ベルタ村 6
「でも、まだ生きているのに……!」
イザベラの気持ちだって、痛い程に分かる。けれどこの状態は、とても生きているとは言えない。
本来なら彼女の命はとっくに尽きている。呪いの力で「生かされている」だけ。老いることもないのが何よりの証拠だろう。
どちらにせよ、呪いが消えた時点で彼女を生かしていた力はなくなるはず。
(……もう、救うことはできない)
私だってできることなら、彼女を救いたい。こんな形で命を絶つことなんて望んでいない、けれど。
それでも私には、せめて少しでも楽に送り出すことしかもう、できそうになかった。
「……うっ……」
イザベラの両目からは、再び大粒の涙が溢れ落ちていく。私も少しでも気を緩めればまた泣いてしまいそうだったけれど、泣かずにアウロラ様を見送るのだと心に決めて必死に堪える。
「お優しい聖女様、ありがとうございます。ですが私は彼の元へ行けることが嬉しいのです」
アウロラ様はイザベラに優しく声を掛けると、イザベラは涙ながらに何度も頷いた。
私はきつく両手を握りしめて笑顔を作り、アウロラ様を見上げた。
「それでは解呪を始めます」
「はい」
赤の洞窟と違い、誰かの力を借りずとも呪いを解くことができるはず。
私の魔力量があの時よりも増えているのと、アウロラ様の力で呪いが本来よりもずっと弱まっているからだ。
黒くなった手を取ると、呪いの影響で自身の手が触れた箇所の皮膚や肉が焼けるような感覚がした。同時に治癒魔法を使うことで痛みは感じながらも、私の手は治っていく。
──本来、解呪には媒介として聖水や聖遺物を使う。
けれど今は未だに聖女の魔力を持っているアウロラ様自身が、何よりも強い媒介になってくれる。
「……ティアナ様の手は、とてもあたたかいです」
その言葉に、また視界が滲む。すると、ふわりと温かい白い光が私の手を包んだ。
イザベラが治癒魔法をかけてくれているのだと気が付いて振り向けば、その目にはもう涙はなく、まっすぐにこちらを見ていた。
「ティアナ様は呪いを解くことに集中してください」
「……ありがとう」
再びアウロラ様に向き直り、魔力を流し込む。少しでも、痛みや苦しみを感じないよう祈りながら。
そうして解呪を続け、あと少しで終えるところで、静かに目を閉じていたアウロラ様に名前を呼ばれた。
「ティアナ様は、来世というものを信じますか?」
予想していなかった問いに一瞬驚いてしまったものの、私はすぐに「はい、信じます」と笑顔を向けた。
私が迷いなく答えたことに、今度はアウロラ様が驚いたようだった。
帝国には「転生」に関する話はほとんどなく、完全に別の人間として生まれ変わると信じている人々が多いからに違いない。
「どうして、そんなにもまっすぐ信じられるのですか」
「私自身が前世の記憶を持ち、生まれ変われたからです」
アウロラ様は再び驚いた様子を見せた後「それは心強いです」と笑った。何の証拠もないけれど、彼女は私の言葉を信じてくれたのだろう。
「こんな私でも、もう一度、人として生まれ変われるでしょうか」
「はい、きっと。愛する人と共に」
「……ありがとうございます、聖女様。最後にお会いできたのが、あなたで良かった」
嬉しそうに微笑んだアウロラ様の身体が、眩い光に包まれていく。
(どうか、愛する人ともう一度会えますように)
呪いの気配が消えていく中、彼女は最後に薄く微笑み、光の中へ消えていった。
同時に、辺りを取り巻く濃い瘴気も薄れていく。
(……これで呪いも解けたはず)
光が収まった後、彼女が座っていた椅子の上には着ていた衣服とブレスレット、そして呪いを発しなくなった小箱だけが残った。
ブレスレットを手に取り、そっと両手で包み込む。
──十五年もの間、一人でこの地を守り続けてきた彼女の寂しさも苦しみも、やはり私には想像もつかない。
アウロラ様は最後まで、他者を思いやる素晴らしい聖女だった。誰にでもできることではないし、私ならきっと無理だっただろう。
間違いなく彼女だからこそ、できたことだった。
「…………っ」
ぽたぽたと、再び涙が頬を伝ってこぼれ落ちていく。
もう泣かないと決めていたけれど、だめだった。悲しくて苦しくて、自分の無力さが悔しくて、大声で泣き出したくなった。
そして罪のない多くの人々を苦しめた、シルヴィアへの憤怒が込み上げてくる。
(絶対に許さない)
爪が食い込むくらい、きつく両手を握りしめる。するとそっと、大きくて温かい手のひらに包まれた。
「ティアナ」
顔を上げると、私の前に跪くようにして膝を突いたフェリクスと視線が絡んだ。
美しい碧眼には、深い悲しみの色が浮かんでいる。
「辛い役回りをさせてすまない」
「ううん、私は大丈夫よ。ごめんなさい」
罪悪感を抱いているらしく、これが私のすべきことだと伝えると彼は長い睫毛を伏せた。
私達がここまで無事に来られたのも、フェリクスがいてくれたからこそだというのに。
「彼女のことは国をあげて手厚く葬るつもりだ」
「ありがとう。私にも手伝わせてね」
ゆっくりと立ち上がり、膝についた土埃を軽く払う。
「後は村に残っている瘴気を浄化すれば、もうルフィノ達が張ってくれている結界を解いても問題ないはずよ」
赤の洞窟とは違い、近隣には人が暮らす村があるため、私達の手である程度浄化をする必要があるだろう。
(……それに魔力も、50パーセントくらいまで回復してる)
やはり呪いを解いたことで、これまで同様に失われていた魔力が戻っている。
このまま残りの二か所の呪いを解けば、大聖女だった頃と同等──もしくはそれ以上の魔力量を持つことになるだろう。
それでも今は、手放しに喜べそうにはなかった。
(でも、いつまでも悲しんでいても駄目ね)
私にはまだすべきことが、たくさん残っている。まずは浄化をして、アウロラ様やこの村の人々を弔いたい。
「……よし」
両頬を軽く叩いて立ち上がり、黙ったままのイザベラへ視線を向けた私は、息を呑んだ。
イザベラの大きな瞳からは再び、静かに涙が流れ続けていたからだ。
「イザベラ様? どこか具合でも──」
慌てて駆け寄ると、イザベラは首を左右に振った。
「……ごめん、なさい……」
「あなたが謝ることなんて……」
それでもやはり、イザベラは涙を流し、否定する。
私はてっきりアウロラ様の浄化を私がしたことに対してだと思っていた、のに。
「ごめ、なさ……っエルセ、様……」
「──え」
不意にそう呼ばれ、心臓が大きく跳ねた。