第十一話「市議長別邸にて④」
「……ほう」
ヒューミッドは左手で顎をつまみ、感心したような顔で私の手元を見てきた。
「自分の愛用品を運び込んでいたのか。準備がいいではないか。感心、感心」
心底感心したように、うんうんと二回頷く。そして再度サーベルを鞘から抜き、笑みと共に私を見据えてくる。
「正直に言えば、三人の中では、一番お前には期待していなかったのだがな。最初、庭師の連中の中に『できる』側のお前がいるのを見た時、少しは意外に思ったものだが、まあこれくらいの奴らならいるだろうと。普通にいるだろうと。そういう評価をしていた。だからこそ、この三日間――四日間か? ――貴様に構うこともなかったわけだが」
「今回も構わないでもらえたらありがたいのですが」
「むはははは! そこまで準備をしておいて、今更気のない振りをするな。貴様の実力というのを存分に見せてみろ」
肩を揺らし、尊大に笑うヒューミッド。
私は腰を低くし、呼吸を整え、刀を構えた――できれば、初撃で決めてしまいたい。実力が上の相手であるなら、長引くほどその差が広がっていく。取り返しがつかなくなっていく。彼がこちらの『手の内』を知らない一手目が勝負だ。一手目で、最低限、こいつがあの二人を追えなくなるだけのダメージを負わせておきたい。……いや、負わせなければならない。
私は小さく息を吐いた。そして意を決し――前へ踏み出す。
できうる限りの最速で床を蹴っていく。そして最後の一歩を大きく踏み込み、眼前のにやけ面に対して居合切りを見舞おうと、鞘から刀を引き抜き始める。
――その瞬間、ヒューミッドの顔が強張った。
サーベルでもって受けようとしていたヒューミッドは瞬時に体勢を変え、背面へ跳ぶ。
私はさらにもう一歩踏み込み、追うように跳んだ。そしてその勢いの中、すかさず抜刀する。
ヒューミッドの回避速度と私の間合い、この勝負は――ヒューミッドのサーベルを鞘ごと真っ二つにし、ヒューミッドのシャツを刈り取るだけで終わった。
着地後、私はなおも攻撃を加えようと構えた。が、ヒューミッドは後方に大きく跳び、私と距離を取る。そしてふっふと息を上げながら、見開いた眼で私が握る刀の『黒い刀身』を見てくる。
からんからんと、サーベルと鞘の『切れ端』が床に落ちる。しかしそれに視線を投げることもなく、
「む……むは……むははははははははは!」
驚き、焦燥の混じった表情のまま、ヒューミッドは大声で笑い出した。
「むはは! むははははははははははははは!」
まずい、この声を聴いて誰かが来てしまうかもしれない――と一瞬焦ったが、音はだいぶ反響している。倉庫だけあって、壁は固く厚いのだろう。一応は大丈夫だろうか。
「むは、むははは! どういうことだ! 一体どういうことだ! なぜ貴様が『黒石』の刀なぞを持っている!」
「……私の勝手でしょう」
私は構えを解かないまま、冷たくあしらうように答える。
私の回答に苦笑を浮かべたヒューミッドは、ふるふると首を横に振った。
「いやいや、そう簡単なことではないだろう。それは市場にほとんど出回らない貴重な『石』だ。一度も目にしたことがないという人間も数多くいる至極希少なものだ。おまけに特性が『分断』という、武器の材料とするに最適なもの。どんな業種であれ、戦いに身を置く者はみな欲しがる素材だ。そんな『黒石』の刀をなぜ貴様のような若造が持っている?」
「私の勝手でしょう」
私は再度答える。
「私の個人的な理由であり、今回の潜入にはまったく関係のない話です。話す意味のないことですよ」
「……まばたきが増えたな」
ヒューミッドはにやりと笑った。
「嘘か? 今の発言、嘘が混じっているな? ……どの部分が嘘だ? 『今回の潜入にはまったく関係のない話』のところか?」
「……カマをかけるのはやめて頂きたい」
ふう、と私は嘆息する。
「それより、この状況はよろしいのですか? 武器は真っ二つにされ、一対一。貴方に勝ち筋があるとは思いませんが」
「むはは。気を遣ってもらって悪いがな。これはこれで楽しませてもらおう」
言いながら、ヒューミッドは握っていたサーベルと鞘のもう一方の『切れ端』を両脇に放り投げた。そしてシャツの中に手を入れ、ごそりと重量感のあるものを抜き取る――銃だ。銀色に輝く小銃だった。
ヒューミッドは慣れた手つきでカチンと安全装置を解除する。そして呟くように、
「しかし、我の目的が変わったな。貴様をのした暁には、ぜひその刀は貰って帰りたいものだ」
「できるものなら、と言わせてもらいましょうか」
私は間を置かず、あくまで不遜に言い返す――しかし、言葉と裏腹に、私はいくらか焦っていた。
眼前で堂々と銃を抜かせてしまった。武器を取らせてしまった。おまけにそれが、屋内では対処しづらい中距離型の武器だ。どうしたってやりづらい相手になってしまう。
