大聖女と大聖女 1
「ん……」
目を開けるとカーテンの隙間から差し込む光が眩しくて、寝返りを打つ。
するとベッドの側の椅子に腰掛けるフェリクスと、至近距離で目が合った。
「おはよう、ティアナ」
「…………」
「無事に目が覚めてくれて、本当に良かった。全身の怪我と瘴気による穢れが酷くて、イザベラが泣きながら治療してくれたんだよ」
そう言われてようやく、自分の身に何が起きていたのかを理解した。同時に慌ててベッドから身体を起こし、フェリクスに向き直った。
「シルヴィアはどうなったの……!?」
「まだ意識は戻っていないけど、命に別状はないよ。ティアナがほぼ浄化を終えて意識を失ったところで、シルヴィアから分離して逃げ出した魔物を俺が殺したから」
「……そうだったのね。本当にありがとう」
無事に諸悪の根源である魔物を倒せたのだと思うと、全身の力が抜けるのが分かった。同時に、涙腺が緩んでいく。
「………良かった」
帝国が呪いによって失ったものは多く、まだ全てが元に戻ったわけではない。
それでも、これ以上苦しむ人々が増えることはないこと、そしてエルセの死の原因についても知り、魔物を倒せたことによる安心感が込み上げてくる。
自分が思っていた以上に、不安だったのかもしれない。
「こちらこそ、本当にありがとう。全てティアナのお蔭だ」
そっと抱き寄せられ、大好きな温もりに身体を預ける。フェリクスの腕の中は何よりも安心できて、より涙が滲んだ。
「ううん。フェリクスがいなければ、絶対に倒せなかったもの」
フェリクスが魔物を弱らせ、追い詰めてくれると信じ、実現してくれたからこそ、私はこうして今無事に生きているのだから。
「もう二度と、あんな思いはさせないでくれ」
「……ええ、勝手なことをしてごめんなさい」
きっと私がフェリクスの立場で目の前で苦しむ姿を見ていたら、もどかしくてやるせない気持ちになっていただろう。
それでも最後まで支えてくれ、魔物を倒してくれた彼には感謝してもしきれない。
フェリクスはやがて、私の肩にぽすりと頭を預けた。
「……エルセの仇が取れて、良かった」
そして掠れた声でそう呟いた彼に、ひどく胸が締め付けられる。エルセを目の前で亡くしたフェリクスは一生忘れられないほど傷付き、罪悪感を抱き、自分を責め続けて生きてきたのだろう。
「ありがとう、フェリクス」
──この言葉はエルセ・リースとしてのもので。フェリクスがずっとエルセを大切に思っていてくれて、本当に嬉しかった。
どうかこれからはもう、過去に囚われず自分のために生きてほしい。そう話すとフェリクスは震える声で「ああ」と頷いて、私を抱きしめる腕に力を込めた。
「……本当に、好きだったよ」
◇◇◇
その後はゆっくり食事をしてお風呂に浸かって、改めてフェリクスと話をした。
今やファロン王国内は「大聖女が魔物に取り憑かれていた」と広まり、大騒ぎだという。
いずれ帝国の「呪い」の原因についても明らかになるだろうし、前代未聞の出来事は国外にも広まり、騒然となるはず。
私達が今いるのは王城の敷地内にある離宮で、王城内も慌ただしいため、静かに休めるよう配慮された結果だそうだ。
広大な庭園に囲まれており使用人と私達しかおらず、とても静かだった。
「ティアナの魔力が呪いに使われていたことは、伏せておこうと思う。……真実が正しく伝わるとは限らないから」
隣に座るフェリクスは静かにティーカップをソーサーに置き、困ったように微笑んだ。
私がシルヴィアや魔物に協力していた、と話が歪曲して伝わることを危惧してくれているのだろう。私もなるべくなら誤解を避けたいし、そうさせてもらいたいと頷いた。
「……それにしても、まさかシルヴィアの恋心が全ての元凶だったとは」
フェリクスは深く息を吐くと、ソファの背に体重を預ける。以前、犯人はシルヴィアだろうと話したけれど、その原因までは誰も想像していなかった。
フェリクスも幼い頃からシルヴィアと関わりはあって、エルセの死後も彼女がファロン王国へ行くまで何度も会話していたという。
その時にはもう既に魔物に意識を奪われていただろうし、エルセの仇と知らずに過ごしていたことを悔やんでいるようだった。
(でも、やっぱりやるせない気持ちになる)
シルヴィアは悲しみや妬みという感情を抱えてしまったところを、あの魔物につけ込まれてしまったのだろう。
全てを話し終えた後、フェリクスは両手で私の頬を包み、自身の方を向かせた。
「エルセは悪くないよ」
「……ありがとう」
私が罪悪感を抱いていることに気付いた優しい彼は、いつだって欲しい言葉をくれる。
そんなところも好きだと、心から思う。
「だけど」
「うん?」
「ルフィノ様がエルセに告白したなんて話は初耳だったな」
「えっ、あっ……そうね」
ルフィノが誰かに話すとは思えないし、私がわざわざフェリクスに報告するのもおかしな話だから、知らないのは当然だった。
「……なんて返事をしたの?」
「その、驚いたから特には……ふんわりした感じで」
「だろうね」
フェリクスはそう言うと「駄目だな」と呟き、前髪をくしゃりと掴んだ。
「もっと余裕のある男にならないと」
「フェリクスはいつだって余裕があるじゃない」
「あなたのことだけは上手くいかないんだ」
そう言って微笑むと、フェリクスは真剣な表情を浮かべて私を見据えた。
「これから、どうしたい?」
「……まずはシルヴィアと話をしたいわ」
どんなことがあっても、シルヴィアは重罪を免れない。彼女だってそれは理解しているはず。
まずは目を覚ました後、シルヴィアときちんと話をしたいと思っている。
「ルフィノ様もファロン王国へ向かっているそうだ」
「……そう」
きっと優しい彼は真実を知ったら、私以上に自身を責めるに違いない。けれど知らないままでいることだって、ルフィノは望まないはず。
(……辛くても悲しくても、前に進まなきゃ)
そう決意をして、胸の辺りをきつく握りしめた。