友人が死んだ、ただそれだけの話。
人はいつか必ず死ぬ。だからこそ後悔しないよう生きよう。
このような言葉は創作の世界で度々目にする。少なくとも私はそうだ。しかし、その意味を私はあまり実感できていなかった。
最近、私が通っていた学校の先生から一通のメッセージが届いた。
ここでは友人のことを仮にFさんと呼ぶことにする。
内容はこうだった。
Fさんが2週間ほど前に倒れ、治療を続けていたものの亡くなられたこと。そして数日後に葬儀が行われること。
私はそのメッセージを見て困惑した。同級生だった彼が卒業から半年で亡くなるなど信じられなかったからだ。数ヶ月前に会った際も元気そうだった。あまりにも若すぎる死だった。
最初は冗談ではないかと思った。
しかし、冗談にしてはあまりにも悪質だ。事実であることは明白だった。
幸いにも葬儀の日は仕事が休みだった。当然、参列するための準備を進めた。
今はインターネットの時代である。親族への挨拶、持ち物、服装など必要なことはすぐに調べられた。遠くの人とも簡単に連絡が取れる。便利な時代だと思った。
葬式当日、私は一時間ほど前に会場に到着した。特にやることもなく、椅子に座って待っていた。
その間、棺桶を運ぶ人の後ろを、遺族らしき人たちが静かに歩いていく姿を見た。その光景を見て、ようやく自分が斎場にいるのだという実感がわいた。
会場にはFさんの親族、職場の方々、学校の先生、同級生、そして昔からの友人たちが集まっていた。
平日にもかかわらず多くの人が集まったのは、Fさんの人柄ゆえだろうと思った。
棺の中のFさんを見たとき、失礼ながら蝋人形のようだと思った。合宿で見た寝顔とはあまりにも違っていたからだ。その姿を見て初めて、彼が本当に亡くなったのだと受け入れることができた。
もちろん悲しかった。
だが、涙は出なかった。
一緒に授業を受けたこと、授業の復習をしたこと、ゲームの話で盛り上がったこと、食事をしたこと。でも、涙は流れなかった。我ながら薄情なものだと思った。
そうして最後の別れを告げ、私は斎場を後にした。
その時の記憶は曖昧である。
Fさんが次の世界で元気に過ごしてほしいと願ったこと。
お世話になったことへの感謝を親族の方々に伝えたこと。
覚えているのはそれくらいだ。
もう少し話をしたかった。
こんなにも早く亡くなるとは思わなかった。
そんなありふれたことを考えていた。
今回の件から私が得るべき教訓は後悔しないように生きることだ。
ありきたりな結論かもしれない。
だが、かつては実感できなかったその言葉が、今は少しだけ理解できる気がする。