正直、あれだけ器用に立ち回っていて、まさか服の内側に重量物を隠しているとは思っていなかった。たかをくくっていた。……こいつは一体どんなレベルの使い手なのだ。
率直に言って、やりにくい、やり合いたくない得物だ。しかし、二人を逃がしてからまだ数分しか経っていない。十分な時間を稼いだとは言えない。せめてあと五分、六分……。何とかこいつをここに留まらせたい。
ヒューミッドは銃口をまっすぐに私に向けてくる。
私は集中し、その先端、そして指の動きをじっと見つめた。
一時、倉庫の中が静寂に包まれる。壁掛け時計の秒針の音だけが響く。カチカチと、カウントダウンのように等間隔で歯車音が聞こえてくる。
私はいくらか前屈みになり、左右どちらにも跳べる体勢をとる。その体勢のまま、ヒューミッドを見据える。そして、足先に痺れを感じ始めたその時、
「むはは、さあ、楽しもうぞ」
ヒューミッドが言い放った。
私は即座に右に跳ぶ。
パン、という銃声。そして私の後方でカツンと甲高い音が鳴り響く。
私は足を止めることなくさらに跳んでいく――ヒューミッドの指の動きに合わせ、次々に銃声が響いていく。その音は想定していたよりやや軽い。そして、弾道はうっすらと紫色に見える。
「……『紫石』の弾ですか」
弾道をかわし続けながら、私は呟いた。
なおも引き金を引き続けるヒューミッドは、
「貴様、目がいいな。むはははは。ご名答だ」
と、銃声の反響音の中で笑う。
「この銃には『紫石』を加工した弾を詰めている。元は石だからな、弾速は遅いし、骨を砕くほどの威力もない。しかし反動が少なく、連射が効く。さらに、『紫石』の特性は『神経毒』だ。急所に当たらずとも、敵の戦力を割くことが可能だ」
「……丁寧な解説、痛み入ります」
私自身、普段は『紫石』のナイフを使っている。言われずともわかっている話だ。
「ほれ、どうした。避けるばかりでは、我には勝てんぞ」
ほれほれと、跳び続ける私を見下ろすヒューミッド。……安い挑発だ。
拳銃相手ならば、その残弾がなくなるまでかわすのがセオリー。弾切れになった後、確実に仕留めればいい話だ。しかし――
「むははは!」
ヒューミッドはなおも打ち続けている。もう二十発以上放っているが、次の弾倉を準備する素振りも見せない。……その銃には一体どれだけの弾が込められているんだ?
ヒューミッドが手にしている『石』用の拳銃、その基本的な構造からして、通常の銃とは違うのか? 装填数も違うというのか? さすがに無限というわけもないだろうが……。
棚を蹴り、横に跳び、二十七発目をかわそうとしたところで、
「……っ」
ふくらはぎに熱い痛みが走った。見ると、ズボンの裾に焦げ付いた穴が開いている。弾がかすめていた。かわしきれていなかった。
――集中が切れてきている。
ヒューミッドは一か所に立ち、ひたすら引き金を引き続けるのみ。それに対し、私は右へ左へと飛び跳ね続けている。消耗は段違いだ。
しかも、私の動きはある程度予測されている。近づく隙が見いだせない。
――このままではじり貧。そろそろ賭けに出ないと。
三十発目をかわし、私はヒューミッドの真正面に着地した。
ヒューミッドは当然のようにまっすぐ私に銃口を向けてくる。反射的に横へ逃れようとしたのをこらえ、私は前に駆けだした。
一瞬虚を突かれた顔になったヒューミッドだったが、間髪入れず引き金を引いた。
私は瞬時に、黒い刀を自分の顔の前に出す――ヒューミッドは私の眉間を狙うはず。『黒石』ならば、弾を消し飛ばせる。そういう賭けだった。
パン、という銃声と同時、私の右頬に痛みが走る。しかし意識が飛ぶほどではなかった。
私は構わず前へ飛び、ヒューミッドが次の引き金を引く前に、
「……決めます」
刀を横なぎに振った。
殺った――と思ったが、見るとヒューミッドは五体満足で後方に跳んでいた。右の頬に切り傷を作っているだけだった。
しかし、私はヒューミッドの右手に向かい、続けざまもう一撃を見舞った。その腕を刈り取ることは叶わなかったが、握っていた銃をぱっくりと割ることには成功した。
「……おのれ」
着地と同時、ヒューミッドはスクラップと化した銃を床に投げつけた。そして血のにじんでいる右頬の傷を指でなぞる。
「……いいだろう。今回、貴様という『黒石』の刀使いに出会えたことが収穫だ。この地で生きていれば、いずれまた会うこともあるだろう。今回のこれは、その時までの貸しにしておいてやる」
後方に大きく跳ぶと、ヒューミッドは後ろ手に裏口の扉を開けた。そして私に恨めしそうに一瞥をくれると、そのまま外に飛び出していった。
私は慌ててその後を追う。
日も沈み、真っ暗になった邸宅の庭。塀に沿って並ぶ雑木林。
ヒューミッドの姿は、もうどこにも見えなかった。