お風呂と魔法
カルボナーラを食べ終えて、シュエはユエルを二階へと連れて行った。
喫茶パライナは一階はお店になっていて、居住空間は二階にある。
キッチンは一階のお店のものがひとつきりで、二階にあるのはお風呂などの水回りと、とリビングと寝室。
空鯨は雲の下を飛ぶこともあれば雲の上を飛ぶこともある。
雨が降ることもあるし、晴れることもある。空鯨の上に湧き出るお水は枯れることはなく、塩山からは塩が取れて、鉱山からは鉱石もとれるし木材もとれる。
全て、空鯨様からの賜物だと言われている。
人々はお水を大切にするし、燃料もとても大切にする。
獣神殿では風呂は、水桶に水を汲んで布を絞って体を拭いていた。使用後の水は洗浄剤と分離させるために濾過器に入れて、畑や花壇に使用していた。
だから、シュエの家の二階にある大きなお風呂を見て、ユエルは驚きながらシュエを見上げた。
タイル張りの浴室に、大きな全身がすっぽり入ってしまうような浴槽がある。
浴槽には並々と湯が張ってあって、タイルの床には排水溝がある。湯からは湯気が立ち昇っていて、見るからにあたたかそうだった。
「シュエさん、これは……」
「これは、風呂。一人きりで、代わり映えのない毎日を続けているとね、楽しみが風呂と、食事くらいしかなくなってしまってね。最近は、風呂で本を読んだりとか……あと、音楽を聴いたりとか。真っ暗な夜に星を見ながら、長時間風呂に入ってるのも、なかなかいい感じなんだ。今度やってみる?」
嬉しそうに、シュエは話した。
ユエルはシュエと風呂に交互に視線を送った。本を読むのはわかる。けれど、音楽を聴く、というのはなんだろう。
わからないことだらけだ。
「今日は、とりあえず風呂に入って寝てしまった方がいいね。きっと自分が思っている以上に、いろいろあって疲れているだろうから」
「あの、お湯、こんなにたくさん使わせていただくわけにはいきません。それは、贅沢です」
「大丈夫だよ。俺は魔導師って言ったでしょう。これは、水と炎を組み合わせてつくったお湯でね。お湯をつくるのは結構簡単で、空気中に漂っている水のエレメントと火のエレメントをそこそこの分量で混ぜ合わせて発現させるだけだから」
「お湯も、魔法なのですか?」
「うん。飲み水も、お湯もね。使用後には濾過装置に流して、畑とか花壇とかに再利用しているよ」
「それは、獣神殿でも同じでした」
「獣神殿では、浴槽には入らなかった?」
「はい。水桶で体を拭いたり、髪を洗ったりはしましたけれど」
「それじゃあ今日はゆっくり入ってごらん。びっくりするほど気持ちいいよ。それから、その長い髪だと大変だろうから、少し切ってあげるね」
ユエルの体を、風が包み込んだような気がした。
ふわりと髪が靡いて浮き上がったと思ったら、ぱさりと落ちてくる。
「鏡を見て。これぐらいでどうかな」
脱衣所にある鏡に映ったユエルの、邪魔なぐらいに長かった髪は、目の上と肩のすぐ下ぐらいで、綺麗に切り揃えられていた。
ずっと伸ばしていたから毛先がかなりパサついていたけれど、切ってしまうとそれは少しも気にならなかった。
「ありがとうございます、シュエさん」
「女性の髪を切るのは、いけないことのような気がするのだけれどね。ごめんね、ユエル」
「とても、軽くなりました。心も、体も」
「そう。よかった」
鏡に映ったユエルは自分自身ををじっと見つめる。
白い髪に、アプリコット色の瞳。獣神殿で長らく働き気づけば、十八歳の女に成長していた。
ユエルの中の自分自身のイメージよりも、その姿はずっと大人びて見えた。
「風呂の入り方はわかる? 石鹸と、髪用の洗浄剤があるよ。風呂の湯を使っていいから、洗い桶にくんで髪や体を洗い流して大丈夫。お湯は、排水口から流れていくから心配ないよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「困ったことがあれば呼んで。脱衣所に、タオルと着替えを用意しておくね。洗濯物はカゴの中に。洗濯は明日の朝。一緒にやってみようか」
「はい!」
仕事を与えてもらうのは嬉しい。
ユエルが大きな声で返事をすると、シュエは優しく微笑んで「それじゃあごゆっくり」と言って、脱衣所から出ていった。
一人になった脱衣所で、ユエルは服を脱いで、脱いだ服をカゴに入れた。
浴室の中に足を踏み入れる。足の裏に、ひんやりとしたタイルの感触がある。
洗い桶にお湯を汲んで、ザバっと体にかけてみる。
「気持ちいい……」
ユエルはびくりと体を震わせて、それから、ほうっと息をついた。
布で体を拭くのと、全く違う。
あたたかくて、さっぱりして、気持ちいい。
お湯をかけて髪を濡らすと、シュエに教わった通り、石鹸を泡立てて体を洗って、それから洗髪料で髪を洗った。
どちらも、花のいい香りがする。もう外は暗い。浴室の大きな天窓から、夜空が見える。
天井の火石ランプが浴室を柔らかい橙色に照らしている。
頭から湯をかけて泡を落とすと、ユエルは恐る恐る浴槽へと体を沈めた。
全身を湯につけるのはこれが初めてだ。
「……っ、すごい」
じんじんと、手足が痺れるような感覚がある。
湯が指先から体に染み込んでくるようだった。お湯の中では体がふわふわとおぼつかない感じがする。
それがとても心地よくて、ユエルは目を伏せる。
家族に捨てられた記憶も、金を失った記憶も、街の皆から拒絶された記憶も、今は遠い。
なんだか、このまま眠ってしまいそうな感じがした。
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