喫茶パライナと魔導師シュエ
光玉が、ふわふわと誘うように揺れている。
日の落ち始めた世界で、その光はユエルにとっては唯一の道標に感じられた。
皇国の夜は暗い。空鯨は眠りにつき、ゆっくりと地上に近づいていく。
地上に降りる前に目を覚まして、再び浮上する。
その間は、星の明かりだけが標となる。
外に灯りをつけないのは、空鯨の眠りを妨げないためと言われている。
ユエルは獣神殿から外に出たことはなかった。けれど夜になり小高い場所に立っている獣神殿の自室から街を見下ろすと、そこに街が存在していただろうかと思うぐらいに暗くなる。
まるで星の海を泳いでいるようで、ユエルは夜に、窓の外を眺めることが好きだった。
けれど今は、とても不安だ。
まるで世界の中で、ひとりぼっちになってしまったような気持ちだった。
日没を迎える世界の中で、一人きりで、行き場もなく外にいるのはこんなに不安なことなのかと思う。
そう思うと──獣操士に選ばれる前。
裕福ではなかったけれど、自分の居場所があった、家のあった暮らしの方がずっと、よかった気がする。
キュルル、と、腹が鳴った。
喉はカラカラに乾いている。お金がないと、何も手に入れることができない。
でも、今日一日街の人たちと話をしてみたけれど、この街にはどうやら居場所はないようだ。
(明日は、別の街に行ってみようか……それとも、皇都の、別の地区に……)
そんなことを考えながら光を追いかけていると、ふわふわ浮いている光玉の数が次第に増えていく。
いつの間にか日が落ちて暗くなってしまった世界や、草の生えた足元を、明るく照らしてくれている。
両脇に草花が生えている小道を進んでいくと、小川がある。
小川には橋がかかっていて、石作りの頑丈そうな小さな橋を抜けると、青々とした葉をつけた大きな木や花々が咲き乱れる美しい風景が広がっていた。
緑に囲まれた中に、ぽっかりと開いた平らな土地がある。
そこには小さな家がぽつんと立っていた。
街の中心地からは随分と外れたように思う。こんなところに家があるなんて。
ユエルはけれど「近寄らないでおくれ」「不吉なものを雇うことはできない」「悪いが他を当たってくれ」と、人々に言われ続けてきたことを思い出して、足を止めた。
明るい方へ、明るい方へと、まるで行燈に誘われる羽虫のように、光玉につられてきてしまった。
家の扉を叩いたところで、きっとまた拒絶されるだけだろう。
何度扉を叩いても──両親が、ユエルに手を差し伸べてくれなかったように。
閉ざされている家の扉に、ユエルはなんとはなしの恐怖心を抱いた。
獣操士である時は、空鯨と繋がっていて、空鯨の役に立っていて。それから、人々の役に立っていると思っていたから、お役目は大変だったけれど、不安なことなど一つもなかったというのに。
「……っ」
扉の前から後退って、立ち去ろうとした時だった。
内側からあっけなく扉が開いた。
ユエルの周りを漂っていた光玉が消えて、代わりに家の中から漏れる暖かそうな光が、ユエルを照らしている。
扉の中には、背の高い男が一人立っていた。
ユエルよりは年上だろう。けれど、そこまで高齢ではない。若い男である。
癖のある黒い髪に金色の瞳。細身で美しく、優しそうな雰囲気の青年だった。
「……こんな時間に、よくきたね。いらっしゃい、喫茶パライナへ」
「……きっさ?」
「喫茶店のことだよ。知らないで、来たの?」
青年は不思議そうに首を傾げる。
「ともかく、中に入ろう。外は暗い。どうぞ」
「私……お金を、持っていないんです。ごめんなさい、たまたま、光っているものが、浮いていたから、追いかけてきたんです」
「光っているものを追いかけてくるとは、夜目猫のようで可愛いね。では君は、夜目猫の化身、ということかな」
「ええと……」
「なんてね。その姿を見れば分かるよ。獣失が起こったのだろう。酷い思いをしただろう、この街の者たちは、獣失について思い違いをしているようだから」
てっきり、また「不吉だから立ち去れ」と言われるのかと思った。
けれど青年は、ユエルの手を引いて家の中へと招いてくれた。
「俺は、シュエ。喫茶店の店主。怪しくないよ、大丈夫。さっきの光玉は俺の魔法。俺は、魔導士だからね」
「魔導士……」
「といっても、昔の話だけれど」
青年シュエはそう言って、優しく微笑んだ。
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