プロローグ
本作は「闇鳥のトビカタ」の番外編となっておりますが、当作品を未読でも楽しんでいただけるよう気をつけております。
私の名前はラキ=アーシム。
来月に二十四歳になる、ごくごく普通で一般的な男である。
どれくらい一般的かと言えば、生まれて五度目の七夕にて、短冊に「しょうらい、いつぱんじんになれますように」なんていう、何とも味気ない願い事を書いていたくらいの凡庸さ加減であり、我ながら何でこんな面白みのないくだらない人間に生まれてしまったのかと――あるいは、育ってしまったのかと――ほとほと毎日後悔を極めている程だ。
私が有する唯一の趣味ですら、植物観賞という、至って地味で珍しくもないもの(……まあ、私自身としてはおもしろいことこの上ないのだが)。私のどの部分を切り取ってみたところで、どこにもここにも〈一般性〉からかけ離れている部分なんて存在しないのである。
とは言っても、どんな矮小な人間にだって、少なからず『得意分野』というのはあるものだ。
もちろんその特技が一般人を逸脱するほど秀逸ならば、私はわざわざ自分を『一般人』などと称したりはしない。私の特技など、ほんのわずか、よくよく目を凝らして見てみればなるほど確かにその通りだとようやくわかる程度の、極めて微小で微細な優越具合なのである。『特技』などと呼ぶことすらおこがましいのかもしれない。胸を張って人に誇れるほどのものではないのである。
まあ、今更隠すようなものでもないし、単刀直入に言ってしまえば、私の特技というのはすなわち、他の一般大衆よりも少しばかり――
――『人殺し』が、早くて、上手い。
つまりはそれだけだ。
たったそれだけのことだ。
たいした自慢にもならない。胸を張ってみたところで、周囲から後ろ指を差され、何だその程度かとケラケラ笑われるのが目に見えている。なんせ、私より上手な人などこの世にはごまんと存在するのだ。現に、私の伯父も伯母も私なんかより数段腕利きだった。そろそろ全盛期という時節に入りそうな現在の私でさえ、お二人の足元に及んだという感覚はまったく有していない。私だって私なりに一生懸命鍛錬を積んだはずなのに……、と自己嫌悪に陥ってしまいそうな今日この頃である。
私は、いつ、あのお二人に近づけるのだろうか?
一体何をどうしたら、近づけるのだろうか?
今から十年前――すなわち十三歳の頃に、私は実の両親を亡くしている。仕事中の〈事故〉で、ぽっくりと、あっさりと。だから、これから大人になるという時期だったにも関わらずあまりにも唐突に人生の手本を失ったその頃の私は、急遽、人生の指針をそのお二人に移した――――移さざるを得なかった。
思想、信条、悩んだ時の模索方法、解決方法、それらすべてにおいて、私はお二人を手本にした。そのおかげで(もちろん、両親が健在だったとしてもそこまで変わらなかったとも思うが)、後ろ向きになることなく、根暗になることなく、グレることなく、道を踏み外すことなく、私はこうやって『人殺し』として生きている。生きることができている。感謝してもしきれない。私ごときに何ができるのかたかが知れているが、それでもこの残りの人生をすべてお二人への恩返しに充ててもいいとすら思っている。
だからだ。
だから、お二人が『仕事の都合』で家を出なければならなくなった時――そして、お二人のまだ九歳の息子を家に残さなければならなかった時――すなわち、その息子(いわゆる、私の従弟)の養育を私に任された時、私はとても嬉しかった。
やっと、二人に報いることができるチャンスが来た。
当時十六歳の子供でしかなかった私だったが、それでも子供ながら、喜び勇んでその子の面倒を見るようになった。
その子は、ダルクという。
私にとって従弟というか、もはや直接の弟にも等しい存在である。これまでの半生を同じ場所、同じ時間で過ごしてきた。彼の食事も洗濯も掃除もすべて私が面倒を見てきたし、ダルクがちゃんと理性的な人間に育つよう教育してきたのも私だし、それなりの手ほどきもしてきた。町内の子供会の遠足でも毎年一緒に山登りしたものだし、クリスマスも一緒に手を繋いで教会へ行ったものだし、誕生日はケーキとダルクの写真を毎年欠かさず撮ってアルバムに綴じてある。
いわば、私ができるすべてのことをこの子のためにしてきた。
残念ながら、現在の私はまったくもって好ましくないごたごたに巻き込まれた揚句、ダルクと一緒に暮らすことができなくなっている――――しかしそれでも、私の生きる一番の楽しみはやはり、この子の成長を見守ることである。
彼は現在、ギルドの賞金稼ぎとして働いている。
風の噂に聞いたところ、どうやら彼は『道』の分岐点に立っているところらしく、色々悩みも抱えているようである。そんな大切な時期に傍にいてやれないのは悔しいものだけれど、何のアドバイスも与えてあげられないのは腹立たしいものだけれど、まあ、ダルクももはやただの子供という年でもない。
ちゃんと自分で考えて、選んでいけるだろう。
だから私は、静かに見守ろうと心に決めている。私は彼に何も強制したりしない。背中は押すけれど、何も決めたりはしない。ただ傍から、そっと見守るだけだ。その迷いながら歩いていく後姿を。
そしてそんなあの子の様子を見ていると、思い出す。
思わず、思い返してしまう。
私にもそんな時代があった、と。
まあ、私だって社会的に見ればまだまだ若造の範疇だ。言うほど昔のことでもないが、それでもあれから随分と時が経った気がする。あれは、いつのことだっただろうか? ……
――そう、確か、今から七年前の春だった。