第2夜 時を知っている知者
「時を知る知者たちよ。我が皇妃の愚行をどのように裁くべきか」
皇帝クセルクセスの声が響く。赤らめた顔で凄むその姿は、地獄と天国の狭間に立ち、人々を右と左に振り分ける裁きの者のようだった。だが、その裁きは酒に酔った勢いによるものでしかない。
皇帝の前に召されたのは、ペルシア帝国の中枢を担う七貴族の当主たちであり、帝国を代表する重臣たち。しかし、今この場では帝国の威信を賭けたギリシア遠征ではなく、皇帝の痴話喧嘩のために呼ばれた哀れな男たちだった。
メムカンはちらりと周囲を見渡した。他の大臣たちは皆一様に押し黙っている。下手なことを言えば酔った皇帝の機嫌を損ね、命を失う可能性があることを誰もが理解しているのだ。
正念場だった――。
メムカンは目を伏せながら、眉間にしわが寄っていくのを感じる。ワシュティを擁護すれば、皇帝の怒りが爆発してその場で首をはねられかねない。かといって、皇妃を強く非難すれば、酔いが覚めた後にどんな報復を受けるかわからない。
ワシュティは人望に厚く、クセルクセスの遊び場である後宮を取りまとめでもあり、何よりクセルクセスのお気に入りだ。
どうして戦時にこんなくだらないことで悩まなければならないのだと、メムカンは忌々しく思いつつも、一世一代の大博打を目の前に悩んでいた。
酔った勢いとはいえ、目の上のこぶであった後宮勢力を削ぎ、他の大臣たちよりもさらに一歩上へと進むことができる好機。
賭け金は自分の命ではあるが、賭けるだけの価値はあるのではないか。それに<彼の方>の目を欺くことはできない。この手を動かさねば、いずれ命を賭ける場すら失うだろう。ワシュティの勢力を削ぐ機会をみすみす見逃したと知れたら、どうなるだろうか――。
「みなの者、答えよ」
不機嫌そうに皇帝が言葉を投げる。声が落ちると同時に、室内に緊張が走った。その瞬間、メムカンは決意を固める。
「恐れながら、皇帝陛下、皇妃ワシュティはただ陛下に向かって悪い事をしただけではありません。皇妃の行いは、すべての大臣、そして陛下の統治下にあるすべての民に向かってしたことなのです」
静まり返った部屋に、メムカンの言葉が響く。
ざわめきが湧き上がり、大臣たちは動揺を隠せない。視線が一斉にメムカンに集中した。
「どういう意味だ、メムカン」
「はっ、陛下。皇妃の行為はあまねくすべての女性に知れ渡り、ついに彼女たちは夫に従わず、それは大臣の夫人たちにも影響を及ぼし、同じような精神があちらこちらで火を吹くこととなります」
「メムカン、そのようなことは――」
異議を唱えようとした他の大臣の言葉を、皇帝の怒声が遮った。
「我は口を開いていいとは言ってはおらぬ。その口二度と開けなくするぞ! メムカン、続けよ」
ぐるりと大臣たちの顔を見渡し、場の流れを完全に掌握したことを確認すると、メムカンは心の中でほくそ笑む。
「もし陛下が良しとされるのであれば、ワシュティ妃は再び陛下の前に出ることを禁じるという命令を下し、これを帝国の法律に加えてください。そして、皇妃の座を彼女に勝る者に与えるのです。この命令が全国に伝えられた時、取るに足らないような男にも女性たちは敬意を示すでしょう」
言葉が終わると、室内は再び静まり返った。メムカンの放った「取るに足らない」という言葉が一瞬場を凍らせたが、皇帝はその意味には気づかないようだった。
メムカンの法案が採用されるのであれば、ワシュティは廃妃とされ、加えて、ワシュティに同調していた後宮勢力の力も大きく削がれることになるのである。
帝国ペルシアの法律は不変である。これは、皇帝であっても覆せない絶対の掟であった。
「ふむ、この件、我は良い案に思えるが、他の大臣はどう思う」
皇帝の言葉に、大臣たちはしどろもどろになりながらも、次々とメムカンの案に賛同する。自身が怒りの矛先になることを恐れた大臣たちは、ワシュティ皇妃を切り捨てる選択を取るしかなかった。
しかし、それは皇帝を諫め、女性たちを庇護する唯一の存在をも失わせる結果となった――。
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時が経ち、頭が冷めてくると、クセルクセスの思考は徐々に明晰さを取り戻した。しかし、明晰さが訪れるたびに彼を苛むのは、皇妃ワシュティを手放した代償の重さだった。
慎み深さ、聡明さ、そして誰もが認める美しさ――それらを失った喪失感が、じわじわと心を蝕み始めていた。
だが、彼自身の命令によって、ワシュティはすでにペルシアの絶対的な法に縛られていた。その事実は覆しようもなく、後悔に身を委ねる余裕すら与えられなかった。目の前には、自らが作り出した虚無をどう埋めるかという課題だけが重くのしかかっていた。
皇帝の内心の混乱を察したように侍臣たちは、その隙間を埋める提案を持ちかけた。
「美しい若い処女たちを陛下のために尋ね求めましょう」
侍臣たちの提案は、彼の内なる空虚を埋めるかのように響いた。帝国中から最も美しい女性たちを集め、皇妃の座を新たに与える――。
それは単なる慰め以上に、皇帝の権威を再構築する象徴的な行為でもあり、皇帝の失意と怒りを逸らす巧妙な策略でもあった。
皇帝はその提案を心地よく思い、すぐさま実行を命じた。ペルシア帝国の隅々まで役人が派遣され、美貌と若さを兼ね備えた女性たちが首都スサへ送られる手筈が整えられた。
一方、この命令は帝国内の多くの家庭にとって青天の霹靂だった。愛する娘を無条件に王宮へ差し出さなければならないという現実は、家族にとって想像を絶する試練であった。だが、王命には逆らえない――。
こうして、王宮の扉は静かに、しかし無慈悲に開かれ、多くの人生が急転直下を迎えた。
その中にひときわ目を引く少女がいた。彼女の名はエステル――。
孤児となり、養父モルデカイの愛情のもと育てられた彼女は、美しさと愛らしさを兼ね備え、控えめながらも自然と人々を引きつける存在だった。その魅力は、役人たちの目に留まり、他の多くの女性たちと共に、運命の渦中へと押し出されることとなる。
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*このシリーズは新解釈の聖書物語です! さまざまな聖書注解書や歴史的背景、また原語的なニュアンスなどを参考にしていますが、多分に筆者の解釈や脚色が入っております。




