ユエル、妹になる
エスナにユエルを彼女だと言われて、シュエは苦笑した。
「エスナさんは、恋の話が好きだよね」
「恋の話以上に楽しいことなんてある?」
「それは人それぞれとは思うけれど。エスナさん、バルドさんとは結婚はまだなの?」
「別れたわよ」
エスナは肩をすくめる。
シュエは茶色の革製のボディバッグから財布を取り出した。
「そう、残念だね、エスナさん。それで、全部でいくら?」
「諸々サービスして、七万ピルスってとこね」
「ずいぶん安いね。いいの?」
「いいのよ。シュエちゃんがはじめて連れてきた彼女だもの。お祝いってやつよ」
紙幣を取り出して支払いを済ませるシュエに、ユエルは深々と頭をさげた。
ユエルが獣神殿から出るときに渡された金は、ずっしりと重たい金貨だった。けれど基本的にこの国の貨幣は、イスフィミア皇帝の権限で発行されている紙幣である。
空鯨の背では、金は滅多に採れない。
貴重な金の代わりに紙で代用するようになったのが今だ。ただ、金貨というのもまだ存在していて、金貨を金として使用する場合は、換金所で紙幣に変えるのである。
あの金貨があれば、シュエに迷惑をかけずにすんだのにと、ユエルは思う。
だがもう失ってしまった以上考えても仕方のないことだと、その考えを振り払った。
「ありがとうございます、シュエさん。このご恩は必ず、働いてお返しします」
「いいって、そんなにかしこまらなくても。ユエルは気にしすぎだよ」
「そうよ。ユエルちゃん、覚えておいて。男にはね、貢がせるの」
エスナが胸をはって、諭すように言う。
それは一体どういうことなのだろうかと、ユエルは首を傾げた。
「貢がせる……」
「エスナさんはユエルによけいなことを教えないで。ユエル、エスナさんの言葉は話半分程度に聞いておいてね。エスナさんは恋の話も好きだし、恋多き女……っていうやつだから」
「恋多き女。なんだか格好いいですね」
恋――それは、どんなものだろうか。
今までのユエルは空鯨への敬愛のみで生きていた。自分の役割以外のことを考えるような暇などなかったのだ。
それぐらい、獣操士という仕事はこの国にとって重要なものだ。
同じ獣操士の仲間とは家族のようでもあり、けれど同時にひどく他人行儀だった。
同じ神殿で生活をしていて、会話も交わすこともある。幼い頃に力が発現する者が多いために、子供だったころから長らく共に過ごしている者のほうが多い。
けれど親睦を必要以上に深めることがないのは、皆いつかは獣失を起こすと考えているからだ。
獣失を起こしてしまえば、獣操士の仲間と会えることは二度となくなる。
獣神殿にいる獣操士たちは、獣失を起こしたあとの仲間がどうなったのかを知らない。ユエルもそうだった。考えたこともなかった。
獣失を起こした者のことは忘れる。そう――教えられてきた。よく考えれば、それはとても冷たい気がする。
もしかしたらユエル以外の仲間はそうではなかったのかもしれない。
恋愛関係にある者も、あったのかもしれない。
けれどユエルは知らない。獣神官たちには結婚している者も子供がいる者もあったし、話を聞くこともあったけれど。ユエルにとってそれは、別の世界の出来事のように感じられていた。
だから、恋多き女というエスナをユエルは尊敬の眼差しで見つめた。
「格好いいのかな……」
「でもね、バルドとは結婚しようって思ってたのよ。恋多き女は卒業! 結婚してあたしも幸せになるわ! って、決意してたのに」
「どうして、別れてしまったのですか……?」
「聞いてくれる? ユエルちゃん。バルドの馬鹿はね、ビストロアメリアの若いウェイトレスと浮気してたのよ。だから振ってやったの。これで五人目よ。あたしは浮気される星の下に生まれたのよ」
「……ひどい」
「酷いのよ! 酷いの! シュエちゃんは絶対に浮気なんかしちゃ駄目よ」
「俺とユエルは恋人じゃないよ。なんて言えばいいのか、妹、みたいな感じかな」
妹――。
シュエに言われたその言葉が嬉しくて、ユエルは頬を染めた。
家族を失ってしまって、一人になってしまったと思っていた。
けれど、シュエがいてくれる。兄だと思って、いいのだろうか。勿論本当に兄ではないことぐらい、百も承知なのだが。
「出た。妹。出たわ。あたしの一番嫌いなやつ! 今まで浮気した男たちはね、浮気したでしょ!? ってあたしが問い詰めると、あれは妹みたいなものだ……とか言ってきたのよ!? シュエちゃん、二度と言わないで」
「うん。なんかごめんね、エスナさん」
憤慨しているエスナにシュエは軽く謝って「逃げよう、ユエル」と言って、ユエルの手を引いてさっさと店を後にした。
「だ、大丈夫でしょうか、エスナさん……」
「そうとう気が立っているね。男に浮気されて、別れたばかりだからだろうね」
「それは辛いですよね」
「バルドさんが浮気するとは思えないんだけど……どうなんだろうね。まぁ、俺たちが口を出すことじゃないし。行こう、行こう」
シュエはあまり気にしていないようにのんびり言って、「そろそろご飯を食べようか、ユエル」と微笑んだ。
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