最後の呪い 4
今すぐにでも治癒魔法をかけたいけれど、今の私にそんな余裕なんてない。
(とにかく今の私にできるのは、フェリクスを信じて呪いを解き続けることだわ)
必死に解呪を続けるうちに異常なほど魔力や体力が削られ、呪いの反動で刺すような痛みや苦しみが全身へ広がっていく。
くらくらと目眩がしてきて、もう立っているのがやっとだった。きつく唇を噛み、必死に堪える。
ここで少しでも押し負ければ、呪いに飲み込まれてしまうだろう。
《ティアナ様、ご無事ですか?》
「イザベラ!」
そんな中、ずっと反応がなかった通信用の魔道具から、イザベラの声が聞こえてきた。無事だったのだと胸を撫で下ろしながら、すぐに返事をする。
《ルフィノ様のお蔭で、もうすぐ解呪が終わります。そちらはどうですか?》
「こちらも多分、もうすぐ終わるはずよ」
《それなら良かっ──ゲホッ、ごほっ……》
「イザベラ? 大丈夫なの!?」
《すみません、ちょっと内臓がいくつかやられて、血を吐いてしまっただけです》
私もまだまだですね、なんて明るい声が耳に届いたけれど、本当なら彼女だって言葉を発するだけで苦しくて仕方のない状態に違いない。
けれど、ここで「もういい」なんて言えるはずがなかった。聖女として、仲間としてイザベラを信じ、必ず今ここで呪いを解くほかない。
《最後は同時に思いっきり魔力、流し込みましょう!》
「ええ、分かったわ」
こんな時でも明るく前向きなイザベラに、元気付けられる。本当に本当に、あと少し。
最後の力を振り絞り、イザベラの「いきます」という声に合わせて、ありったけの魔力をロッドを通して魔法陣へと注ぎ込む。
(──これで終わりよ!)
そして強く祈った瞬間、ぱっと空気が澄み渡ったのが分かった。呪いが無事に解けたのだと悟った瞬間、全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
「はあっ……はあっ……」
あれほどあった魔力はもうほとんど空っぽで、身体のあちこちが軋むように痛む。
《や、やり、ましたね……もう、限界です……》
「……ええ……」
お疲れ様という言葉すら発するのも苦しくて、必死に呼吸を繰り返しながら床に倒れ込む。
イザベラも無事なようで、安心して目を閉じた。体中が熱くて、ひんやりした床の感触が心地よく感じる。
「ティアナ!」
やがて初代皇帝を倒したらしいフェリクスが駆け寄ってきて、私を抱き上げてくれた。
顔や腕、身体にまで切り傷ができていて、服のあちこちに血が滲んでいる姿からは、かなり苦戦を強いられたことが伝わってくる。
小さく震える右手を彼にかざし、治癒魔法を使う。解呪で魔力は一旦使い切ったものの、呪いに使われていた残りの30パーセントほどの魔力が戻ってきていた。
「すぐに、治すから」
「俺は大丈夫だよ。だから身体を休めてほしい──と言っても聞かないんだろうね」
「ええ」
諦めたように笑いながら「ありがとう」と言うフェリクスは、私をよく理解してくれている。これほどの怪我をしているフェリクスを放置して休むなんて、できるはずがない。
むしろあんな相手に勝利してみせた彼の強さに、なぜだか少し笑ってしまう。
「あなたって、本当にすごいのね」
「……それはこちらのセリフだよ」
そんな私を見てフェリクスも安堵したように眉尻を下げると、柔らかく微笑んでくれた。
◇◇◇
「あーもう疲れました、本当に! 今日から一週間は寝て過ごします!」
王城へと向かう帰路にて、ぐったりと馬車の椅子に身体を預け、手足もだらりと脱力したイザベラは半ば叫ぶようにそう言ってのけた。
一国の王女であり聖女とは思えない姿に、隣に座るルフィノも苦笑いを浮かべている。
けれど普段はきっちりとした彼女がこれほど気を抜くくらい、疲れ果てているのだろう。
──フェリクスの治療をして少し休んだ後は初代皇帝の遺体を棺の中へと運び、しばらく祈りを捧げた。
遺体はかなり損傷してしまい、胸が痛んだ。
今は何の道具もないため祈る以上のことはできなかったけれど、後日改めてこの場へ来て、しっかりと埋葬し、今度こそ静かに眠りについてほしいと心から思う。
