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「あなたを愛することはない」と契約夫婦は互いに言った。

「ご安心ください。私があなたを愛することはありません」


 ホタルの飛び交う、幻想的な七月の結婚式の夜。

 長い宴が終わって夫婦の寝室に入るなり、豊かな金髪の見目麗しい花嫁がきっぱりとそう告げる。

 すると、鮮やかな赤い髪をした美形の花婿も断言した。


「それは良かった。俺もあなたを愛することはないですから」


 これは、あくまで貴族同士のビジネスライクな契約結婚だ。


 伯爵令嬢である新婦チェルシー・ホワイトは、双子の妹がそろって学費の高額な王立魔法学園へ入学する年なのに、父親が賭け事で多額の借金をしたまま深酒によって亡くなり、非常にお金に困っていた。


 男爵令息である新郎ルーク・ガーフィールドは、商売で成り上がった裕福な新興貴族の二代目だったが、上流階級に事業を広げる際の信用と知名度を得るのに苦労していた。貴族社会で地盤を固めるためにも、由緒正しい家門との婚姻が是が非でも必要だった。


 そこで二人は、利害がピタリと一致するお互いを結婚相手として選んだ。


 期限は、双方の話し合いにより、きっかり一年間と決まっている。

 一年間もあれば、若き実業家のルークは社交界に深く食い込み事業の盤石な土台を固められる自信があった。

 その見返りとして、チェルシーは既に十分なほどの弟妹の学費と生活費を受けとり、さらに借金も全額肩代わりしてもらっていた。


 とんとん拍子に話は進み、今日、結婚式も済んだ。

 初夜である。

 だが二人は、「話は終わった」とばかりに軽く会釈を交わすと、それぞれの私室へ引き上げて行った。


 ♢♢♢


 それから三か月。

 木の葉が色づきはじめた気持ちのいい十月の朝、二人は朝食室で食事をしていた。

 いつも一緒にというわけではないが、たまたま時間が重なったときは、こうして二人で過ごすこともある。

 仲睦まじい夫婦のフリをすることも、契約条項には含まれていた。


 しかし。


「それでは私はお先に失礼させていただきます。本日は侯爵夫人のお買い物にお付き合いする予定ですので」


 チェルシーは食後のお茶を飲むこともなく、そっけなく言って席を立った。

 既にお茶を飲み終えてティーカップを置いたルークがちらりと妻を見やり、淡々と告げる。


「買い物に行くとは聞いていませんが。もしあなたも何かを購入した場合、あとで執事に報告しておいてください。経費として計上しますので」

「承知しました。お心遣い感謝いたします」


 結婚して三か月も経つというのに、ひどくよそよそしい会話だった。

 隅に控えている執事も、無表情の陰にわずかな憂慮を浮かべ、夫婦を見守る。


 チェルシーとルークは、それぞれ別の扉から朝食室を出た。

 別れの際にも、ほほえみ一つ交わさない。

 ぱたん、と、二つの扉が同時に閉まる。


 だがしかし。


 チェルシーは扉の向こう側で、美しい金髪をぐしゃぐしゃにして懊悩していた。


(ああああ、今日も夫がかっこよすぎる! 無理! あんなに美形で有能で親切な人が私の夫だなんてどういうこと!? 朝から心臓が壊れてしまうわ!? こんなに好きなのに私ったらなぜ毎日あんなにかわいげのない態度しか取れないのかしら。でもルークさんは紳士だから、いつまでも私が席に着いていたらお仕事に行けないわよね? お忙しいんだもの、仕方ないわよね……!!)


 一方、ルークも別の扉の向こう側で、両の拳を握り歯を食いしばっていた。


(いい……今日も妻が惚れ惚れするほどいい……! あんなに美人なのに、さりげなくこちらを気遣って先に席を立つ心配り……好きだ! それなのに無骨な俺ときたら、なぜ経費の話などしてしまったんだ!? いや、あれは「経費で落とすのでなんでも買っていい」という意味なんだが、そう言ったところで気高く遠慮深いチェルシーさんは何も買わないだろうし……だが……!!)


