【短編】病弱な妹がある日別人になりました
「私って誰からも愛されていないんだわ」
それがフィリスの五歳下の妹サレナの口癖だった。
可哀想な娘だと思う。
生まれた時から体が弱く成人まで生きられないだろうと言われている。
少し歩くだけでも顔色が悪くなるから最早ベッドが体の一部のようだ。
けれど、愛されてないというのは違うと思う。
姉妹は男爵家に生まれたが、だがそこまで裕福では無かった。
いや、過ぎた贅沢をしなければ貧しさなど生涯感じなかった筈だ。
実際幼い頃のフィリスは季節ごとに新しいドレスを手に入れていた。
でも徐々にドレスを新調する機会は無くなり、成長が止まった数年前からはゼロだ。
けれどベッドに横たわるサレナは沢山のネグリジェを持ち、何ヶ月も被りなしで身に纏っている。
月に三枚新品を与えられているのだ。
フィリスはそんな妹が飽きた上等なネグリジェをほどいてサイズが合うように繕って身につけている。
ドレスと寝具では価格が違う。そんなことは知っている。
寝ているばかりの病弱な妹の気持ちが新品の綺麗なネグリジェで癒されるならそれもいいと思う。
でも。
「お母様は私のお見舞いにちっとも来て下さらない。私なんて死ねばいいと思っているのね」
「……それは違うわ」
寧ろ姉妹の母は健康なフィリスより病弱なサレナのことをずっと気にかけていた。
自分が体の弱い子に産んでしまったという罪悪感に苦しみ続けていた。
だから少しでも長くサレナを生かそうと外国から名医を呼び、高価な薬を買い漁り、奇跡を起こすという宗教にまで喜捨していた。
そしてとうとう自分の寿命と引き換えにサレナの病気を治せるという妄想に取りつかれ自傷を行った。
結果父によって母は現在使用人の見張り付きで隔離されている。
母が数日前からサレナの部屋に来なくなった理由はそれだ。
そのことをやんわりとだが妹にも伝えた筈だった。
「お母様は貴方の為なら死んでも構わないと仰ったわ」
「それは私という失敗作を生み出した罪悪感からでしょ、愛では無いわ」
つんとサレナは澄ました顔で言う。その白い頬を引っぱたきたくなるのをフィリスは耐えた。
「ならそう思えばいいわ……」
「酷い、お姉さまも私を見捨てるのね。私はこんなに可哀想なのに」
「……違うわ」
「皆私なんて死ねばいいと思ってる、誰も私を愛したりしない、私はいらない子だから」
可哀想な娘なのだ。幼く何も知らないし、病は心さえ疲れさせる。
だから仕方ないのだ。そして健康な自分は恵まれているのだ。フィリスは心の中でそう繰り返す。
(でも、本当にそうかしら)
サレナの多額の医療費と娯楽費の為にフィリスは二十歳年上の伯爵家の後妻にならなければいけない。
まだ本決まりでは無い。父母から話を持ち掛けられただけだ。
そういう話が来ていると。強制する気は無いと。
(でも私が頷かなければこの家は終わってしまうのでしょう)
十歳まで生きられるか分からないと言われたサレナはもう十四歳だ。
両親が必死に生かそうとした結果だ。
けれど彼女が生き続ける限り莫大な出費が家から出て行く。
(それなのに、貴方は愛されてないと泣くのね)
フィリスは自分が病弱な妹に食い潰される為に生まれた餌のように思えた。
■■■
「お姉様、お見舞いに来てくれてありがとう!」
ニコニコとサレナが可憐な笑みを浮かべる。
毎日見ている顔が別人のように思えた。
いや、実際別人なのだろう。どういう理屈かはわからないけれど。
だって彼女は普段嫌いだと言って残している果物を美味しそうに味わっていた。
体に良いからとわざわざ母親が大金と引き換え取り寄せている高級品だ。
「それ、美味しい?」
「ええとても美味しいわ!」
「……貴方は誰?」
機嫌良く答える妹の姿をした娘にフィリスは静かに尋ねる。
一瞬表情を強張らせた彼女はそれでも再び笑顔を作った。
「誰って……貴方の妹よ」
「サレナはありがとうなんて言わないわ」
「えっ……」
唖然とした顔になる。
その顔が幼く善良に見えてフィリスは軽く笑った。
礼を言った事の無い人間がいるというのは彼女にとっても非常識らしい。
「貴方は悪魔か何かで、妹を殺して成りすましているわけではないのよね?」
「そんなことしない!」
「じゃあ貴方はどうして妹の姿なの?」
「それは……」
妹の姿をした見知らぬ少女は気まずそうに話し始める。
彼女の正体は浮浪児で、少し前に流行り病で亡くなったそうだ。
「薬どころか食べ物もまともな寝床も無かった、ずっと苦しくて寂しくて、寒くて、だから数日で死ねて逆に良かったかも」
そう少女は笑う。フィリスは胸が痛んだ。
