八年ぶりの家族
元々皇都の北地区の貧民街にあったユエルの家は、皇都の中流階級の人間たちが住む街の西地区に場所を変えていた。
真新しく、綺麗な家である。
「ここは、私の家なのですか?」
「ええ、そうですよ。ここは、あなたの家。アシュトレーン家です。国はアシュトレーン家の生活を保障していましたから、きちんとどこに住んでいるか把握しています」
ユエルがここまでユエルを四本足で丸い耳と赤い瞳をした大きな騎乗用の獣である、デデルに乗せて運んできてくれた神官に問うと、神官は頷いた。
三階建ての大きな家だ。白い煉瓦の壁と、三角形の屋根。煙突もある。庭には、春らしいビオラの花が咲いていた。
空鯨の進行方向で、国の四季は決まる。
地図読みの神官たちから指示された方角を、直接空鯨に指示するのは獣操士の役割だった。
季節は春へと向かっている。それは、空鯨が温暖な地方へと向かっているからである。
「ユエル。今までお勤めご苦労様でした。それでは」
神官は、ユエルに別れを告げると、デデルに乗って帰っていった。
ユエルは自分の家とは思えない家の前に、しばらく立ちすくんでいた。
けれど、ずっと立っている訳にはいかずに、一歩足を踏み出した。
玄関までのアプローチには、赤い煉瓦が敷き詰められている。
中流階級の者たちの住むこの場所には、似たような家が整然と並んでいる。
十歳の頃の記憶が、徐々に蘇ってくる。
かつて住んでいた家は、一階建てで、部屋が三つあった。キッチンのあるダイニングと、リビングと、寝室だけ。ユエルは女ばかりの五人姉妹の真ん中、三番目の娘で、一番目立たなかった。
どちらかといえば大人しい性格をしていたユエルは、姉たちから妹たちの世話や家事を押し付けられて、それを黙々と毎日こなしていた。要領が悪かったのだ。
姉たちは両親の目を盗んでは遊びに行き、両親が仕事から戻る前に家に戻っては、「ちゃんと今日もお手伝いをした」と、両親に告げて褒められていた。
ユエルはずっと黙っていた。
それは違うと言ったこともあったが、そんなことを言えば姉たちから「嘘つき」だと謗られる。
口の回る姉たちを、両親は信じた。「お姉ちゃんたちの悪口を言わないの」と母に叱られ、「嘘はいけない」と父に諭された。
だから、黙っている方が正しいのだと学んだ。
妹たちの世話は嫌いではなかったし、掃除も洗濯も料理も、苦にはならなかった。
ただ一言、「よくやったわね」と、母に撫でられたいと思っていたし、「偉いぞ」と、父にも褒めて欲しいと思っていた。
だから――獣操の力が現れたとき、朝起きると突然、瞳の色が翡翠色に変わっていたユエルを見て、飛び上がるぐらいに喜んでくれた両親の姿が――純粋に、嬉しかった。
(よく頑張ったなと、褒めてくれるだろうか……)
もう、十八歳になってしまった。
十歳の頃よりも背が伸びたし、体つきも女らしくなった。
自分がユエルだと、皆、気付いてくれるだろうか。
ユエルは、玄関の扉の前に立って、恐る恐る扉を叩いた。
「ただいま戻りました。ユエルです」
扉を開くと、そこには記憶の中の姿よりも老いた両親が立っていた。
記憶の中の二人よりもずっと、ふっくらと肥えて、身なりも立派だ。
姉たちや妹たちが、その後ろに並んでいる。皆、上等な衣服を着ている。首や耳や髪を、装飾品で飾り付けていた。皆、とても綺麗に育った。姉妹たちの黒い髪は、少し前のユエルも持っていたものだ。
今は、ユエルだけが白い。
室内は、かつてよりも華やかな色で満ちていた。絨毯や、壁の絵画、花瓶の花や、ランプ。
ユエルの知る家には、なかったものばかりだ。
「お父さん、お母さん。私……」
「神殿から連絡が来たから知っている。ユエル、獣失が起こったそうだな」
久々に、父の声を聞く。
笑顔で迎え入れてくれると期待していたユエルは、その厳しい表情に、委縮してしまう。
「……はい」
「なんてことだ。せっかく獣操士になったというのに。お前が獣操士であれば、我が家の生活は国が補償してくれた。だが、もう国の保護を受けることはできん」
それは、そうだ。
ユエルはもうただの人だ。
ただの人となったユエルの家族に、国が多額の金を払うわけがない。
ユエルはそういえばと思い出して、やや焦りながら鞄に入っていた金貨の袋を父に差し出した。
「お父さん、これ、今まで働いた謝礼金です。金貨が、入っています」
「そうか。……お前の最後の働きだな」
ユエルの父は、金貨の袋をユエルから奪い取るようにすると、隣にいる母に渡した。
母はその袋を、大事そうに胸に抱えた。
その目にはもうユエルは映っていない。袋の中の金貨の数を確認するのに、必死だった。
「ユエル。獣失し、白い髪となったお前を我が家で養うわけにはいかない。獣失となった獣操士を家族に持つと、他の人間から差別を受ける。お前の姉や妹たちと、誰も結婚をしてくれなくなるのだ」
「そんな……お父さん、獣失は、空鯨様からの恩赦だと、神殿では言われています」
「それは神殿に限ったことだ。街ではそうは思われない。空鯨様の加護を失ったもの。見放されたもの。不吉なものと、思われている。ここから去れ、ユエル。我が家の敷居をお前がまたぐことは、許されない」
「……お父さん……お母さん……」
ユエルの父は、ユエルの体を突き飛ばすようにしながら、ばたんと扉を閉めた。
閉められ沈黙を保っている木製の分厚い扉が、ユエルと家族の間にできてしまった深い溝を現しているように感じられる。
八年の月日が、両親を変えてしまったのだろうか。
獣神殿に幼い頃から籠っていたせいで、ユエルは街の常識を何も知らないのだ。
ユエルは扉の前から数歩後退ると、自分の白い髪を引っ張った。
「私は、見放された、不吉なもの……」
それを否定することはユエルにはできなかった。
獣操士であったときは、この国を自分が守っているのだと、誇りに思っていた。
空鯨が自分を選んでくれたのだと。
今は、空鯨との繋がりを失ってしまったようで、心にぽっかりと空洞ができているように感じられた。
家族から見放されたことよりも、ただそれが、悲しかった。
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