本当は、君の事が好きなんだ
婚約者であるヴァレリアとの出逢いは七歳の頃に遡る。
俺と二歳下の弟の側近、婚約者候補を見定める為に王宮主催のお茶会が開かれた。
王族の側近、婚約者となれるならと上は公爵家から下は男爵家、はたまた騎士爵に至るまで年頃の令嬢令息がいる多数の家がこぞって参加した。
ちなみにアイザックは面倒だと言って参加しなかったらしい。ほんとにやる気無かったんだな!
で、ヴァレリアは父親に言われ渋々参加したらしい。
俺が気に入る奴らは塩か!?
塩な奴らを気に入る俺はドMか!?
んなわけない。普通だ。だから胸が痛いわ。
とはいえここでへこたれる俺ではない。そんなんでいちいち傷付いていては国王になった時にやってらんないだろう。
こほん。
話がそれたが、俺とヴァレリアはそのお茶会で運命の出逢いを果たしたのだ。
「早く帰りたいわ……。帰って本を読みたい」
わちゃわちゃと俺に寄って集ってアピールする奴らの群れを掻い潜り、ようやく息がつけたと思った俺は身を潜めるようにしてバルコニーに躍り出た。
そこのベンチに腰掛け、もぐもぐとケーキを頬張っていたのがヴァレリアだったのだ。
そこにいた陽の光に透けた銀糸の髪、憂いを帯びたような紫の瞳の少女に一瞬のうちに吸い込まれてしまった。
それなのに、小さな口を大きく開けてケーキを口にすると、紫の瞳がキラキラと輝き幸せそうな表情を浮かべるのだ。
だがケーキに乗っていたイチゴが酸っぱかったのか、あに、とした何とも言えない顔になる。
そのギャップが面白くて、可愛くて。
「ね、ねえ、君名前は何て言うの?」
思わず声をかけてしまったのだ。
彼女はいきなり声をかけられて、紫の瞳をこぼれんばかりに見開かせた。
その口にはまだフォークが入ったまま。
俺は咄嗟にしまった、と思った。せめて食べ終わるまで待てば良かった。
案の定びっくりした彼女は、
「ぐえっふぇっ、ぶほっ、ごほっ、ひゅごっ」
入ってはいけない場所にケーキが入り込んでしまったようだった。
俺は慌てて飲み物を取りに行き、彼女に手渡した。
こくりと喉を鳴らして嚥下し、数度深呼吸をするとようやく落ち着いたようでホッとした。
「いきなり話し掛けてごめん」
女の子の背中を優しく叩くと、彼女は潤ませた瞳のまま俺を見てきた。
その時確かに聞いたのだ。
何かが始まる音を。
それは春告げ鳥の囀りか、夏のけたたましい虫の声か、秋の夜長の寝苦しさを象徴する音か、冬の雪道を歩く足音か。
いや、どれも違う。
そうだ、例えるならば小川のせせらぎ、教会の鐘、天使の鳴らすラッパ。
始まりの音、それはかちりとピースがハマッたパズルのような。
とにかく俺はその時ヴァレリアに恋をしたのだ。
咽て苦しげに瞳を潤ませた彼女に……
……あれ、俺はなんか、何と言うか、これじゃまるで変人だな!?
「こちらこそ、はしたない様を見せてしまい申し訳ございません」
「君は悪くないよ。謝らないで。大丈夫だから」
顔色を悪くしてたけど俺の言葉に明らかにホッとした様子の彼女は、ふっと顔を緩ませた。
ドッキーン
その笑顔はまさしく天使。可愛いという言葉がよく似合っていた。
まさに彼女の為にあると、その時本気で思ったんだ。今でも思ってる。
「き、君の名前を聞いてもいいかな?」
「は、はい、申し遅れました。
ヴァレリアと申します。ヴァレリア・ロックハート。ロックハート公爵家の長女でございます」
ヴァレリア・ロックハート。
覚えましたー。胸に刻み込みましたー。
君のハートにロックオンされましたー。
「君によく似合っているね。その姿も、月の女神様みたいで素敵だ」
少ない語彙力を駆使して彼女を褒めると、はにかむように微笑まれた。
よしっ、掴みは上々だ。第一印象めっちゃいいんじゃない?
何か忘れてる気もするけど、浮かれポンチだった俺は気付かなかったんだ。
お茶会が終了したあと、俺は父親にヴァレリアと婚約したいと告げた。
公爵家令嬢だったからあっさり承諾してもらえた。
その夜は嬉しくて興奮して、一睡もできなかったけれど翌日の勉強の時間はいつもより冴え、鍛錬の時間も身体が軽く、恋ってなんて素晴らしいんだろうって飛び跳ねてたら急に気を失って爆睡してた。
母上からは心配されて怒られたけど、「ヴァレリアと婚約できると思ったら嬉しくて」と言ったら呆れられた。
でも本当に嬉しいから仕方ない。
けれどそんな俺とは裏腹に、ヴァレリアの表情は晴れない。
「王太子殿下」
名前も呼んでくれない。
もしかして、彼女からしたらあまり嬉しくない事かもしれない。
そう思ったら胸が苦しくて、でも俺は彼女と一緒にいたくて。
だけど嫌われていたらどうしようって気持ちが大きくなって「名前で呼んでほしい」って事すら言えなくなってしまった。
そうしたものが自分の中で膨れて、ヴァレリアの気持ちを試したくなってしまったんだ。
結果は惨敗。
「僕は真実の愛を見つけたんだ」
そう言った直後、ヴァレリアは飲んでいた紅茶のカップをソーサーに戻すと、サッと立ち上がり一礼して、震える声で
「失礼致します」
そのままくるりと踵を返しその場を立ち去った。
作戦大失敗だ!
すぐさま追いかけたけれどヴァレリアの足は早く追い付いた時には馬車に乗り込んでいた。
「ヴァレリア、待って!」
息を切らせて馬車の中にいるヴァレリアの名を呼ぶと一瞬だけ目が合った。
「──……っ!!」
一瞬だけ。
瞳からぽろりとこぼれる雫。
大好きな人の気持ちを卑怯な手段で試した結果。
翌日には婚約を解消されたと父上から告げられた。