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第十三話「書斎にて②」

 カーテンが開け放された大きな窓。そこから覗く月の明かりに、スーツ姿のアンディとリンクが照らされている。そして本棚を背に立っている白髭の男――ヴァルナーク市長――が二人に対峙している。右手に銃を構えて。

 私が入ってきたことには、ヴァルナークも――そしてアンディとリンクも――気づいていない様子だ。本棚のせいで部屋の入り口が死角になっていたのだろう。もしくは、目の前の相手にお互い集中しきっているため、私の気配にまで注意を払えていないのも、もしかしたらあるのかもしれない。

 私は三人の視界に入らないよう注意しながら、ヴァルナークの背後の本棚の裏手に回り込んだ。

 本棚を挟み、市長と背中合わせになる位置――万が一の場合は、私がヴァルナークを取り押さえて無力化しなければならない。二人が逃げる手助けをしなければならない。そのための場所移動だ。

 しかし当然、一番望ましいのは、私が出るまでもなく二人が逃げ切ることだ。その方がことを荒立てずに状況を解決できるし、二人が逃げた後で、私は私で個人的な『用事』を済ませることができる。

 何にせよ、私としては判断のタイミングを見極めなければならない。まずは状況の詳細を掴もうと、改めて三人の会話に耳を傾けた。


「――しっかし、驚いたぜ。まさかいつも椅子でふんぞり返ってるだけの市長サマが、あいつの言うところの『できる』側のヤツだったとはな。くはは。注意はしてたつもりだったんだが、二人して簡単に背後を取られちまった」

「『あいつ』というのが誰のことなのかは計りかねるが――」


 アンディの言葉に、ヴァルナークは演説でいつも聞くような落ち着いた物言いで答える。


「しかし市長というのは、ただの詭弁者には務まらない職業だ。自分の身は自分で守らなければならない。悲しいかな、日頃から危険にさらされる、極めて困難な職務なのだ」

「……それは、あんたがそれだけのことをしているからでしょ」


 リンクから突き刺すような声が飛ぶ。

 しかしヴァルナークはそれに動じるような気配もなく、


「ふん、盗人猛々しいとは、まさにこのような時に使う言葉なのだろうな。人の家に不法侵入しておいて、人を一方的に避難してくるとは。ろくな育ち方をしていないガキと見える」

「あ、あんたにだけはそんなこと言われたくは――」

「まーまー、落ち着け」


 感情が高ぶってきたリンクの言葉をアンディが遮った。


「戦利品を頂戴する前に見つかったんじゃタダ働きもいいとこだが、見つかったもんはしゃーない。市長サマがなかなか達者だとわかっただけでもいい勉強になったろう? とりあえず、今回はずらかろうぜ。金持ちってのは、世の中にまだごまんといるもんだ」

「……ふん」


 リンクは押し黙った――なるほど、あくまで自分たちは金銭目的の空き巣だという体でやりすごすつもりなのか。アンディのアドリブだろう。


「そいじゃ、俺たちは失礼しますよ。良い夜を――」

「――待て」


 急に、ヴァルナークが二人を呼び止めた。演説などではおおよそ聞いたことのない、低い声だった。


「そこの女、上着の内側に隠しているものはなんだ」

「……なんのことよ」

「白々しい。先ほどから直立の姿勢を崩さないようにしている。そして手で上着を抑えている――そこに何か隠しているのだろう。出せ」


 ヴァルナークは強い口調で迫る。

 数秒の沈黙の後、はあ、というリンクの短いため息が聞こえた。そして、


「これのこと?」


 と、服から何かを取り出すような音が聞こえる。


「別に、なんだかそこの棚に大事そうにしまってあったから、とりあえず拾っただけよ。別にこんなぺらぺらの手帳が一つなくなったところで、あんたにダメージがあるとも――」

「やはりな」


 リンクの声にかぶせるように、ヴァルナークが言う。


「三文芝居で強盗の体をとろうとしていたようだが、貴様らの本当の狙いは、金などではなく、私だ。私の権力だ。私の議員生命を潰せるような何かがないかと、ここに侵入してきたのだろう。でなければ、そんな手帳に手を伸ばすのに説明がつかん」


 ヴァルナークは語気を強め、断言した。

 室内は無音になった――あくまでシラを通すか、もしくは認めた上で次の段階に進むのか。二人の判断を待っていると、


「……そこまで理解しているなら話は早いわ」


 リンクは肯定した。


「あんたの言う通りよ。そして、この手帳にはあんたの非公開の活動での『収支』が記されていた。賄賂、密輸、その他諸々の収入、支出、そして利益。残念だけれど、これは力づくで持ち帰らせてもらう。そして、あんたの議員生命は今日をもって終わりよ。お疲れ様」

「ふん、まあいい。持っていきたくば、そんなもの好きにすればいい」

「随分と強気ね。……もしかして、国の上層部にでも手を回して、この内容をもみ消すつもりなのかしら? そうするなら、まあ、勝手にすればいいけれど、私たちにも私たちなりのツテっていうのは――」

「貴様ら、今日の夕刊は読んだか?」


 ヴァルナークがいきなりの質問をしてくる。……夕刊? どんな話題の転換なのだろうか?


「……読んでるわけないでしょ」

「だろうな」


 ヴァルナークが言うと同時、ばさりと紙が床に落ちたような音がした。……新聞だろうか?


「読むがいい」

「……何よ、こんな時に」

「まーまー、折角のご厚意だ。拝見させてもらおうぜ」


 アンディはなだめるように言う。次いで、がさりと新聞を掴む音が聞こえる。


「暗くてよく見えねーが、ええと、なんだ。『市長の秘書補佐、クーネ氏が――』」


 一通り読み上げてくれると思いきや、アンディは急に押し黙ってしまった。続きが聞こえてこない。……記事に見入っているのだろうか?

 一体どんな内容なのだろうかと、段々と気になってきたところで――


「――チッ、どこまでも汚ねえな」


 吐き捨てるようにアンディは呟いた。


「な、なによ、一体。何が書いて――」

「読んでみろ」


 くしゃりと、新聞を渡す音が聞こえてくる。そしてまた、しばしの沈黙。恐らく今度は、リンクが記事に目を通しているのだろう。

 どうにももどかしい。文章を読み上げてくれでもしないと、私には話が見えてこない。ちんぷんかんぷんだ。せめてできることと言えば、読んだ後の三人の会話から類推することくらいだ。

 聞き漏らさないようにと、さっき以上に集中して三人の会話に耳を傾けた――が、結果それは徒労に終わった。

 直後、リンクがわかりやすく声に上げてくれた。

 怨嗟のこもった声で。


「――押し付けたのね。あんたの悪事を全部。あんたの秘書に!」

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