二, 魔法使いの住む地域へ
セレーナ・アルカナ・フリーレア・イベルタス・ウィンド
見た目が若く見えるのでよく30代に見られがちだが、実年齢50を超えるそうだ。出身地不明。
見た目は少しウェーブのかかったショートのブロンド髪で赤い瞳を持つ。背丈は173cm。
世界に3人しかいない最高峰の階級Master of Arcaneを持つ。魔法界ではその名を知らぬ者はいない程の人物。とある病について研究している。
自由奔放で魔導協会からの要請にもほとんど応えない。旅が好き。
どうやらジェフ・クレオナードとは知り合いらしい。あまり詳しい素性を話してくれない。
-2034年8月4日AM9:25-
ここへ来た目的を達することができて不安と緊張が解けた。
グゥ~と腹の虫が鳴る。
そういえば昨日の夜は何も食べていない。流石に空腹も限界だった。
お腹の音が聞こえたからなのか聞こえていないのかわからないが、ベストタイミングでヨークさんが準備してくれていた朝食を運んできた。
「さ、朝食だ。そんなに豪勢じゃないかもだけどとりあえず食べな。育ち盛りな歳なんだから遠慮せずたくさん食べな」
「あ、ありがとうございます!」
豪勢じゃないとヨークさんは言っているけど、私にとっては食べさせてもらえるだけでありがたい。
ウィンドさんは日本で食べてきたのか、朝食は用意されていなかった。が、紅茶だけは用意されていた。
「お~早速日本の紅茶を使ったんだね」
「えぇ、とてもいい香りがします。流石美食の国日本ですね。食へのこだわりが香りからも感じ取れます」
私も香りを嗅いでみた。確かにいい香りはするがロンドンのものと違いが判らない。まぁこの人たちに比べたら私なんて赤ちゃんみたいなものだし、経験値の差だろう。
私は朝食を完食し、紅茶を飲みながらふと気になったことを訊いた。
「ウィンドさん、魔法使いって誰でもなれるんですか?」
いざ魔法使いになりたいと言ったもののどうやってなるのか、そもそも私がなれるのかすらわからない。
魔法といえば特別な力が必要なイメージがある。才能だったり遺伝だったり。小説や映画などの創作物ではそうだ。魔法は普通の人は使えないというのが常識だ。
私はただの一般人だ。そもそも魔法が実在していたことすら知らなかったのだ。
ウィンドさんは日本土産のスナック菓子を食べながら答えた。
「私のことはセレーナでいいよ。……そうだね魔法は誰にでも扱えるってわけじゃない。けどアリスティアは使えると思うよ?さっきの魔法紙あったでしょ。あれがあなたを持ち主として認識できていたってことは、あなたには少なくとも魔力があるということ。魔法を使えないNulliaにはあの魔法紙は扱えないからね」
話を聞いて私はとても嬉しかった。と同時にまた一つ疑問が浮かんだ。
「ウィn……セレーナさん、魔法使いって魔法使いからしか生まれないんですか?ほら、よく小説とか映画ではそうなってました」
「アリスティアの親は魔法使いじゃないの?」
「えっと親は二人とももう亡くなっているのでわかりませんけど、少なくとも魔法使いではないと思います。それらしい私物とか特に何もなかったので」
5歳ぐらいの記憶で鮮明ではないが、親が魔法使いだったという記憶はないし、親の遺品の中にもそれらしきものは一つも無かった。親族の家も普通の一般階級の家という感じだった。
「そう……やっぱり亡くなってるのね。家はロンドンの方よね?ジェフと暮らしていたってことは」
「はい、そうです」
「じゃああなたは魔法界でも珍しいNulliaから生まれた魔法使いということね。魔法使いがヌーリア界で暮らすには特殊な地位が必要だからね。一般的に魔法使いはヌーリア界では暮らせないの。魔法がヌーリアにバレるといろんな問題が起こるからね。だからヌーリア界に住む魔法使いってのは特別な階級を持っているのよ。そういう人が無くなったら私の耳にも届くはずだけど、私はリリーウェルという名の魔法使いが亡くなったという話を聞いていないから、あなたのご両親が魔法使いの可能性は低いわね。あくまでも私の推測だけど」
私は飲み終えたカップをお皿の上に置き、ずっと気になっていたことを訊いた。
「ぬーりあ?ってのはなんですか?」
