蜂蜜入りホットミルク
シュエに案内されて、ユエルは店の中に入った。
喫茶店の天井からは様々な乾燥した草花が吊るされていて、光を溜めて夜に光る性質のある蓄光石を燃料としたランプが吊り下がっている。
カウンター席が三つに、居心地の良さそうなソファのテーブル席が二つ。カウンターの奥には小さなキッチンがある。
戸棚には白いカップが並んでいて、キッチンには様々な茶葉などの入ったガラス瓶が並んでいた。
シュエは柔らかそうな生地で織られた白いシャツと、黒で染色されたゆるりとした大きめのトラウザーズを履いている。
その上から黒いエプロンをつけると、ユエルをカウンター席に座るように促した。
「何を飲もうか。そして、何が食べたい?」
遠慮がちに椅子に座るユエルに、シュエは尋ねる。
カウンター席にはカンテラが置いてあり、蝋燭の炎がゆらゆらと揺れていた。
三つある席の一番端には、大きめのコアリクイのぬいぐるみが置かれている。コアリクイの少し長めの顔がカウンターの上に乗せられていて、手足はだらんと垂れていた。
「……コアリクイ」
「ふふ……可愛いでしょう。仕事疲れのコアリクイだよ」
「仕事疲れのコアリクイ……」
確かにそう見えなくはない。ユエルはじっとコアリクイを見つめた。
仕事に疲れて机に突っ伏して居眠りをするシルヴァの姿を思い出した。
「それで……ええと、名前はなんだったかな」
「ユエル……ユエルです」
ユエルは、アシュトレーンの姓を名乗らなかった。
もう自分は、アシュトレーン家の一員ではない。
シュエは頷くと、「好きな飲み物と食べ物を教えて欲しいんだけれど」と、春の木漏れ日を思わせるゆったりとした優しい声で言った。
「シュエさん。私、本当にお金を持っていないんです。代金のお支払い、できません」
「そんなことはいいよ。お金がなくて、お腹を空かせて困っている若い女性を放っておけないしね。君がここに辿り着いたのは何かの縁なのだろう。だから、遠慮は無用だよ」
「でも」
「街の人々から何を言われたかは大体想像がつくけれど、怯えなくても大丈夫。それとも、俺が怖いかな。まぁ、怖いよね。見ず知らずの男が、突然親切にしてきたら、それは怖いだろうと思うよ」
困ったようにシュエが笑うので、ユエルは大きく首を振った。
「そんなことはありません! 優しくしていただくのはありがたいと思います。けれど……ご迷惑をかけるのはいけないと思って」
「我らは等しく、空鯨の背の上。地上から空高くを飛び、住まう者。我らは一つの家族である──これは、皇国の教えだね。この国の者たちは、皆知っている」
「……はい」
「だとしたら、君と俺も家族ということになる。空鯨の背の上で暮らす者だ。家族が困っているのを助けるのは、普通のことだし、迷惑なんて思わないよ」
戸惑うユエルをよそに、シュエは火石コンロに火を灯した。
火をつけると安定して長時間高火力の熱を持つ性質を持つ火石のコンロは、薪に比べて火事になりにくいので最近ではよく使われている。
王国民は、炎に対してはかなりの注意を払いながら暮らしている。
火事を起こせばそれは、空鯨の背中を燃やすことになりかねないからだ。
とはいえ空鯨の背とはいっても、直接空鯨の表皮の上に土地があるわけではなく、長い年月をかけて堆積した土や岩などが土地を作っている。
よほどの火事がない限り、空鯨を炎で焼くようなことはないだろうが、それでも空鯨を傷つけてはいけないと人々は考えている。
シュエはコンロに小鍋をかけて、そこに瓶詰めになっているモルフミルクを入れた。
「モルフミルクは嫌い?」
「いえ。好き嫌いはありません」
「そう、よかった。モルフミルク、少し癖があるからね。好きじゃないっていう人も多いんだよ」
モルフミルクはモルフ牛からとれるミルクのことである。
確かに癖があるから嫌いだと言っていた獣操士の仲間も多かった気がすると、ユエルは思い出した。
モルフミルクを沸かして、シュエはそこにとろりとした黄金色の蜂蜜をたっぷりいれた。
木べらでゆっくりとかき混ぜて、大きな白いカップに移す。
カップにも、コアリクイの、子供の落書きのような絵が描いてある。
「……コアリクイ」
「うん。俺が描いた」
「可愛いです……」
愛嬌のある形をしている。
ユエルは目の前のカウンターに置かれたカップをしげしげと眺めながら言った。
「あ、ありがとう。可愛いって初めて言われたよ。大抵の人は、その絵を見て笑うか苦笑いするからね」
「可愛いから、笑顔になるんじゃなくて?」
「爆笑の方だね。あとは、下手の横好き、とか。雰囲気を壊す愚かな落書き、とか」
「すごいことを言う人がいるのですね……シュエさんはコアリクイが好きなんですか?」
「可愛いからね。こう、威嚇したポーズが、可愛いでしょう?」
シュエはそう言うと、顔の横に手をあげて、指を開いてみせた。
空鯨の上には、コアリクイはいない。それは地上の動物として、図鑑に載っているものだ。
ユエルも獣操士として働く傍ら、獣神殿で受けた教育の中で習った。
獣神殿にはそういった図鑑や本も多く保管されていて、好きなように読むことができた。
けれど、地上についての本は、一般には広く出回っていなかったはずだと思う。
(シュエさんも、獣操士や、神官だった……?)
ふとそんなことを思ったが、詮索する必要はないかと、ユエルは黙っていることにした。
「どうぞ、召し上がれ。何か料理も作ろう」
「ありがとうございます。……いただきます」
獣神殿を出たのは朝だった。
朝食は食べさせてもらったけれど、それいこう何も口にしていないユエルは、慎重にカップを持ち上げると、モルフミルクに口をつけた。
甘い蜂蜜の味わいと、温められたモルフミルクの優しい味が口いっぱいに広がった。
あたたかい液体が、喉を落ちて空っぽの胃にじんわりと染み渡っていく。
「美味しい……」
ユエルは目尻に浮かんだ涙を、手の甲でごしごしと拭った。
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