最後の戦い 3
──魔物に魂を売り、その力を得る方法は存在する。
かなりの命の危険が伴う上に、大罪として大陸全土において禁止されていた。そもそも魔物が人間の言うことなどをまともに聞くはずがないし、信頼関係など成り立たない以上、いいように利用されるだけ。
魔物がかなり強い力を持つものであること、人間との相性、人間側が強い恨みや悲しみといった強い負の感情を抱いていることなど、細かな条件がいくつも重なり、奇跡のような確率で成り立つもののはず。
何より魔物が力を得られるほど特別な魔力を持つ人間であることも重要で、聖女であるシルヴィアならその条件を満たせる可能性があった。
(……聖女の魔力は魔物にとって毒だけれど、魂はご馳走にあたるのだと聞いたことがある)
前世、魔物に魂を売った人間を一度だけ見たことがある。
欲に溺れた強い魔力を持つ魔法使いが魔物に魂を売り、自我を失い家族や友人まで殺し、魔物に取り込まれていた。
『助けて、クれ……お願イだ……』
完全に魔物と化した相手をルフィノと共に討伐に向かい、追いつめた際、魔物の身体から聞こえてきたのは苦しみ助けを乞う人間の声だった。
もう人間の意識など残っているはずがない状況で、間違いなく魔物が生き延びるために、人間のふりをしているだけ。
そう分かっていても、やり切れない気持ちになった。
『僕が倒しますから、エルセは離れていてください』
『……ごめん、なさい』
そんな私に気付いたルフィノが気を遣ってくれて、彼に甘えてしまったけれど、本当に気分の悪いものだった。
魔物というのはどこまでも卑劣で邪悪な生き物だと、あの時に強く思い知った。
「……もう、シルヴィアの意識はないのね」
「ようやく気付いたのか。本当に人間とは愚かよなあ。これまで誰も気付きやしなかった」
シルヴィアの形をした魔物は楽しげに笑い、軽く手を叩いてみせる。やはり事実らしく、ひどく胸が痛んだ。
顔も声も同じなのに、話し方が変わったことで全く別の生き物に感じられた。
(ずっと、おかしいとは思ってた)
私が知るシルヴィアは生まれ育ったリーヴィス帝国を大切にしていたし、何より今の性格は前世で親しかった彼女とはまるで別人だったからだ。
この魔物に身体を奪われてからずっと、シルヴィアの元の人格は失われていたのだろう。
「魂を喰ってやったが、この女も同意の上だ」
「どうして、そんなことを……」
「封印から解き放たれて弱っていたところで、強い恨みや悲しみを抱いていたこの女を見つけ、利用してやったんだ」
私はシルヴィアを信頼できる部下であり、親しい友人だとも思っていたけれど、彼女からはそんな話なんて何も聞いていなかった。
魔物に魂を売るという選択を聖女がするなんて、相当な理由があったはずなのに。
「だが私も、ひとつだけこの女の願いを叶えてやったよ」
「シルヴィアの、願い……?」
「ああ、聖女を一人殺した」
「……え」
──この魔物が殺した聖女というのは間違いなく私、エルセ・リースのことだ。
リーヴィス帝国には私とシルヴィア以来、聖女は現れていないのだから。
『フェリクス、早く逃げて!』
『な、なんで……ここから、出られない……!』
十七年前に殺された時のことにも、全て納得がいった。
私とフェリクスはおびただしい魔物に囲まれ、出られないように結界が張られていた。
魔物は結界を張れないし、人間によるものだと思っていたけれど、あれはシルヴィアの力によるものだったのだろう。
そして魔物が皆私を狙っていたのも、この魔物の命令に従ってのことに違いない。
人間が魔物を操ることができるなんて聞いたことがないし、おかしいとは思っていた。けれどそれを命じていたのが魔物だとすれば、辻褄が合う。
低級の魔物に知能はないものの、強いものになればなるほど知能もついてくる。あの場にいた魔物達は上位だったものの、さらに強い魔物の命令なら聞いてもおかしくはない。
「でも、どうして……」
友人であるシルヴィアが、どうして私を殺す必要があったのか分からない。
(シルヴィアと最後に話したのは、私が死ぬ二日前だった)
私が死ぬ二日前までシルヴィアはいつも通りだった。普段通りに一緒に仕事をして、食事だって楽しくお喋りをしながらとった記憶がある。
その翌日──私が死ぬ前日に、起こったこと。記憶を遡っていき、やがて点と点が線で繋がる感覚がした。
(……どうして、今まで気付かなかったんだろう)
全身の血の気が引いて、心臓が嫌な音を立てていく。
あの日は、私がルフィノに告白された日だった。