最後の戦い 2
彼女の瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「ごめ、……なさ……っ……」
「大丈夫だから、何があったのかを教えて」
長年私を虐げていたエイダやサンドラに対して、腹立たしい気持ちはある。それでも前世の記憶を取り戻した今は、子どもの過ちだとしか思えなかった。
彼女達もまた幼い頃に神殿へ連れてこられ、普通の暮らしとは完全に断絶されていたのだ。
神殿内の常識しか知らず、絶対的な存在であるシルヴィアの元で育てば、シルヴィアの影響を強く受けて歪んでしまうのも当然だった。
「シルヴィア様が……おかしく、なって……呪いに、侵されてる、みたいで……」
子どものように泣くエイダから話を聞くと、やはりシルヴィアは呪い返しを受け、常に苦しみ続けているそうだ。
十五年もの間、帝国の五箇所に溜まっていた強い呪いをその身に受けたのだから、今生きていることすら奇跡だろう。その苦しみは想像を絶するものに違いない。
そんな状態ではまともな精神を保てるはずもなく、常に周りの人間やエイダ達にも当たり散らし、時には暴力を振るうこともあるという。
大聖女としての仕事は一切できず、まともに眠ることすらできない状態らしい。
その結果、呪いの痛みや苦しみを緩和するため、常にエイダとサンドラに聖魔法での治療をさせているそうだ。
(だからこそ、こんなにも憔悴しているのね……)
魔力を限界まで使わされ、心身ともに限界が来ているのだろう。このままでは命を落としてもおかしくはない。
それでも彼女達に、逃げ場はないのだ。
ここを出ることだって許されないし、きっと出たところで神殿を裏切ったとなれば立場は悪くなり、家族の元へ帰ることだってできなくなる。
(……本当に哀れだわ)
声を上げて泣き続けるエイダの背中を撫でると、案内はいいから部屋に戻るよう告げた。
「で、でも……」
「あとは私に任せて」
私がこのまま逃げた場合、シルヴィアに叱られることを恐れているのだろう。まっすぐに目を見て、ちゃんと行くから大丈夫だと言い聞かせる。
「……あなた、本当にティアナ、なの?」
私に対して、彼女は信じられないという表情を向ける。泣き虫でいつも俯いていた頃の私しか知らないのだから、当然なのかもしれない。
「ええ、そうよ」
それだけ言うと私はエイダを置いて、シルヴィアの部屋へと向かった。かつては毎日のように通わされて雑用や世話をさせられていた私に、そもそも案内など必要ない。
(なんて酷い瘴気なの……)
シルヴィアの部屋が近づくにつれ、強い呪いの気配と瘴気が濃くなっていく。最も澄んでいるべき場所である神殿内がこんな状態なんて、異常という言葉では片付けられない。
これが露見すれば陛下だって黙ってはいないだろうし、ファロン神殿はもう終わりだろう。
聖女の他にも気付いている人間はいるはずなのに、シルヴィアを恐れて隠蔽し続けているのだから、救いようがない。
シルヴィアの部屋の前に着くと、私は静かに声をかけた。
「ティアナよ」
「……入りなさい」
掠れたシルヴィアの声が聞こえてきて、一瞬だけ身体が竦んだ。意志と反したこの反応は、身体に染み付いているシルヴィアへの恐怖によるものだろう。
深く息を吐き、ゆっくりと扉を開けて中へ入る。
足を踏み入れた瞬間、ぶわっと瘴気に包まれ、すぐに魔力を身体に纏って身を守った。これほどの瘴気を発しているのは、シルヴィア自身だったらしい。
(こんなのもう、人間じゃないわ)
これほどの瘴気を発していながら生きているなんて、間違いなくおかしい。
「まるで魔物ね」
そう呟くと、最奥にあるベッドで横たわっていたシルヴィアは、ゆらりと身体を起こした。
「……お前、ずいぶん生意気な口を聞くようになったわね。魔力を取り戻しただけで調子に乗っているのかしら」
彼女も最後に見た時よりもずっと窶れ、老けたように見える。老けたと言うより、現在の彼女の年齢である三十後半の年相応になったというのが正しいだろう。
真っ赤な髪の艶は失われ、光のないエメラルドの両目の下には濃い隈ができている。
エルセが死んだ頃から一切歳をとっていないことを不思議に思っていたけれど、もしかすると私の魔力も何らかの形で使われていたのかもしれない。
何より一番目を引いたのは、全身の肌が呪い返しによって黒く染まっていることだった。蛇のような痣は首や顔にまで及んでいて、全ての呪いを解いた結果だろう。
「お前のせいで……私は、こんな……!」
「自業自得でしょう? 自分が招いたことじゃない」
虚勢を張ってはいるけれど、かなり弱っているのが見てとれた。私を一人で呼び出したのは、再び私の魔力を奪おうとしているからに違いない。
シルヴィアはさらに苛立ちを浮かべ、立ち上がった。
「魔力を取り戻したからといって、私に敵うとでも?」
私が全ての魔力を取り戻したことを知ってなお、私に勝てるという自信があるようだった。
確かに今のシルヴィアの澱んだ魔力は、量だけで言えば私とさほど変わらない。とても聖女が使うような力ではなく、全てが魔物と同じように感じられる。
そしてしばらく彼女の様子を窺っているうちに、気付いてしまった。
「……あなた、魔物に魂を売ったのね」
私の言葉に対し、シルヴィアは否定をすることなくにやりと口角を上げるだけ。