その後はフェリクスに抱き上げられて運ばれながら、最後の力を振り絞ってバルトルト墳墓内に残る瘴気を浄化して回った。
そして途中、ルフィノに背負われて運ばれて同じく浄化をしていたイザベラと鉢合わせた時には、四人で顔を見合わせて笑ってしまった。
イザベラは潤沢な魔力を持っていることで、自身へ治癒魔法をかけることもできたらしく、身体には問題がないようで安堵した。
彼らを襲っていたアンデッドも、解呪を終えてしばらくすると動かなくなったという。
中には初代皇妃の遺体もあったらしく、私達同様に一旦、棺の中に安置したそうだ。
(……こんなこと、絶対に許せないわ)
無事に浄化を終えた後は待機していた騎士達を呼び、この場の後片付けをお願いした。
「お疲れ様、本当にありがとう。イザベラがいなければ絶対にこの呪いは解けなかったわ」
バルトルト墳墓の呪いは二箇所同時に解呪する必要があったため、私一人では絶対に解くことはできなかった。
聖女がとても貴重である今、他国にいくら頼んだところで、帝国の「呪い」を解くために派遣してくれる国など存在しないはず。
自ら反対を押し切って来てくれたイザベラには、いくら感謝してもしきれない。
それに「もう一人、頼れる聖女がいる」という事実は、私をとても安心させてくれていた。
「ああ、心から感謝するよ。俺にできることなら何でもするから、言ってほしい」
「はい。素晴らしい聖女であるイザベラ様に、僕からも感謝申し上げます」
「そ、そんな……みなさんやめてください! 私が好きでしたことですし!」
フェリクスやルフィノも同じ気持ちのようで、深く頭を下げ、イザベラに深い感謝の言葉を伝えている。
イザベラは慌てて身体を起こすと、両手を振って顔を上げるようお願いしていた。
「王城に着くまでまだ時間はありますから、どうかゆっくり休んでください」
「はい。ありがとう、ございます……」
ルフィノが上着をそっとイザベラにかけてあげてすぐ、目を閉じた彼女からは規則正しい寝息が聞こえてきた。
眠りに落ちるあまりの速さと幼さの残るあどけない寝顔に、笑みがこぼれる。
「ふふ、本当に疲れていたのね」
「とても頑張ってくださいましたから」
ルフィノ達を襲ったアンデッドは個の強さはそれほどではなかったものの、とにかく数が多く教会内を埋め尽くす勢いで苦戦したという。
聖女であった皇妃も攻撃魔法には特化していなかったため、なんとか倒せたという。
イザベラも相当恐ろしい思いをしただろうに、気を強く持って解呪を続け、本当に素晴らしい働きをしていたと話してくれた。
(ルフィノの言う通り、イザベラは心の美しい素晴らしい聖女だわ)
目が覚めたら再びお礼を言って、たくさん褒めたい。
そんなことを考えていると隣に座るフェリクスは膝に両肘を突き、手で目元を覆った。
「……これで本当に、全ての呪いが解けたんだな」
表情は見えないものの、噛み締めるような小さな掠れた声に、胸が締め付けられた。
彼がどれほど帝国のために心血を注いできたのか、私には想像もつかない。
これからも民だけでなく、彼も穏やかに暮らしていけるような国を作るため、私にできることはしていきたい。
「ありがとう、フェリクス」
「ティアナのお蔭だよ。ありがとう」
そう言ったフェリクスの笑顔はとても清々しくて、明るいもので。笑顔になってしまいながらも、視界がぼやける。
「ルフィノ様も本当に、ありがとうございました」
フェリクスはルフィノに向き直ると、深く頭を下げた。
「どうかお顔を上げてください。陛下がこれまで尽力されてきたからこそです」
「……何度も心が折れかけた時だって、いつも支えてくれたのはあなたでしたから」
フェリクスとルフィノの間には、私の知らない絆があるのだろう。
ルフィノがそっと肩に手を置くと、フェリクスのアイスブルーの瞳が揺れた。
「ティアナも疲れただろう。どうか休んでほしい」
「もちろん二人もね。みんな疲れているはずだもの」
「そうですね。僕もくたくたです」
「ルフィノは全くそう見えないからすごいわ」
大好きな人たちと心から笑い合いながら、私は窓の外に広がる愛おしい景色を眺め続けた。