はじめてのお買い物
シュエと共にユエルは、街外れの喫茶店から歩いて街まで向かった。
橋を越えて、左右に背の高い木々のはえている小道を抜けると、唐突に開けた場所に辿り着く。
オレンジ色の屋根に白い壁の家々が立ち並び、道には煉瓦が敷かれている。
「俺の家から街まではだいたい三十分ぐらい。林を抜けた先に街があって、道は真っ直ぐだから迷わないとは思うけれど、心配だから一人では街に出てはいけないよ」
「はい。約束です。一人では街に来ません」
ユエルは神妙に頷いた。
今はシュエの魔法で髪を黒くしてもらっているけれど、白い状態でうろうろしていたら、獣失を起こした者だとすぐに知られてしまう。
そんな女を家に住まわせているシュエの評判だって落ちてしまうだろう。
「あのね、ユエル。もしかして勘違いしているかな」
「勘違い?」
「うん。ユエルが獣失を起こしたって、俺が隠そうとしているって」
「い、いえ、そういうわけではないのですけれど……でも、私、できるかぎり迷惑をかけたくありません」
ユエルが生真面目に答えると、シュエはやれやれというように軽く首を振った。
「迷惑なんて思っていないよ。でも、そうだね。俺はさっき君の髪を黒に変えたから、そう思われても仕方ないよね」
「髪、嬉しいです。元の私に、戻れたみたいで。髪から、シュエさんの魔力を感じるような気がするんです。柔らかくて、優しい、春の風みたいな魔力です」
「俺の魔力を? ユエルは面白いことを言うね」
「変でしょうか……」
「いや。魔力を褒められたのははじめてだけれど、嬉しいな」
シュエは軽く小首を傾げると、それからユエルの髪をさらりと撫でた。
「白い髪も綺麗だよ。これは本心。髪の色を変えたのも、一人で街に行くなって言ったのも、ユエルが傷ついて欲しくないからなんだ。家の保護のない獣失を起こした獣操士はね、人の扱いを受けないことが多くて。……特に可愛い女の子は、攫われることもあるから」
悩ましげにシュエは言う。
ごく自然に伸びてきた手が、ユエルのそれと重なった。
ぎゅっと手を繋がれるのは、危険から守ろうとしてくれているからだろう。
シュエの優しげで繊細な容姿とは違い、その手は骨張っていてしっかりとした男性のものだった。
「攫われる……攫っても、もう魔法は使えないのに?」
「うん。そうだね。……男性の場合は、オステン区やケルコス区で労働力になることもあるけれど、女性は……ともかく、危ない目に合う可能性が高い。ユエルが俺のところに辿り着いてくれてよかった」
「そうなのですね……気をつけます」
「俺と一緒にいれば、大丈夫だとは思うけれど。でも、何かあったら大声をあげるんだよ。すぐに助けに行くから」
「ありがとうございます」
「これでも一応魔導師だし、それなりには戦えるからね、大丈夫だよ」
「はい、頼りにしています」
ユエルはシュエを見上げて微笑んだ。
シュエに出会うことができて、本当によかったと思う。
ユエルは獣神殿の外のことは、何も知らないに等しいのだと、今の話を聞いて思い知った。
獣失が差別されていることも、攫われて危険な目に合うことも知らなかった。
ここ、空鯨の背中の上に住む人々は皆、家族――だと、聖イスフィミア皇国では教えられている。
だからユエルはこの国には悪い人なんていないと思っていた。
皆優しくて、親切で、いい人ばかり。そう、思い込んでいた。
(優しくていい人ばかり……そんなわけ、ないわよね。シュエさんは特別、優しい人だ。出会えてよかった)
ユエルはシュエに手を引かれて歩きながら、感謝を捧げた。
ユエルの感謝は今まで空鯨のみに捧げられるものだったが、そうではなく、今はごく自然にシュエに感謝をしていた。
シュエと出会えていなかったら、今頃ユエルは攫われていたかもしれない。
可愛い女の子――ではないけれど、ユエルも一応女性だ。
だから、何かしらの怖い思いを、することになっていたかもしれない。
まだ出会って二日しか経っていないけれど、ユエルにとってシュエは頼るべき相手であり、全幅の信頼を寄せる相手になろうとしていた。
