺麗にするためのスケープゴートを差し出したってのに。だからあんたは、この場をできるだけ自分一人で片づけたいんだろう。……くはは。慎重というか、小心者というか。そんなだからこそ、市議長にまでなれたってことかね?」
「あくまで『この場』での話だ」
ヴァルナークは強気に言い返してくる。
「貴様らの顔は覚えた。今後一切、アステルで――いや、私の目が届く場所で――生きていけると思うな」
それは覚悟の上だ――と、アンディは答えた。
まあ正直なところ、独り者のアンディはともかく、家族と暮らしているリンクの方には不安が残ってしまうだろう。たとえリンクが街に戻らなかったとしても、似顔絵でも配られたら、特定されるのも時間の問題だ。リンクの家族に何かしらの報復がいってしまう可能性も高い。そうなる前に手を打つ必要がある。……案としては、例えば、リンクが自殺したと偽装させるとか、か?
とすとすと足音が聞こえる。アンディが窓の方へ近づいて行っているようだ。とにかくこの場を離れようということなのだろう。
私は心内でため息を漏らす――何にせよ、二人がこの場から出ていければ、結果的には『何も問題はない』はずだろう。恐らく。
そんな安堵感を覚えたところで、不意にヴァルナークが言った。
「――そっちの女、見覚えがあるな」
ぴたりとアンディの足音が止まる。
嫌な空気が流れる。嫌な予感がする。そして、
「――貴様、もしかして、この前のパレードでおっ死んだガキの家族か?」
突如、がんっと床を蹴る音がした。しかし直後に、ばちんと、勢いよく体を掴む音が聞こえる――怒り任せに飛び出そうとしたリンクを、アンディが慌てて掴んだのだろうか?
「ふははは、そういうことか!」
合点がいったように、ヴァルナークが笑う。
……予測の範囲なら、ごまかす方法もあったかもしれない。煙に巻けたかもしれない。が、今のリンクのリアクションが『証明』になってしまっただろう。今言ったことが事実だと。
「ふはははははは! なんだ、ツテだ任務だと吹いていたが、お前ら、ただの単なる、ガキのくだらん復讐か! どうりで考えなしなわけだ。ふはははは! 必要以上に警戒して損をしたな。ふははははは!」
「……スランは『死んだ』んじゃない。殺されたのよ! あんたに!」
「それこそ言い掛かりもいいところだ」
笑い過ぎて苦しそうにしながら、ヴァルナークは答えた。
「パレード中は静粛にするよう前もって伝えていたにも関わらず、走り回るそのガキが悪い。ルールを守らんからそうなる。……ったく、おかけで減給、降格を食らった警備隊が不憫でならん」
みしりと床がきしんだ。リンクが食い掛ろうとしたのを、アンディが再び止めたのだろう。
「まあ、それなら話は早い。貴様の身は割れている。家族もろとも排除してやる。街からも、国からも、な。私に歯向かっておいて、安寧に暮らしていけると思うなよ。ふははははははは!」
不気味なほど声が弾んでいる。すべて自分の思い通りになると理解し、良い気になっているのだろう。これが、日頃街角で市民の幸せだなんだと言って回っている男の声とは思えない。二枚舌としても、あまりに過ぎる。胸焼けがしてくる。
――と、とすんという音が聞こえた。
そして、
「わかった」
と、アンディのやたらと落ち着いた声が聞こえてくる――声の聞こえてくる高さが、さっきより低い。床に座ったのだろうか?
「悪かった。俺たちが悪かった。許してくれ」
急に、意趣を返したようにアンディが謝罪を口にする。
「ガキが。ここまでのことをしておいて、謝るだけで済むと思っているのか? 大人を舐めるな」
「ただとは言わない。代わりといっちゃなんだが――俺があんたの下につく」
「…………はぁ?」
素っ頓狂な声を上げたのはリンクだ。
しかしアンディはそれに構わず、言葉を続ける。
「俺が、これからずっと、あんたの下で働く。あんたの命令通りに動く。捕まった秘書の代わりになってもいい。汚い仕事も引き受ける。だから、許してくれ」
「……許して、私にどうしろと言う?」
「こいつと、こいつの家族を見逃してくれ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!」
リンクが叫んだ。
「な、何勝手に話進めてんのよ! わけわかんないこと言わないでよ! あんたがこいつの仕事を手伝う? じょ、冗談じゃないわよ! あんた、わかってんのっ! こいつがやってるのは、全部犯罪なのよ、犯罪! 汚職と呼ばれるすべてのものよ! それに、いつか人殺しだってさせられるかもしれない! 誰かを殺せと言われるかもしれない! そして最後には、今回の秘書とおんなじように捨てられるだけよ! 罪を着せられて捨てられるのよ!」
リンクはもはや周囲などお構いなしに、感情のまま叫び続ける。
「おまけに、こいつがそんな信用できると思う? そんな口約束をちゃんと守ると思ってんの? あんたが汚れ仕事をさせられて、こっちの約束を守らなかったら、私たちはただ利用されただけで、馬鹿を見ることになるのよ! わかってんのっ! わかって言ってんのっ!」
ひとしきり叫び終え、ふっふっというリンクの荒い息だけが室内に響く。
このリンクの言葉を受け――アンディは無言だった。
この無言は、反論できない――というよりは、他に良い手があるなら言ってみろと言外に言っているようだった。
「……もういい」
たたんと、踵を返す音が聞こえる。
「勝手にすればいい。私は帰らせてもらうし、あんたに感謝なんてしないわ」
すたすたと窓へ向かっていく足音。さっきよりいくらか軽い、リンクの足音だ。
……リンクは帰り、アンディはここに残る。そういう状況になるのか?
私は一体どう動くのがベターなのだろう。ベストなのだろう。とりあえず、アンディがヴァルナークから離れるまでは待ってみるか?
と、そんなことを考えるていると――
「待て」
ヴァルナークがリンクを呼び止めた。そして、
「私はまだその条件を飲むとは言ってない」
脅迫するような声で言う。
リンクもアンディも無言になる。
再度、部屋の空気が張り詰めた。しかし――
「――が、ガキにしてはなかなかの好条件だ。いいだろう。飲んでやってもいい」
「……あっそ、どうぞご自由に」
「だが、一つ残っているだろう」
「……何? こっちにはもう言うことはないわ」
「あるだろうが」
ヴァルナークは低い声で言った。
「女、私の邸宅に不法侵入しておいて――――『貴様』の謝罪を聞いていないぞ?」
「――……は?」