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第8夜 灯火の唄

いつもは和やかに談笑しているエステル、ミナ、タラの3人も、この日はいつになく真剣な表情で意見を交わしていた。


<ミルラの清め>が終わる頃、候補者全員が一堂に会する宴が催される予定だった。その宴では各々が芸を披露することになっており、候補者を絞る試験も兼ねているのではないかと噂されていた。


舞踊を始めたばかりのエステルとミナが並ぶとその技量の差が明らかになってしまう。しかし、リュートならエステルも義父から教わっており、多少は弾ける自信があった。


そこで、3人はエステルとタラのリュートによる二重奏に合わせて、ミナが踊るという構成で臨むことに決めていた。今日は宴を翌日に控えた最終調整の練習をしていたのだ。


「心配だから、もう一度お願いしていい」とエステルが2人にお願いする。

「じゃあ、エステル様、このあたりからでいいですか」とタラが軽く奏でて箇所を伝える。

「お願い」


こうして、陽が傾くまで練習した3人は充足感に包まれた面持ちで、椅子に身を横たえた。


「ここまで練習しましたし、きっと大丈夫だと思います」


タラがエステルを励ますように声をかける。


エステルが笑みを向けると、視界の端で、ミナが立ち上がるのが見えた。


タラがエステルを励ますように声をかける。エステルが笑みを返すと、視界の端でミナが立ち上がるのが見えた。


「食べ過ぎじゃない?」


笑いながらエステルは、机に置かれた焼き菓子に手を伸ばそうとしたミナをからかう。


その瞬間――。


ミナの動きが、一瞬ふわりと乱れた。足がもつれ、彼女の手が思わず机に立てかけてあったリュートに伸びる。


パキン――。


鋭い音が室内に響き渡る。エステルのリュートの表板に、明らかなひびが走ったのだ。


一瞬、静寂が満ちる中、ミナはリュートから手を放し、崩れ落ちるように座り込んだ。唖然とするタラとミナの視線が交わるが、何も言葉が出ない。


エステルの胸に、ひやりとした感覚が広がる。


――壊れた。


エステルの頭の中で、その事実がゆっくりと染み込んでいく。それでも、エステルは動揺を抑えるように努めながら、優しく声をかけた。 


「ミナ、ケガはない?」


ミナが震える手で自分の足を確認し、小さく首を振る。それを見て、ほっと胸をなでおろす。幸い、挫いた様子はない。


壊れたリュートを見て頭が真っ白になりそうになる――。


指で弦を弾いたときの響き、タラと奏でた二重奏の余韻――。すべてが、ひとつの音と共に断たれた。


冷たくなる指先を握り締め、無理に呼吸を整えようとする。


――これで、宴で失敗しても仕方ない理由ができた。


ほんの一瞬、心のどこかで安堵した自分もいた。どこかで、少しだけ期待していたのかもしれない。


この宴で失敗すれば、後宮を追い出されるかもしれない。そうしたら、すべてから解放される。後宮の気苦労も、皇帝の目も、未来への不安も――。


エステルは、うずくまるミナの姿を見下ろした。ミナの肩は小さく震えていた。


震えるミナを見下ろしながら、エステルは唇を噛んだ。


――誰かのせいにしていいんだろうか。


それを言い訳にすることはできる。でも、そうしてしまえば、この先ずっと何かのせいにして生きることになる気がした。


その瞬間、エステルはようやく「決断」というものがどういうものかを理解した気がした。エステル自身、否応なしに今回の宴への期待は感じていた。エステルの今後は、エステルに仕える女官たちの今後にも直結する。


――わたしだけの問題じゃない。


しばらく泣きそうになっているミナとタラを茫然と見ていたエステルであったが、混乱を振り払うように頭を振った。考えるより、動くことが必要だった。


「シーリンのところへ行きましょう」


エステルの言葉に、ミナとタラが揃って「え?」と戸惑いの声をあげる。


ふたりの当惑を横目に、エステルは迷わず扉に向かう。


「リュートがダメなら、唄を考えてみましょう」


振り返りざまにそう言い、エステルはためらうことなく取っ手に手をかける。


エステル自身、特技だと言い切れるほどの絶対的な自信があるわけではないけれど、唄うことは好きだったし、周りの人たちに褒められたこともあった。


どうせなら――。今できることをしよう。


_________________________


「詩を書くのを手伝ってほしい……?」


レイラの声が、戸惑いを隠しきれずにかすかに揺れる。


「そうです。本当に申し訳ありません。わたしが転んで、リュートを壊してしまったのです……」


思わず出そうになる戸惑いの声を飲み込み、ミナはエステルの方を見た。普段であれば、失態を犯した女官は女官長に叱責される程度で済む。だが、今回ばかりは違う。


今回のミナの失態は取り返しがつかなかった。特に、貴族の出ではなく商家の生まれであるミナには、酌量の余地がない。最悪の場合、鞭打ちの罰さえ覚悟しなければならない状況だった。


そんなミナをエステルは躊躇なく庇ったのである。皇妃候補であるエステルも、この失態で立場が揺らぐのは明白。それでも庇う姿を目の当たりにしたミナは、胸が締めつけられるようだった。


今回の宴はロザナやシーリン、ナヴァズといった旧ワシュティ派閥に属していた女官たちにとっては、特に非常に重要な場である。新たな皇妃候補であるエステルの評価を高め、後宮内での影響力を取り戻すための正念場だった。

そんな重圧の中での失態――。


「そこで、リュートの二重奏の代わりに、わたしが歌おうと思うのです。音階はタラが作曲してくれたものをそのまま使って、そこに詩をつける形にします。そうすれば、舞も演奏も変える必要はありません」


エステルの説明は落ち着いていたが、その中に少し震えが感じられた。


レイラが困惑した表情を浮かべながら、承諾すると、「とりあえず女官長たちには報告させてください」と言い、4人で女官長たちのところへと向かっていった。


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