 表面上はよそよそしい態度を取りながらも、夫婦は顔合わせのときから、お互いに一目惚れだった。

 二人とも相手の外見とクールな態度と、気遣いのできる成熟した大人っぽさに惹かれていた。

 両者とも、そうあろうと努力はしているが、内面は別にクールでも成熟してもなく、むしろ暑苦しく面倒くさいタイプだったからだ。

 だから二人とも、都合の悪い部分は全力で隠した。


 そのため、夫婦の互いへの恋心は、どちらにも1ミリも伝わっていなかった。


 ♢♢♢


 それから三か月。

 木々の枝が白銀の雪化粧をする一月の夜、社交シーズンの開始を告げる盛大な夜会が王宮にて開かれた。

 チェルシーとルークは、ぎこちなく腕を組んで会場に現れた。


 冬だけれど、眩いばかりに燭台が灯され人も多い宮殿のホールは、熱気に満ちていた。

 イブニングドレスの上に分厚い毛皮を羽織っていたチェルシーは、毛皮を脱いで入り口の侍従に渡した。

 滑らかな腕と胸元が露わになる。


 ルークはそれを見たとたん、さっと自分の上着を脱ぎ、妻の肩にかけた。

 チェルシーは青い目をぱちくりさせた。

 たった今、暑くて毛皮を脱いだばかりなのだが。

 夫は早口で言った。


「室内といえど、今は真冬です。薄いドレス一枚ではあなたが風邪を引いてしまうし、そうなれば屋敷の中は……」

(この陶器のような美しい肌を俺以外誰も見るな!! それにもしあなたが風邪を引いて寝込んだりしたら、屋敷の中は太陽を失った闇の世界となるだろう……もちろんそうなれば最高水準の医者と看護師はつけさせていただくが……!)


 チェルシーはうつむいて答えた。


「……わかりました。思慮が足らず申し訳ございません」

(ルークさんの上着……! 彼のムスクの香りがする……いえそんなことより軽率な自分の行為を反省しなければ。たしかに私が風邪など引いたら、屋敷の中でも大流行して迷惑をかけるわよね、ええそうよね……!)


 内面ではそれぞれの嵐が忙しく吹き荒れていたのだが、表面上は見目が良く余裕漂うクールで美麗な夫婦の二人は、期せずして他の招待客の注目を集めていた。


 美しいチェルシーのダンスカードには、次々にダンスを希望する男性たちの名前が書きこまれていき、余白が足りなくなるほどだった。

 洗練された容貌と相当の財産を持つルークのもとにも、ダンスの相手を望む積極的な女性たちが集まった。商売人という性格上、誰のことも邪険にできない彼は、愛想の良い笑みを浮かべながらも返答を曖昧に濁した。


 そして、いざダンスが始まるというとき、チェルシーのダンスカードはどこかに紛失してしまっていた。

 そのため、ルークは記名したと申し出る男性たちに穏やかに謝罪をし、「商売人は平等を重んじるので」などと冗談めかして断って、妻を連れて早々に会場を辞した。


 夜会の合間にルークが宮殿の侍従に袖の下を渡し、その侍従がそっとチェルシーのダンスカードを拝借し廃棄していた場面を目撃した人は、誰もいない。


 ♢♢♢


 それから三か月。

 固かった花の蕾が次々にほころびはじめた四月の暖かい日、ガーフィールド邸では、夫婦が来客をもてなす準備をしていた。


 本日屋敷を訪れるのは、チェルシーの双子の妹であるメアリとマーシー。

 そして、ルークの弟のレイの、三人だ。


 正午を過ぎるとレイが、それからしばらくしてメアリとマーシーがやって来た。

 皆、夫婦の結婚式以来の再会を喜び合い、桜の花が咲く美しい庭に出されたテーブルで、軽食とドリンクを片手にお喋りを楽しんでいた。


 チェルシーとルークは、互いと話すときは常に礼儀正しく敬語を使い、夫婦なのにスキンシップの一つもない。

 だが、チェルシーが背を向けたときにルークが彼女に注ぐ切なそうな視線や、ルークとの距離が近づいたときにチェルシーが頬を染めてそわそわする様子を、客の三人はしっかりと目撃していた。


「……それにしても、お姉様はちょっとお義兄(にい)様に他人行儀過ぎるんじゃない? 会ったのが今日で二度目の私たちとレイさんの方が、ずっと打ち解けているみたいなのだけど?」

「なっ、何を言ってるの、メアリ!? そんなことないわ!」


 双子の妹たちに大きな桜の木の陰へ連れていかれ、遠慮のないメアリから小声でそう指摘されると、チェルシーは動揺を押し隠して否定した。


 双子の妹たちはもちろん、姉が自分たちの学費を稼ぐために契約結婚をしてくれたのだとわかっているし、感謝もしている。

 だが、チェルシーより三つ年下ながら、恋愛経験でははるかに上を行くメアリとマーシーは、姉が契約結婚の相手に恋心を抱いていることをとっくに看破していた。


「真面目なお姉様は、おそらくお義兄様を束縛したくないがために最初に『あなたを愛することはありません』とでも言ったのでしょう? その結果、同じく真面目なお義兄様も『俺もあなたを愛することはない』とか返して、そのままずるずると今に至る、というところではないかしら?」

