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第13夜 鋭き瞳と青い房

ハタクは後宮の静かな中庭を抜け出し、<王の門>へと向かう道を一歩ずつ進んでいた。街と王宮を繋ぐ唯一の通路であるその門は、単なる建造物ではなく、王者たる帝国の威容を誇っていた。


街から王宮を訪れる者は、その巨大さに圧倒される。特に人間の顔を持ち、翼を広げた牡牛の巨像は、神々しくも畏怖を与える存在であった。


ハタクが歩み寄るにつれ、その門の巨大な輪郭が薄明の中に浮かび上がる。高くそびえる4つの塔が建物を縁取り、約12メートルに及ぶ柱が通路の両側に立ち並ぶ。石畳の道がしんと静まり返る中、ハタクの足音だけが微かに響く。


通路を抜けると、千歩を超える広がりを持つような広大な空間が眼前に広がる。赤く染まった夕陽が差し込み、柱の間に長い影を落としている。ハタクはその空間の静寂と威厳に身を引き締めた。


<王の門>の中心部には、王宮内の行政を司る監査官たちの執務室が並んでいる。周囲は規律正しい静けさに包まれ、行き交う者たちは皆、一様に無駄のない動きで自らの任務を遂行していた。その一角、磨かれた石壁に囲まれた部屋の前に、モルデカイの名を記した木製の小さな銘板が掛けられている。


エステルやハタク、フェリザ、ロザナといった面々で、エステルの身辺の調整だけでなく、王宮内での支持基盤を形成するための方策を練っている中、エステルの口から不意にモルデカイの名が挙がった。


聞けば、彼はヘガイの推薦を受けて、後宮調統補佐官から王宮監査官<王の目>に昇進した文官だという。エステルは彼の協力が必要だと断言した。 


エステルが王宮内の政治事情に通じていることは、三人にとって意外だった。ただ、現状を思えば、ヘガイの派閥に属しているモルデカイの助力は不可欠で、良い提案に思えた。


皇妃といえども、エステルの立場は盤石ではなく、二回目の皇妃候補者選定が進む中で、他の後宮の勢力との均衡を保つことが目下の課題である。


特に、後宮から少し離れた離宮に住んでおり、不気味なまでに沈黙を守る<彼の方>の動向も気にかかった。

軽く息を吐き出すと、ハタクは一瞬だけ辺りを見回した後、扉を軽く叩き、中に足を踏み入れる。


_________________________


「いや――、会いたかったんだよ」


大柄な体格ながら、どこか人懐っこい笑みを浮かべる男。その目は過労の影響か赤く濁っているが、白髪交じりの髪は整えられ、官服もきちんと手入れされている。


立ち上がった男は、一歩二歩とハタクに近づき、そのたびに官服の裾につけられた規定外の青々とした糸で縫われた房が控えめに揺れていた。


「モルデカイ監査官、お目にかかれて光栄です。突然の訪問で失礼しました」

「いやいや、気にしなくていい」


モルデカイは軽く手を振ると、ハタクを椅子に促し、さっそくエステルの近況について尋ね始めた。用件だけはあらかじめ、すでにエステルの支持をしてくれているヘガイを通して伝えていたが、ここまで前のめりであったとは思わなかった。


エステルの普段の様子など、やや本題とも違う話も聞かれたが、詳細に彼女の置かれている状況を把握して、自分にできる最善策を探しているようにも見えた。


「じゃあ、エステル妃の直属の女官たちだけで、まわるように細かな手続きや必要な物品の購入については、後宮調統官を通さずとも、ハタク殿のところから決裁できるように、ヘガイ様に提案しておこう」


「ありがとうございます。問題は王宮内の支持基盤形成についてなのですが、何分、女官の数が少なすぎて、方策を決めかねている状況です」


モルデカイは少しも思案する様子を見せず、「大丈夫」と微笑みかける。


「少数精鋭のほうが良いだろう。多ければ、敵側の人間が紛れ込む可能性も高くなる。<彼の方>がどう動くのかは、こちらでも金の動きから探ってみよう。それより……」


そこでモルデカイは言葉を切ると、笑顔を隠し、声を低める。


「敵をつくらないこと、皇帝陛下のひんしゅくを買わないこと、王の目と耳の好意を得ること、この三つが後宮政治の基本だと、エステル皇妃にお伝えしてくれ」


にこやかな人懐っこさから一変、その目は静かに、しかし鋭さを湛えたままハタクを見据えた。穏やかな笑みが消え、毅然とした顔つきは、ごまかしを許さない緊張感を漂わせていた。


_________________________


以前は中庭で口実を作って義父モルデカイと会う時間を持てたが、今ではそれも叶わない。王宮監査官に昇進したと聞いた時は嬉しかったものの、彼が近くにいなくなったことで、胸にぽっかりと穴が空いたような寂しさと心細さを感じていた。


そんな中、ミナとタラが贈ってくれた青の組紐は、義父モルデカイがよく身につけていた房飾りを思い出させるものだった。エステルは少し迷いながらも、彼に倣ってその組紐を自分の衣の裾に縫い付けてもらった。それは、ふたりの友情の証であると同時に、自分の信仰の象徴でもあるように思えた。


だが、その信仰と出自をいつまでも隠しておけるものではない。それに、仲間たちに嘘をつき続けているような感覚が、エステルの心を重くしていた。いずれ真実を明かさなければならない――。そう感じながらも、その一歩を踏み出す勇気をどうしても持てずにいた。


状況は刻々と変化し、後宮の空は厚い雲に覆われるような不穏さを孕んでいた。不安定さがじわじわと広がり、確かなものが何ひとつ見えない闇が迫りつつあるようだった。


そんな不安を紛らわすように、エステルは無意識に裾の組紐に手を伸ばし、指先でその感触を確かめる。それは、寄りかかれる小さな希望のようでもあった。


しかし――。その仕草をじっと見つめるハタクの視線に、エステルは気づいていなかった。


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