「ヌーリアっていうのは魔力が無い人間のことよ。ヌーリアはあなたや私たちのように魔法が使えないのよ。魔法は魔力が無いと使えないからね。アリスティアが住んでた世界がヌーリア界と呼ばれる魔法使いじゃない人間だけで構成された世界で、私たちが住むのは魔法界。こっちは魔法使いしか住んでいないわ。例外もいるけど」
セレーナさんの話によれば、魔法使いは魔法使いからしか生まれない。ただし、稀にヌーリアから魔法使いが生まれることがあるそうだ。ただ、そういう存在は自分が魔法使いだという自覚がないまま人生を終了することも珍しくない。だから私のように魔法の存在に気づく前に魔法界に入る人は滅多にいないらしい。大抵は自信に魔力があることに気づき、魔法界の人間に捕らわれるみたいだ。魔法はヌーリア界に絶対に存在を知られてはいけない。これはかなり厳しく守られているようだ。
セレーナさんはティーカップを置き、大きく伸びをした。
「ッン……ふぅ。よし!ヨーク、片付けは頼んだよ。それと夕方までに車を用意しておいてくれ」
「あ、はい、わかりました。師匠は?」
「私は用事ができた。また暫く家を空けるよ」
「そうですか……了解しました、手配しておきます」
ヨークさんは少し寂しそうだった。セレーナさんはよく家を留守にしているのだろうか?そういえばセレーナさんが帰ってきたときもヨークさんはすごい嬉しそうだった。
セレーナさんは二階に上がっていった。暇になりそうだった私はヨークさんと後片付けの手伝いをした。
「家事の手伝いを率先してできるなんて偉いな。普段からしてるのか?」
「元々修道院でシスターをしてたんです。孤児ばかりが集まった修道院で、そこで皆手分けしてシスターの手伝いをしてました」
「へぇ、修道院で……立派じゃないか」
「大したことじゃないです。シスターに言われたことをしていただけなので」
「それは立派なことさ。君は修道院にも戻るつもりは無いのか?」
「戻れないです……2年前ですかね。修道院が火事で全焼してしまって。皆死んでしまったんです」
「え??」
ヨークさんの手が思わず止まる。
「君は……大丈夫だったのか?」
「私は運よく修道院外に投げ出されて。無事……ではなかったですが、それから行く宛てが無くなってしまって。街を放浪してる所をジェフさんに拾ってもらえたんです」
「そうだったのか……」
ヨークさんは申し訳なさそうに顔を背ける。
「悪かったな……」
「え?」
「昨日の夜、君に向けて気絶魔法を使ってしまった。魔法使いは決してヌーリアに見つかってはいけない。これは鉄の掟だ。俺は掟が破られぬようにと、規則に法り君を捕らえた。結果は俺の早とちりだった。まだ小さい君に対して……しかも魔法を知らない君に対して気絶魔法という強力な魔法を使ってしまった……。すまなかった」
ヨークさんは多分気にしていたんだろう。自分の恩師であるジェフさんの知り合いに酷い仕打ちをしたと。ここ1時間ほど素っ気ない態度でいたのは反省していたからなのだろう。
多分この人は優秀な人だ。掟を護るために最善策を瞬時に取った。判断が早くてルールに忠実で…そしてセレーナさんに家を任せられているほど信頼されている。だからこそ一つの過ちが彼の中の誉を崩してしまうのだろう。
「大丈夫ですヨークさん。私は気にしていません」
「……ホントか?」
「はい、寧ろあそこでヨークさんが私を保護してくれなかったら、私は自分の未来が想像できずに自死の道を選択していたかもしれません。そういう意味ではヨークさんは命の恩人です」
「そうか……君の言葉で少し救われたよ。ありがとう」
ヨークさんの顔に少し笑みがこぼれた。
お互い少し壁が薄くなったところで、セレーナさんについて訊いてみる。
「ヨークさん、セレーナさんはいつもこの家を空けているんですか?さっきも『用事ができた。暫く留守にする』って言ってましたけど」
「あぁ、そうだな。師匠はほとんどこの家に帰ってこない。あの人は多忙なんだ。色んなことを研究してるから、世界中飛び回ってるんだよ。俺もついて行くことが多いからこの家にはほとんど帰ってこないんだ。君がここに来た時、偶然にも俺と師匠が帰ってくるタイミングだったんだよ」
いったいどんな確率だ。もしかしたら私はまだ神に見放されていないのかもしれない。
いや、もしセレーナさんと暮らすことになると……私はどうすれば……。