「マーシー、あなた、見てたの……!?」


 鋭いマーシーにずばすばと言い当てられ、チェルシーは(おのの)いた。だが妹は醒めた顔で言った。


「魔法学園の学生はそんなに暇じゃないわ。今日だって課題で忙しいのに、お姉様が心配だからこうしてメアリと様子を見に来たの」

「あ、ねえねえマーシー、この間習った魔法、あれをお姉様に使えばいいんじゃない? なんでも素直に話せるようになる、っていうあの魔法」

「そうねメアリ。いい考えかも。自白魔法をかければいくら頭の固いお姉様でも、強制的にお義兄様に気持ちを伝えられるわね」

「ちょっと待って、何その恐ろしい魔法……!? 絶対にやめて!!??」


 チェルシーは鳥肌の立った両腕でひしと自分を抱き、ぶるぶると首を振った。

 ただでさえホワイト家に多額の援助をしてもらっているルークには、これ以上、何も迷惑をかけたくない。

 自分は単に歴史の長い伯爵家の娘というだけで、他になんの取り柄もない。

 そんな契約妻から好きだと告げられても、気鋭の青年実業家であるルークを困らせるだけだろう。

 一年間の契約がもうすぐ切れ、これから彼は独身に戻って、自由を謳歌できるというときに。

 双子は顔を見合わせ、肩をすくめた。


 桜の木の反対側では、ルークの弟のレイが苦笑まじりに忠告していた。


「なあ、兄さん……いくらなんでも義姉(ねえ)さんによそよそし過ぎないか? もうちょっと妻に優しくしないと、契約更新してもらえないぜ?」

「いや契約更新とかは無いんだが……契約更新? ……そうか、その手が……」

「待って待って冗談だから。ていうか、もう契約じゃなくて本当に夫婦になればいいんじゃないか?」


 本気で契約更新を検討しだした兄に、レイは慌てて言った。

 ルークは傷ついたような顔をした。


「……駄目だ。最初に彼女から『あなたを愛することはありません』と、はっきり言われた」

「え……まさか、それで兄さんも……?」

「ああ。もちろん俺もそう言った。彼女に余計な心配をさせたくなかったからな。契約結婚の相手に愛されても困るだけだろう」

「嘘だろおおお……」


 レイは兄と同じ赤毛の頭を抱えた。

 兄が生まれつき真面目で頭が固いことは知っていたが、まさかこれほどまでとは。


 女性関係が華やかで、兄よりもずっと恋愛の機微に明るいレイは、とっくに兄の恋心を見抜いていた。

 だが自分と違い、兄は心の内を容易に相手にさらけ出さない。


 家のために好きでもない女性と結婚した兄に対して、レイは心から感謝と尊敬の念を抱いていた。

 その兄が契約結婚の相手に恋をしたというのなら、全力で応援しなければ。

 だが、どうすれば……?

