聖女と聖女 6
「ティアナ?」
そんなことを考え込んでいたものの、フェリクスの声ではっと我に返る。
「ごめんなさい、少し考えごとをしていたの」
とにかく余計なことは、何も考えないようにしよう。
そう決めてフェリクスへ笑顔を向け、最初の問いに対して答えることにした。
「……実はね、エルセのことも嫌いだと言われたの。今の私に対しては理解できるけれど、エルセも嫌われていたとは思わなくて」
昔の私は何かしてしまったかしらと尋ねると、フェリクスは目を瞬き、ふっと笑った。
「そんなはずはないよ。イザベラがエルセを嫌いだなんてこと、絶対にあり得ない」
「えっ?」
断言したフェリクスには、確信があるようだった。
「イザベラが何を考えているのかは分からないけど、ティアナが気にすることはないよ。明日でティアナの聖女としての力も明らかになって、誤解も解けるだろうし」
「そうだといいんだけれど……」
「他には何も言われていない?」
そう尋ねられ、どきりと心臓が跳ねる。
イザベラとフェリクスと結婚する約束をしていたという話が気になっているのに、なぜかフェリクスに直接尋ねることができない。
(どうして? ただ聞くだけじゃない)
答えを聞くのが怖くて仕方なくて、また胸の奥に黒いものが広がっていく感覚がする。
前世と今世を合わせても初めての経験に、戸惑いを隠せなくなった。
(そもそも私達の結婚は、帝国が安定するまでの契約結婚だったのに……)
無事に呪いを解いて自由にのんびり過ごしたいと思っていたし、聖女であり皇妃という多忙な立場など、当初望んでいたものとは真逆な立場だ。
けれど今はそれが失われることが──フェリクスと離婚することが、何よりも嫌だと思う。
そんな様子に気が付いたらしいフェリクスは、心配げに私の顔を覗き込んだ。
「ティアナ? 今何を考えてる?」
「……離婚のことを、考えていて」
「は」
頭の中がぐるぐるとしていて、つい思い浮かんでいた言葉を口に出した瞬間、フェリクスの口からは低い短い声が漏れた。
きつく両腕を掴まれ、縋るようなふたつの碧眼に捉えられ、目を逸らせなくなる。
「──嫌だ」
フェリクスはそう呟くと、そのまま私をきつく抱き寄せた。子どもの頃とは違う甘い優しい香りに包まれ、心臓が高鳴っていく。
「絶対に離婚はしない」
「えっ?」
困惑する私に、フェリクスは続ける。
「俺に嫌なところがあるなら言ってほしい。望むものだって全て用意する。呪いが解けた後は皇妃としての仕事だってしなくていいから」
「あの、フェリクス」
「俺はもう、ティアナがいないと駄目なんだ」
だから側にいてほしいと切実な声で言われた私は、慌てて口を開いた。
「ち、ちょっと待って、違うの! ごめんなさい!」
言葉があまりにも足りなかったせいで、フェリクスは私が離婚をしたがっているという、とんでもない勘違いをしているようだった。
必死に「違う」と否定して胸板を両手で押して少し離れると、子どもみたいに不安げな表情をしたフェリクスと視線が絡んだ。
私のせいでこんな顔をさせてしまったのだと思うと胸が痛む一方で、不思議と先程までのもやもやも不安も消えていくのが分かった。
「誤解させてしまうことを言って本当にごめんなさい。私だって離婚したいと思っているわけじゃないの」
「本当に?」
「その、むしろ私もしたくないと、思っていて……」
恥ずかしさが込み上げてきて、だんだんと言葉尻が小さくなってしまいながらも正直な気持ちを話すと、フェリクスの切れ長の目が見開かれた。
「……良かった。ティアナの気持ちを尊重したいと思うのに、頭が真っ白になった」
やがて力が抜けたように、フェリクスは私の肩に顔を埋めた。そんなフェリクスに私もまた安堵してしまう。
もしも離婚をして、フェリクスが別の誰かと結婚することを想像したら──こんな風に誰かに触れることを想像したら、痛いくらいに胸が締め付けられた。
「ごめんね。……本当に好きだよ」
熱を帯びたまなざしや先程のひどく焦った様子から、どれほどフェリクスが私を好いてくれているのかが伝わってくる。
何か言わなきゃと思っても、言葉が出てこない。口ごもっていると、フェリクスは眉尻を下げて困ったように微笑んだ。
「明日も早いし、休んだほうがいい。部屋まで送るよ」
「送るって、部屋を出て数歩だから大丈夫よ」
お互いの部屋へ繋がる転移魔法陣は数歩の距離だからと断ろうとしても、フェリクスは首を左右に振る。
「少しの時間でも、ティアナといたいんだ」
「…………っ」
たったの数十秒の時間でも惜しむなんて、少し前の私だったなら「もう」と言って笑い飛ばせていただろう。
けれど今は、それが嬉しいと思えてしまう。
(やっぱり最近の私、変だわ)
「おやすみ、ティアナ」
「ええ、おやすみなさい」
フェリクスに見送られ、自室へと戻る。
ぼふりとベッドに倒れ込んだ私は、とくとくと早鐘を打つ心臓の音が耳から離れず、しばらく寝付くことができなかった。