そんなことを考えていたらヨークさんが持論を述べた。
「おそらくだが、今師匠がしてるのは君の疑問を解決する何かだと思うぞ。俺の予想が合っていれば多分……いや止めておこう。憶測で物を言うのは良くないとジェフさんにも言われていたな」
そこまで言ってヨークさんは口を噤んだ。話を聞いていた私としては最後まで予想を聞きたかったが、まぁいっか。
セレーナさんが何か考えがあるというのはヨークさんからしても確定なのだろう。なら私は要らぬ心配をしなくても大丈夫そうだ。
全ての後片付けが終わって暫くしてからセレーナさんは降りてきた。
先ほどのTシャツとジーパンから着替えていて、薄手のセーターにロングスカート、そしてフード付きロングコートを羽織った服装に変わっていた。手には棒状に丸められた紙が握られていた。紐で括られたそれはおそらく手紙だろう。
「アリスティア、ついて来て。いいものを見せてあげる」
私はセレーナさんに言われるがままついて行った。
廊下の突き当りにあるドアを開くとそこは中庭だった。
50sq mほどの中庭には色んな観葉植物が生えていて、木目調の椅子と机も置いてあった。芝生も整えられていて、とても綺麗なところだった。空を見上げると雲一つない快晴だった。
「すごいですね。こんな立派な中庭初めて見ました」
「ふふ、良い雰囲気でしょ。ヨークがいつも整えてくれてるんだよ。全部彼の趣味さ」
セレーナさんが自慢げに言った。
それよりこれがヨークさんの趣味という方が驚きだった。もしかしたら部屋の内装もヨークさんの趣味嗜好で作ってあるのだろうか。ともあれ良い趣味をしてらっしゃる。
セレーナさんは中庭から続いている小屋の扉を開けた。
「さ、入って」
中には3つの鳥かごがあり、4匹の鳥が飼われていた。
「凄っ!これは?」
「全部伝書用に訓練された子たちだよ。この手紙を今からこの子に届けてもらうのさ」
そう言ってセレーナさんは一匹の鳥をゲージから出した。
私はあまり動物には詳しくない。でもわかる。この鳥は猛禽類と呼ばれる種だったはずだ。
セレーナさんは取り出した鳥を右手に乗せて餌をやりながら話した。
「この子の名前はグリコ。ハヤブサだよ」
ハヤブサ……確か最高時速が鳥類最速。
「今からこの子にこの手紙をとある人の元に届けてもらうんだ。アリスティア、この手紙をグリコに渡してちょうだい」
私はセレーナさんから手紙を受け取り、恐る恐るそれをグリコの足元へ。
「さぁ!行ってこい!」
セレーナさんがそう言うと、グリコはセレーナさんの手から離れ、私の手から手紙をガシッと掴む。
「?!」
顔より大きなハヤブサが目の前を飛び去る。一瞬のことで思わず目を瞑る。頬に風を感じたと思ったらグリコはもう大空に羽ばたいていた。
「驚いた?大丈夫?」
「は、はい」
まだ少し心臓がどきどきしている。初めてあんなに間近で飛びたつ鳥を見た。
私とセレーナさんはもう見えなくなったグリコを追うように空を眺めていた。
「あの手紙は誰に向けた手紙なんですか?」
「ん?あれはウィリアム・ルークスっていう私の友人にむけた手紙だよ。彼らに君の面倒を見てもらおうと思ってね」
「それって……」
「そう。あなたがこの魔法界で暮らすにはまず帰る場所が必要だろう?私はこの家にはほとんど帰らないんだ。この意味が分かるね?」
ヨークさんが話していたことだ。
「私はね、研究者なんだ。今はある病について研究してるところだ。そのために世界中の魔法使いに会って協力してもらってるのさ」
セレーナさんは目の前に跪き、私の顔を見上げて話し始めた。
「私は決してあなたの面倒をみるのが嫌なわけではない。あなたを連れて研究を続けることもできる。ただ、そうするとあなたの身の安全を私は保障できない。私の研究してる病は大抵は成人済の大人がなるものなんだけど、子供でも発症することがあるんだ。もしあなたの身に何かあったら……ジェフに顔向けできないんだ」
少しセレーナさんは顔を俯くが、再び顔をあげて話を続ける。
「私が信用できないかい?」
私は少し考えた。
セレーナさんは出会って1時間ほどの人だ。公園で偶々出会った老婆と小一時間話したのと何ら変わらない。
普通はこんな条件の相手に信用もクソも無い。