その優しい口調も、気遣いも、全て。
心地がよく、一緒にいると安心できるものだ。
繋がれた手の温かさに、失ってしまった家族を連想した。
人通りの多い商店街に入っても、ユエルの姿を気にする人は誰もいなかった。
皇都は広い。昨日ユエルは自分がどこをどう彷徨ったかすら思い出せなかった。
ユエルに話しかけられた人々も、ユエルの顔ではなくて髪を見ていたのだろう。
黒髪になるとユエルの顔を誰も覚えていないようだった。白い髪のままではこうはいかなかっただろう。
大通りの服屋に入り、シュエはユエルの為に冬の服と、春の服、夏の服を数着買ってくれた。
それから、女性の店員にユエルを任せて下着を何着か選ぶように言った。
「あなた、シュエちゃんの彼女?」
店の奥にある小部屋になっている試着室に下着を何着か運びながら、店員の女性はユエルに尋ねた。
大きな鏡と、ふかふかの絨毯と小さな椅子のある試着室の中に所在なく立っていたユエルは、とんでもないと首を振った。
「違います……私、その、なんていうか」
「彼女じゃないの?」
「は、はい、昨日あったばかりで……」
「恋に時間なんて関係ないわよ。あたしはエスナ。よろしくね」
エスナさん――と、ユエルは心の中で呟いた。
ユエルよりも年上の女性だ。スタイルのいいやや派手な顔立ちの大人の女性で、大胆に襟足を借り上げた髪型で、耳に大ぶりの耳飾りをしている。
「シュエちゃんが女の子を連れて歩いているところ、はじめて見たわ。若くて顔立ちもよくて物腰も柔らかいのに、少し変わっているからね、あの子」
「変わっているんですか……?」
「そうそう。何者なのか誰も知らないのよ。喫茶パライナの店主ってことだけは知っているんだけど、いつからあそこに住んでいるのかも、どこから来たのかも誰も知らないの。ずっと昔から変わらない姿であそこにいる、森の精霊みたいなものなんじゃないかって、皆言っていて……」
「森の精霊……」
「うん。不老不死のね。千年以上、あのまんま」
「そんなことがあるのでしょうか」
「あくまで、噂よ。本人に言うと、そんなわけがないよって笑って流されちゃうけれどね。でも、本当に誰もシュエちゃんが何者なのか知らないのよ。あなたは……ユエルちゃんだっけ。ユエルちゃんは知っている?」
「いえ……私も知らないです。でも、優しい人だと思います」
「大切にして貰っているのね。じゃあ、とびきり可愛い下着を選びましょう。お洋服も、サービスで何着かあげちゃうわね」
「下着は誰にも見せたりしないので、可愛いとか、可愛くないとかはあんまり……」
「下着は大切よ、ユエルちゃん。お姉さんに任せておきなさい」
エスナは次々と服や下着を運び込んでは、ユエルに着せた。
今まで獣操士の服ばかり着ていたユエルは、下着や服についてあまり気にしたことがなかった。
胸を大きく見せるために肉を寄せる方法や、下着の身に付け方などをエスナは教えてくれた。
たくさんの下着や服を、袋に詰めると、試着室から出たエスナはそれをシュエに渡した。
今までこんなに服を着たり脱いだことしかないぐらいに着せ替えをされたユエルは、少し疲れを感じながらふらふらとエスナの後に続いて試着室を出た。
「ユエルちゃんは細すぎるからもう少し食べた方がいいわ」
エスナがシュエに言う。
ふらつくユエルを軽く支えるようにしながら、シュエは困ったように眉を寄せた。
「エスナさん、ユエルを玩具にしたでしょう」
「あたし、可愛い子を見ると可愛い服を着せたくなるのよ」
「それは知っているけれど、頼んでいたよりも服の量が多い気がするよ」
「サービス分も入っているわ。お礼は、シュエちゃんの店でおごりでいいわよ」
「それは別に構わないけれどね。ユエル、疲れたでしょう。大丈夫?」
「は、はい……」
シュエに顔を覗き込まれて、ユエルはなんとか返事をした。
エスナがにこにこしながら「やっぱり恋人じゃない」と弾んだような声で言った。
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