「それで自分の死体から出て来てふわふわ浮かんでたら綺麗な服を着た女の子がこのお屋敷から出て行くのが見えたんだよ」
「それって……サレナ?」
フィリスが尋ねるとサレナの姿をした娘は頷いた。
「多分そう。近づいて話しかけようとしたら汚いって私を見て叫んで遠くに行っちゃった。だから私はあの娘が出て来た場所が気になって……」
「この屋敷に入って、この寝室で亡くなっているサレナの体に入った?」
「お人形みたいに綺麗だから、少し触りたかっただけで……まさか生き返れるとは思わなかったの」
ごめんなさい。申し訳なさそうに娘は言うがフィリスは責める気になれなかった。
そんなことより自分の妹が亡くなったのに悲しみの気持ちがわいてこない自分の心に戸惑っていた。
「……だったらこれからは貴方がサレナとして暮すと良いわ。お母様はあの子が亡くなったならショックで悲しまれるでしょうから」
「有難う、でも……」
「でも?」
「多分私もそこまで長く生きていられない。この体がもう駄目なんだと思う」
少しだけ寂しそうに笑う娘に何故か心が痛む。
妹の死には微かな安堵さえ覚えたのに。
「でも貴方、あんなに元気そうだったのに」
「あれは浮かれてただけ、綺麗な服に立派なお食事、柔らかなベッドなんて天国みたいだから。体が痛くて苦しいのはいつもだったし」
「そう……なら貴方が亡くなるまで毎日美味しいものを用意してあげる、欲しい物も出来る限り用意してあげるわ」
「嬉しい、でも何でそこまで優しくしてくれるの? 私は貴方の妹の体を乗っ取ったのに」
不思議そうに言う少女にフィリスは微笑んだ。
「その代わり、一つだけお願いがあるの」
■■■
それから二週間後、フィリスの妹のサレナの葬儀が行われた。
父も母も顔を涙で濡らし、フィリスの目も赤くなっていた。
サレナの姿をした浮浪者の少女は二週間病弱な貴族令嬢としての生を全力で謳歌した。
どんどん衰弱し苦しむ中でも自分は幸せだと笑い、フィリスが連れて来た母に抱き着き私は愛されて幸せだったと告げた。
父にも同じように感謝を告げた。
フィリスは毎日彼女の元を訪れ、本を読み聞かせてあげたり、髪を梳いたり可愛らしく結ってあげた。
その度に少女は夢みたいだと幸せそうに溜息を吐いた。
「わたしを、あいしてくれて、ありがとう」
ある雨の日、家族が見守る中サレナはそう呟いて静かに目を閉じた。その唇は淡い笑みが最期まで浮かんでいた。
そして今喪服に身を包んだ両親はサレナの死を嘆き悲しんでいる。フィリスだって胸が張り裂けそうだ。
名前も知らぬ彼女は既にフィリスの中では掛け替えのない妹だった。
(なのに名前だけは教えてくれなかったわね)
本物のサレナに申し訳ないと言って。
フィリスがそんな彼女に頼んだ願いは一つ。
本当の妹の代わりに言葉で母親を労わってくれという内容だった。
でもきっと頼まなくても彼女はそうしていた。
不幸で貧しい生まれの娘は小さなことの一つ一つに感動し感謝していた。
『でもね、本物のサレナだって悪い子じゃなかったと思うよ』
『家族に全力で愛されることが当たり前で、体が苦しいのも当たり前で、だから色々嫌になっちゃったんだと思う』
『多分助けてって言ったら貴方たちが助けてくれるのが当たり前だから、助けてほしかったんだね』
『もし私が死んだ後、近くに居たら一緒に空の上に連れて行ってあげたい』
二度目の死を受け入れる準備をした彼女はそうフィリスに告げた。
今、妹の死に号泣している母はそれでもいつか立ち直れるだろう。
そうフィリスは思う。
だって母の部屋は、妹の病気が悪化する前のような品の良さに戻っていたのだから。
何よりも彼女は今まで尽くして来た愛娘に感謝と許しを与えられたのだ。
それが本物の娘の魂でなくても。
母が祈り続けた神が存在するのなら、あの名も無き少女の魂こそが母に与えられた救いだった。
「フィリス……色々済まなかったな」
「お父様」
「二人で話してお前の縁談の話は断った。金が必要なら私たちで用意するべきだったんだ」
謝罪はしたが自分たちのことは許さなくていい。
そう告げる父親にフィリスは穏やかに首を振った。
皆、妹の病に追い詰められて平静ではいられなかった。
母も父もフィリスも、そして本当のサレナも。
そう考えられるようになったのは、名前すら知らぬ少女が時間を与えてくれたからだ。
フィリスはサレナの体が眠る墓に二種類の花を供えた。
本当のサレナと、サレナの代わりをしてくれた少女への献花だ。
雲一つない空にフィリスは妹たちの姿を探したが遠くに虹が見えるだけだった。




