正直者のユエル
やっぱり――黙っているのは、いけない。
珈琲にミルクが溶けていくのを眺めながら、ユエルは考える。
のぞき見して、黙っているのはいけないことだ。
シュエには世話になっているのだから、疑問に思ったことも、感じたことも、考えていることも全て伝えたほうがいい。
幼い頃からの獣神殿での日々の中で、ユエルは正直であることを美徳と教えられてきた。
それもあるが、恩人であるシュエには隠しごとをしたくない。
「どうしたの、ユエル」
あまりにもじっと見過ぎたからだろうか、シュエは不思議そうに首を傾げる。
「シュエさんの名前、本当は、シュエラウル様。ジルゼアム様のお兄さん」
「えっ!」
「ごめんなさい。昨日、声が聞こえてしまって」
「そうなんだ……聞こえていたんだね。……特に隠しているわけでもないから、いいけれど」
「そうなんですね」
「…………」
「…………」
焼き上がったパンに、シュエはバターを落とす。
それから、アップルチェリーのジャムをかける。
「地上には、アップルの木があって、チェリーの木もあるんだ。空鯨は地上の植物とは少し違う形の植物をつくるから、アップルチェリーは二つが合わさった味と形をしていて……」
「アップルと、チェリー……ということですね」
「うん。そう」
ユエルはパンと珈琲を、テーブルに持って行く。
なんともいえない沈黙が店に漂っている。
ユエルはあまり気にしていなかった。元々そんなに口数が多い方でもない。「食べて、どうぞ」と言われたので、珈琲に口をつけて、パンをもくもくと食べ始める。
「美味しいです、シュエさん」
「そう、よかった」
シュエはユエルの前に座ると、額に手を当てて深く溜息をついた。
「――君は、きかないの? 俺がどうしてここに一人でいるのか、とか。俺の事情とか、色々」
「どうして?」
「どうしてって……」
「シュエさんは、ジルゼアム様のお兄さんです。それを私は昨日知ってしまったから、知っていることを隠すのは嫌なので、伝えました」
「うん」
「それ以上のことは、……無理にきくのは失礼ですし、シュエさんがここにいてくれたので、私はとても助かりました。色々事情はあるのかもしれませんけれど、それは私が、無理に聞き出すことではないと考えています」
「気にならない? 俺がどうしてここにいるのか、とか。どうして、探索隊を辞めたのか、とか」
「シュエさんは、獣神殿や獣操師について詳しいなと思っていました。元々は王宮にいて、探索隊に入っていたからだったのですね。地上探索隊の本拠地は、獣神殿の傍にありますから」
「うん……」
「気にならないわけではないです。でも、聞き出すのはよいことなのかどうか、わかりません。シュエさんは大人なので、話したければ話すのではないかと思いますし、私はそれを聞きます」
「……まいったな」
さくりと、ユエルの小さな口がパンをかじる。
ジャムがとろりとこぼれて、白い皿に落ちた。
「俺の事情を知ったら、皆、色々と聞き出したくなるものかなって思ってた。それって俺の、自意識過剰だったのかもしれない」
「そんなことはないと、思いますけれど」
「聞かれないと、話したくなってしまう。うん。話したいって思ってる……どうしてだろうね」
「どうしてでしょう」
そんなことを尋ねられても、ユエルにはわからない。
ユエルには隠すような過去もない。ユエルのことはそっくり全部、シュエに知られている。
「……ごめんね、ユエル。気をつかわせてしまって」
「そんなことはないです」
「俺はね、妾の子なんだよ」
「めかけ?」
「この国は、王であっても嫁は一人だけと決まっている。それ以外は、浮気。妾とは、そうだね……公認の不倫相手のようなものかな」
「浮気をした相手がいて、それが、皆に認められているということですね」
「認められているかどうかは、難しいところだけれどね。俺は王と妾――母の間に、ジルゼアムよりも先に産まれた。ジルゼアムの母親、王妃はそれはそれは傷つき、怒ってね。当たり前だけれど」
ユエルは頷いた。
頷いたが、話しの半分も分かっていなかった。
獣神殿での生活は、浮世離れしている。恋愛も結婚も理解しているが、不倫や妾の話になると、うまくかみ砕いて飲み込んで理解することができなかった。
「母は結構ないじめにあって、死んでしまった。俺は捨てられてもおかしくなかったんだけど、悪いことに魔法の才能があったから、後宮で育てられた。少ししてジルゼアムが産まれてね。ジルゼアムには魔法の才能がないけれど、正妃との子だから、王になることが決まっていた」
「つまり、ご兄弟だけれど、お母様が違うということですね。何人もの女性を一度に愛せるものなのでしょうか、不思議です」
「そういう男もいるんだよ。俺は違う……と、思うけど。ジルゼアムは可哀想だったな。昔から、俺と比べられて。……魔法の才能なんて、生まれつきのもので、ジルゼアムにはどうにもならないのにね」
シュエはそこまで話すと、珈琲の入ったカップに口をつけた。
どことなく、所作に優雅さがあるのは、王族だからなのだろう。
ユエルは関心しながら、シュエを見つめる。
ユエルは庶民の子であり、たまたま獣操師の力が発現した。
シュエは王族であり、たまたま魔力を持って生まれた。
生まれは全く違うのに、ここで一緒に食事をしているのは、不思議なことだと思う。
「王宮では、俺を王にするべきだという者もいて、派閥が二つに分かれた。俺はそれが嫌で、地上探索隊に入ったんだ。あそこは、魔法がある程度使える者なら入れるからね。魔法で背中に翼をはやして、地上に降りる。地上を探索して、物資を持ち帰ってくるのが仕事だから、俺にはうってつけだったよ」
「地上は危ない場所だとききました」
「うん。そうだね。危険と言えば危険だろうか。空鯨の上では、危ない獣はいないけれど、地上はそういうわけにはいかないから。しばらくそこで隊長として働いていて――でも結局、やめてしまった」
「そうなのですね」
「あぁ。……そこでは、たいしたことは起っていないんだけどね。俺のことが好きだという女性が二人いて……俺はそのどちらも好きではなかったのだけど、なんていうのかな、他の男がその女性たちのことが好きで、ともかく、俺のいた部隊の中の人間関係が、荒れてしまってね」
「……ええと、はい」
「その顔、よく分かっていない顔」
「むずかしいです」
「あはは、そうだよね。ごちゃごちゃしていたんだ、すごく。俺は特に誰のことも好きではなかったから、部下としては大切だと思っていたけれど、他者の感情は重くて面倒で、巻き込まれるだけでうんざりした。だから、探索部隊もやめて、ここで、隠居をしているんだ」
「感情が重くて、面倒……シュエさんの周りの人たちが、勝手にシュエさんに、期待したり、好きになったりするから」
「そうだね」
それなら分かると、ユエルは頷いた。
人は誰かを好きになったり、嫌いになったりするものなのだろう。
獣神殿での日々は、穏やかで代わり映えのない空を泳ぐ空鯨の上に寝転んでいるようなものだったのだろう。
日々のお勤めが忙しく、他者のことなど深く考えられないこともあったのだろう。
ユエルは、空鯨と繋がっていられたらそれで幸せだった。
空鯨と繋がることができなくなってしまった今は、自分以外の他者と繋がりたいと願うようになるのだろうか。
それを、恋と呼ぶのだろうか。
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