 腕組みをして悩んでいたレイは、ふいに、ぽん、と手を打った。


「あ、そうだ! この間からうちの商会で取り扱ってる拷問用魔道具に強力自白剤があったんだ! あれを使えば、いくら兄さんでも義姉さんに告るなんて簡単だよ」

「待て。身内に拷問用魔道具を使うとかどんな家族だ? というか、拷問用魔道具など取り扱うなと何度も言ったはずだが?」

「大丈夫、卸し先は国家公安局だけだから。国の平和を守るために、憲兵さんが凶悪犯たちに使うだけだから!」

「……なぜそんなものを俺に使おうと思った……?」


 桜の木は、儚く白い花びらをひらひらと舞い散らせていた。


 ♢♢♢


 それから三か月。

 再び巡ってきた夏を、夫婦は悶々とした気持ちで過ごしていた。


 明日には結婚から丸一年が経ち、契約は満了となる。

 ガーフィールド商会は貴族社会に順調に根を下ろし、ホワイト家の生活費や双子の学費も当面は全く問題ない。

 だから、契約通りに明日離婚することにも、何の問題もない。

「多忙な生活ゆえのすれ違い、からの、話し合いによる円満離婚」という筋書きは既に決まっている。


 けれど、夫婦の心の中は、別離の悲しみに張り裂けそうだった。


 いっそこの気持ちを伝えてしまおうかと、二人とも何度思ったかわからない。

 だがそのたびに、『あなたを愛することはない』と初夜に断言した相手の声が、脳内に響き渡るのだ。

 まるで呪いの言葉のように。


『愛することはない』とあんなにきっぱり言っていたのだから、本当に愛することはないのだろう……と、真面目過ぎる夫婦は互いに心の中で考えていた。

 今更すがりついても、きっと相手を困らせるだけだろう――


「ルークさん、私の荷物はすべてホワイト家に送るよう手配しました。あとは、結婚の記念に画家に描いてもらったこの肖像画だけですが、これは……」


 チェルシーは淡々と言うと、居間の飾り棚の上の肖像画にそっと触れた。

 結婚したばかりのチェルシーとルークが、やや緊張した面持ちでキャンバスに描かれ、豪華な純金製の額に入っている。ルークがわざわざオーダーメイドした額だ。


(これは、ルークさんとのたった一枚の絵……でも、さすがにこれを持って行きたいなんて言ったら引くわよね? 自分の姿絵を好きでもない女性が持っているだなんて……でも……)


 ルークは事務的に告げた。


「この絵は、俺が処分しておきましょう。あなたは何も心配しないでください」

(チェルシーさんとのたった一枚の肖像画だが、俺がこれをこっそり自室の金庫にしまっておいたら彼女はドン引きするだろうか? やはり処分をするべき……いや、そんなことは絶対にできない……!!)


 チェルシーは無感動な顔で答えた。


「わかりました。お願いいたします」

(処分……処分ですって!? そんなああ……捨てられるくらいなら、どさくさに紛れてこっそり荷物に入れてしまおうかしら? そうすればルークさんのお手をわずらわせることも……はっ! そんなことをしたら純金製の額の方を盗んだと思われる……!?)


 そのとき、来客を告げる執事の声がした。

 夫婦が玄関ホールへ行くと、そこにはメアリとマーシーとレイが立っていた。


「どうしたんだ、三人そろって?」


 ルークが驚きながら尋ねた。チェルシーも目を丸くしている。

 三人はにこにこして答えた。


「ちょうどこの屋敷の近くを通ったら、偶然メアリちゃんとマーシーちゃんに会ってさ」

「久しぶりにお姉様とお義兄様に会いたい、ってなったのよね?」

「そうそう。元気にしてるかしらと思って」


 夫婦はそろって不思議そうな顔をしていたが、とりあえず弟妹たちを談話室へ通した。


 ルークがソファに座ってレイと話しはじめ、チェルシーが侍女にお茶を頼みに行った。

 その隙にメアリとマーシーは執事をつかまえて、姉が、明日この屋敷を出ようとしていることを聞きだした。

 双子は部屋の隅へ行き、ひそひそと相談した。


「本当によかったわ、間に合って……それじゃメアリ、最初の計画通りに」

「ええ。私がお姉様の注意を引くから、その隙にマーシーはお姉様に魔法をかけ、レイさんはお義兄様に魔道具を使う、でしょう?」

「そうよ、全てを吐き出させるの。では、始めましょう」


 三人は屋敷の前で偶然出会ったわけではなく、前々から予定をすり合わせ、夫婦が在宅のこの日を狙って訪問していた。

 素直になれない夫婦に、本当の気持ちを伝えさせるために。

 家族のために契約結婚を選んだ兄と姉に、本当の幸せを掴んでほしくて。


「いたたたっ! 足が痛いわ、くじいてしまったのかしら?  ……お姉様、ちょっと見てくれる?」


 急にメアリがおおげさに右足をかばい、痛そうな声を出した。

 マーシーとレイは、さっと顔を上げた。


 チェルシーの目をメアリの足に向けさせている間、マーシーが背後から自白魔法をかける手はずになっている。

 そして、ルークがそちらに気を取られた隙に、レイが後ろ手に持っている自白剤入りの霧吹き型魔道具を兄に吹きかける、という段取りだ。


 だが、ルークが素早く立ち上がり、妻よりも先に、メアリの足元にかがんだ。


「「「!?」」」


 マーシーの魔法は対象から大きく外れて放たれ、レイの霧吹きも勢い余って全然違う方向へプシュッと噴霧された。メアリは呆然とそれを見ていた。


 ルークは何も気づかず、メアリの足の状態を手際よく確認しだした。


「失礼、商会の方でよく応急手当の講習を受けているから、こういうのは慣れているんだ……大丈夫、たいしたことはないようだ。念のため、今日はここに泊っていくといい」


 かたわらで心配そうに見守っていたチェルシーは、それを聞き、安堵と戸惑いの入り混じった表情を浮かべた。


「……いいえ。たいしたことがないなら、あとで馬車を呼んで、妹たちをホワイト家へ帰らせます…………私も、同じ馬車で実家へ帰ることにしますわ。その方が馬車代が浮きますから」


