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ウェイトレスのメルディ



 ビストロアメリアは、皇都エルヴァーンの中央広場にある。

 スプーンとフォークの看板が目印で、昼時ともなれば多くの客で賑わう。

 シュエは「そういえばエスナさんがビストロアメリアって言っていたね」と、ユエルを店へと連れて行った。


「ビストロアメリアは、その名前の通りアメリアさんのお店でね。アメリアさんはいい人だし、ウェイトレスの……名前は忘れたけれど、女性とは個人的に関わったことはなかった気がするな……」


「浮気をしたっていう……」


「らしいね。バルドさんは商人で、オステン区やケルコス区から商品を仕入れて皇都に運んでる。食料品も運ぶからね、アメリアさんの店に出入りしているし、布なんかも扱うから、エスナさんの店にも出入りしてるんだけど」


 シュエはそこで言葉を止めると、曖昧に笑った。


「まぁ、それは個人的な恋愛の事情ってやつだから、あまり関わらないよ」


「はい……」


「エスナさんはいい人だけど、思い込んだら一直線みたいなところ、あるから。バルドさんとウェイトレスの女性がただの友人という可能性もあるし……ユエル、気になる?」


「気になる……気になるといえば、気になるのかもしれません。皆、人を好きになったり、別れたり、しているのだなって思って。私にはもう、できないことですけれど」


「どうしてそう思うの?」


「だって私は……皆に、嫌われる立場の者ですから。あ、あの!」


「うん……」


「シュエさん、もし私が邪魔になったらいつでも言ってくださいね。私、妹だって言って貰えて嬉しかったです。私にはもう家族はいなくて、二度と、家族なんて……できないって思っていたから。だから、嬉しかったんです」

「ユエル……」


 シュエは何か言いたげに、ユエルをじっと見つめた。

 伏し目がちな金の瞳に物憂げに長い睫がかかっている。

 ユエルは不思議に思いながらその視線を見つめ返した。

 シュエの瞳を見つめていると、街の喧騒や騒めきが遠く感じられる。


 ユエルの姿を気にするものは、やはりいない。

 大通りには人が多く、中央にある大きな道には人が騎乗したデデルが行き交っている。

 今のユエルは、街に溶け込めているようで嬉しかった。

 シュエと一緒に街を歩くことができて、エスナや知らない人たちの恋愛事情や街の話を聞いて。


 けれどそれは――獣失を隠しているが故の、ひとときの幻想のような暮らしだと理解している。

 自分には手に入らないだろう日常を、シュエから与えて貰っているのだ。

 それを、忘れてはいけないと自分を戒める。

 シュエはユエルと繋いでいる手に力を込めた。


 硬く手を握られて、ユエルは少しだけ心配になった。繋いだ手は温かく、頬を撫でる春風は心地いい。

 空鯨は春を運んでくれる。穏やかな気候の地方へと――私たちは、向かっているのだ。


 もしかしたら少し手が、汗ばんでしまっているかもしれない。

 シュエの硬い男性の手の感触を意識してしまうと、余計なことが気になってしまう。

 安心できる。けれど同時に、妙に落ち着かなかった。


「君を邪魔なんて、思わない」


 ひとつひとつの言葉の意味を噛みしめるようにしながら、シュエはゆっくりと言った。


「ありがとうございます」


 その気持ちがありがたいと思い、ユエルは微笑んだ。


(この国にはいい人がたくさんいる。……シュエさんは、いい人。エスナさんは……でも、エスナさんは私が獣失だと知ったら、私を嫌うかもしれない)


 今のユエルには何もない。

 誇れるものは、何も。かつてはあったそれは、今は壊れて砕けて消えてしまった。


 シャボン玉が風の中でパチンと弾けるようなものだ。

 ユエルは弾けて消えてしまって、今残っているのはかつてユエルだったものの残骸だけ。

 ――それでも、生きていくしかない。


 今はシュエに頼り切りで、それは申し訳ないことだと思う。シュエがどんなに大丈夫だと、気にしなくていいと言ってくれても、どうしても罪悪感が胸を過ぎる。

 こうして一緒に歩くことは嬉しい。


 嬉しいけれど――いつか自分がシュエの邪魔になるのなら、すぐにシュエの傍から離れよう。

 それは、いつでも覚悟しておかなくてはいけない。


 ビストロアメリアのテラス席に座ると、愛らしい制服を来たウェイトレスの女性が発泡性の水を運んで来てくれた。


 甘栗色の巻髪に、ふっくらとした唇が特徴の愛らしい中にも色香のあるユエルと同じぐらいの年頃の女性だった。

 エスナの恋人を奪ったというのだからもっと年上の女性かと思っていたので、意外だった。


「シュエさん!」


 女性はユエルのことなど目に入っていないかのように、シュエの名前だけを呼んで花が咲いたように微笑んだ。


「いらっしゃいませ、シュエさん。お店に来てくれたんですね、嬉しい」


「……どうも、こんにちは。注文していい?」


「はい! もちろん」


 シュエに会えたことが嬉しくて仕方ないとでもいうように、女性は弾んだ声で言った。


「あっ、私のこと、忘れちゃいましたか? 私、メルディといいます。以前、シュエさんに怖い男の人たちに囲まれているところを助けて貰って、バルドさんからあなたの名前、シュエさんだって聞いたんです。会えて嬉しい」


「そう。元気そうでよかった。マトンミートのパスタとトマトサラダ、川エビのカクテルとナスのチーズ焼きクック鳥のグリル。アイスティーを二つ。頼んでいいかな」


「はい、分かりました。少々お待ちくださいね」


 メルディはサラサラと帳面に注文を書き付けると、店の中に戻っていった。

 テラス席には明るい日差しが降り注いでいる。

 テーブルに広げてあるメニュー表を見ても何を頼んでいいのかユエルには分からなかったので、シュエがさっさと注文してくれたことがありがたかった。


 シュエはテーブルに頬杖をつくと、少しだけ疲れたように溜息をついた。


お読みくださりありがとうございました!

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