ただ何故だろうか……。彼女はなぜか赤の他人な気がしないのだ。ずっと昔から知っているような、そんな気さえもする。彼女の言うことはそのほとんどが信用できると私は感じている。
「私、セレーナさんと話しているとなんだか落ち着くんです。なんだか他人じゃないみたいな気がするんです。確かに出会ったばかりでわからない事ばかりですけど、セレーナさんが私を煙たい存在だと考えてないのは伝わります……。わかりました。私は帰る家を提供してくださるだけで十分です。我儘を言ってここへ来たのは私ですから」
「……よかった」
セレーナさんはそう一言。安心した表情で答えた。
私たちは他愛ない話をしながらヨークさんの車の準備を待っていた。
話しているうちにセレーナさんが50歳を過ぎていることを知った。あまりにも若く見えていたので驚きを隠せなかった。それは向こうも同じだったらしく、セレーナさんも私が16歳ぐらいだと思っていたらしい。まだ13歳だと知った時のセレーナさんの驚き様と言ったらもう……すごいオーバーな反応で驚いてくれた。
まぁセレーナさんの驚き様には納得する部分もある。
私にやたら礼儀や知識があるのが、凄く大人に見えたんだそうだ。礼儀やマナーは修道院で教わったし、知識はジェフさんの教えもあるだろうが、一番は本が常に近くにあったことが大きいだろう。毎日本を読む日々を過ごしていたし、知識を得られるのが楽しくて仕方なかった時期だった。
-2034年8月4日PM2:00-
「師匠只今戻りました。車の準備が整いました」
どうやら午前にセレーナさんから頼まれていた車の準備ができたみたいだ。
「手間を取らせたね。ありがとうヨーク」
「ありがとうございますヨークさん。わざわざ準備していただいて……何かお礼を」
わざわざ昨日会ったばかりの私の為にいろいろしてくれた上に、私の都合でまたセレーナさんが家を空けてしまうことを申し訳なく思った。だから何かせめてお礼をと思ったのだ。
中に何かないかと考えリュックを開けようとしたがヨークさんが止めた。
「アリスティアくん、そう言ってくれるのはありがたいが今はいいんだ。その気持ちだけで今は十分だ。それと、また今度会った時に元気な君の姿を俺は見たい。今の君はまだ心の傷も癒えきっていない、辛くて不安そうな顔をしている。今はまだそうかもしれないが今日俺たちに出会って、魔法界入りした。この選択した道が君にとって良い道でありますよう。幸あれ、アーメン」
ヨークさんは慣れた手つきで祝福を授ける十字架を切って私を見送ってくれた。
私も祈りを返しヨークさんに感謝を伝えた。
「よし、じゃあ行こうかアリスティア」
私は私服と少し頂戴した雑貨の入ったキャリーケースとリュックを背負い、セレーナさんについて行く。
玄関前でセレーナさんは振り返り、ヨークさんに告げる。
「明日の明朝には帰ると思う。帰ったら君には日本旅行の話を聞いてもらうとするよ」
「はい!では二人ともお気をつけていってらっしゃい」
『いってきます』
玄関を開けると目の前の道路に車が一台、駐車されていた。
それと同時にあることに気が付いた。
「ここって……バナビ・ロードですよね?」
昨日の深夜散々歩き回ったから覚えている。ここはバナビ・ロードだ。そして立地的にここはおそらく1番地。
「そうだよ。ここはバナビ・ロード1番地。表向きはただの1番地だけど、中に入る時にちょっと工夫すれば2A番地……さっきまで居た家につながるんだよ」
「……」
私は気になって閉じた扉をもう一度開けてみた。すると中にヨークさんの姿が無いうえに、先ほどまでいた部屋とは異なっていた。薄暗く蜘蛛の巣が張っている玄関。1年間誰も使っていないんじゃないかという雰囲気の部屋に、私は淋しさと驚きと興奮を同時に感じた。
「凄っ……これどうやってさっきの部屋に戻るんですか?」
「それは今は秘密だよ」
セレーナさんは教えてはくれなかった。昨晩のヨークさんの反応からしてもこの場所は余程大事な場所らしい。……そう思うとジェフさんはこの二人と余程信頼されていたんだな。
トランクに荷物を詰め、私たちはコッツウォルズ国立公園……魔法使いの住む地域へ向かった。
人は何かやりたいことを見つけた時。「死にたい」なんて考え消えるのさ。
-セレーナ・A・F・I・ウィンド-