 その場の全員が、ぎょっとしてチェルシーを見た。

 たしかに同じ家に帰るのなら、今日と明日で別々に行くより、今日まとめて馬車に乗った方が安上がりではあるのだが。


 メアリとマーシーとレイは、「引き留めろ」と訴えかけるような顔を、ルークに向けた。

 ルークは冷静にうなずいた。


「……あなたがそうしたいのであれば。荷物はきちんと全て送り届けますので、ご安心ください」

「ご親切にありがとうございます」

「こちらこそ、お世話になりました」


 三軒先にある新聞屋とその客の方がまだ親しげな会話をするだろう、と思えるほどよそよそしい夫婦の会話に、メアリたちは絶望した。

 一年間夫婦をやっていてこれでは、たとえ自白魔法をかけたところで、どうにかなるとは思えない。


 もう諦めて、おとなしく引き下がろう……という視線を三人で交わし合ったときだった。


「失礼いたします。お客様がお見えになりました」


 再び執事が客の来訪を告げ、一人の不精髭の男が入ってきた。

 夫婦のどちらも見覚えのない人物だった。

 男はくたびれた帽子を取ると、どこか卑屈な笑いを浮かべてルークとチェルシーに近づいた。


「はじめまして。私はガーフィールド商会さんと取引をさせていただいている、スミスと申します。今日は日頃の感謝を申し上げに……」


 そのとき、部屋の天井あたりにたゆたっていたメアリの自白魔法とレイの自白剤が、重力でふわふわと男の頭上に落ちてきた。


 すると、男は凶悪な目つきになり、突然叫びだした。


「俺の兄貴はあんたのところの魔道具で無理矢理自白させられたんだ! どんな拷問にも音を上げない豪胆な兄貴が、あんたのせいで一生監獄暮らしになったんだぞ! 人を破滅させておいて、自分は美人の嫁さんと幸せに暮らしているだと? ふざけるな!!」


 男は懐からナイフを出し、チェルシーに襲いかかった。

 メアリとマーシーの悲鳴が重なる。


 刹那、ナイフを持った男の腕をルークが蹴り上げ、その腕をねじって押さえつけた。

 はずみで宙を舞ったナイフの刃がルークの額を傷つける。

 血が彼の顔を真っ赤に染めた。


「ルークさんっ!!」


 チェルシーが血相を変えて夫に駆け寄る。

 ハンカチを取り出し、ルークの額に当てるその手は、震えていた。

 青い瞳から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「ルークさん、ルークさん…………お願い、死なないで…………」

「大丈夫だ、チェルシーさん。あなたが無事なら、俺のケガなどどうでもいい」

「あなたがケガをしたら、平気でなどいられません!」

「チェルシーさん……俺だって、あなたを失うかもしれないと思ったら気が気じゃなかった…………俺の、大切な人だから…………」

「ルークさん……私もです…………」


 二人はまっすぐにお互いを見つめ合った。


 レイと執事が気を利かせ、無言で男を引きずり、部屋の外へ連れ出した。

 メアリとマーシーも、足音を忍ばせ、そっと退出する。


 チェルシーとルークは、いつの間にか二人きりになっていることにすら、全く気がつかなかった。

 今は、愛する人のことしか目に映らなかったから。


 ♢♢♢


 無精髭の男は当局に連行され、過去の余罪と合わせて、「兄貴」と同じ監獄での終身刑が決まった。

 ガーフィールド商会は、今回の襲撃の一因となった拷問用魔道具の取り扱いを中止することにしたが、夫婦の命を救うことにつながった定期的な護身術の講習会の開催には、ますます力を入れているそうだ。


 事件の翌日、生真面目なガーフィールド夫妻は屋敷の居間で、契約結婚をきっちり満期で終了させた。


 二人はビジネスライクに握手を交わした。


 そして、その次の瞬間、ルークはチェルシーの手を取ったまま、ひざまずいてプロポーズをした。


「チェルシー、改めて、俺と結婚してくれないだろうか。あなたを一生愛し抜くことを誓う」


 真摯な言葉に、チェルシーは頰を赤らめ、美しいほほえみを浮かべた。


「はい。私の方こそ、生涯あなたの側にいさせてください……愛しているわ、ルーク」


 二人は甘いくちづけを交わした。




 それからというもの、ガーフィールド夫妻の評判は「クールで美麗な夫婦」から「仲良し過ぎるほほえましい夫婦」に変わった。

 ルークとチェルシーは、たまに遊びに来るレイや双子の妹たちが呆れるほど仲睦まじい夫婦となっていた。

 そしてそれは子どもが産まれても、年を取っても変わらず、二人は日々、互いに愛を伝え合いながら幸せに暮らしたという。

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