もうひとつの初恋 2
「ええ。二人で協力して命がけで解呪をして、距離が縮まったというか、遠慮がなくなったというか……」
「そうですか。それは何よりです」
そう言ってルフィノは小さく微笑んだものの、その笑顔は彼らしくないぎこちないもので、どう見ても「良かったね」という雰囲気ではなかった。
(……私達が親しくなることで、ルフィノにとって何か不都合なことが起きるのかしら?)
とは言え、ルフィノを変に疑うなんてことはないし、何か人間関係などの兼ね合いがあるのかもしれない。
私はやがて、前回と変わらず山積みになったままの帝国の『呪い』についての本へと視線を向けた。
「次に呪いを解きに行くのは、どこがいいかしら」
「距離を考えると、ベルタ村でしょうか」
ベルタ村では呪いにより恐ろしい疫病が流行り、被害を広げないよう村民達の意志で封鎖され、10年以上もの間、完全に隔離されているのだという。
(あれほどの呪いを受けていたら、きっともう……)
今の村の惨状を思うと、胸がひどく痛む。絶対に呪いを解き、元のあるべき姿に戻さなければと胸に誓う。
「結婚式が終わったら、すぐに行けるようにしたいわ。流石にまた寝込んで延期させるわけにもいかないし」
「分かりました。陛下と予定を調整してみます」
「ありがとう」
それからは再びルフィノが選んでくれた本を元に、ベルタ村についての知識を頭に詰め込んでいく。
「近くの村は無事なのね」
「はい。一時期は呪いの影響を受けていましたが、ベルタ村を封鎖してからは、少しずつ落ち着きました」
村の周りは、何人もの当時の魔法使い達が命を落としながら、命懸けで張った結界で覆われているという。
解呪の際には結界を一度解いて中に入る必要があるため、必ず浄化しなければ、再び呪いが広がってしまう。
「チャンスは一度きりで、絶対に失敗はできないのね」
「はい。僕が結界を張っても、長くは持ちませんから」
「……分かったわ」
しっかり対策を立てて、準備していかなければ。前回のように上手くいくなんて保証など、ないのだから。
「それと、ポーションを作りたいの。魔力も増えたし、使っても一定量まではすぐに回復するみたいだから、活用していこうと思って」
「ぜひお手伝いさせてください。聖女以外は中級ポーション以上を作れないので、ありがたいです」
ポーションはいくらあっても困ることはないし、聖魔法属性を持つ聖女が作るものは、圧倒的に質が上がる。
私の身体はひとつしかないため、何かあった時にいつでもどこでも駆けつけられる訳ではない。そんな時、効能の高いポーションは役に立つはず。
「今のあなたの魔力の状態は?」
「ばっちり満タンです」
「では、先にポーションを作る作業場へ案内しますね。ベルタ村についての勉強は、いつでもできますから」
そうしてルフィノは、私を案内しながら魔法塔の長い螺旋階段を上がっていく。
(えっ、ここって……)
やがて到着したのは、私がいつも使っていた研究室だった。少しだけ鼓動が早くなっていくのを感じながら、足を踏み入れる。
「ここは大聖女エルセ・リースが使っていた部屋です。ポーションを作るための道具も何でも揃っています」
「……そう、なんですね」
室内は驚いてしまうほど、何ひとつあの頃と変わっていなかった。読みかけの本も片付けずにいた道具も、まるでついさっきまで私が使っていたような気さえする。
そして17年の時が経っているとは思えないほど、綺麗に掃除されていた。半端な状態を維持するなんて手間がかかるはずなのにと、胸が締め付けられる。
「すごく綺麗にされているんですね」
「はい。全て陛下がお一人で管理されているんです。僕以外は誰も入れるなと、きつく言われていました」
「……えっ?」
「何より僕もここに入ったのは、10年ぶりなので」
信じられない言葉に、隣に立つルフィノを見上げる。
「……陛下はすごい方ですよ。どんなに忙しくても、何があってもエルセのことを大切にし続けていますから」
ルフィノの優しい声を聞きながら、私は視界がぼやけていくのを感じていた。
あんなにも忙しい中で、こんな部屋の掃除までひとりでしていたなんて、どうかしているとしか思えない。
(……本当に、フェリクスは馬鹿だわ)
きっと今、目の前に彼がいたなら、文句を言いながらも思わず抱きしめてしまっていただろう。
無性に、フェリクスに会いたいと思った。
そっと手を伸ばして綺麗なままの道具や本達に触れるたび、また泣きたくなる。どれほど大切にされていたかなんて、分からないはずがない。
「弱い僕は、彼女を忘れようとしていたんです。彼女の墓がある故郷にも、一度しか行けなかった」
「…………」
「けれど、陛下はいつだってエルセに対して誠実で一生懸命で、羨ましくもありました」
そして先日、ルフィノがフェリクスに対して「僕もあれくらい、まっすぐになってみたいものです」と言っていた理由が分かった気がした。
(……私は自分が思っていた以上に、多くの人の心に傷を残していたのかもしれない)
「すみません、あなたにこんな話をしてしまって。ポーション用の薬草を取ってきますね」
「え、ええ。お願い」
「道具はすべてそこに揃っていますので」
そう言ってルフィノは困ったように微笑むと部屋を出ていき、私は鍋や道具がある場所へと向かう。
それらも全て綺麗に保管されており、後でフェリクスにきちんとお礼を言わなければと小さく笑みが溢れた。
「わあ、懐かしい」
そんな中ふと、棚の上に木の置物があることに気が付いた。確かルフィノのもので、つい欲しいなあと口にしたところ、すんなりとくれた記憶がある。
この小さな動物達が並ぶ可愛らしい木の人形は魔力を込めると、音楽を奏でながら一定の時間を掛けて台座の上で回るというものだった。
だからこそ、ポーションを煮込む際に時計代わりに使っていたことを思い出し、手に取ってみる。
「まだ使えるかしら?」
そっと中心の木に指先を充て、ほんの少しの魔力を流し込む。すると少しだけズレた音を奏でながらも、ゆっくり回り始めた。懐かしい音色に、心が安らぐ。
そうして、かわいいなあと懐かしんでいた時だった。
「──どうして」
いつの間にか研究室へと戻ってきていたルフィノは、私と手元の人形を見比べ、言葉を失っていた。
その様子から、只事ではないことを悟る。もしかして今の私は、触ってはいけないものだったのだろうか。
「ど、どうかした?」
「……その人形は失われた僕の故郷のもので、僕はたった一人にしか使い方を教えていないんです」
「えっ?」
「彼女は何も知らないままその人形を欲しいと言ってくれたけれど、本来は幼い子どもが初恋の相手に贈るものなんです。だからこそ、くだらないと分かっていても、僕は他の誰にも使い方を教えなかった」
自嘲するように笑うルフィノに、私は何も言えなくなってしまう。そんなこと、初めて聞いたからだ。
私はよくある人形だと信じて疑わなかったし、ルフィノは「もちろん、どうぞ」とあっさりくれたからこそ、そんな思い入れのある品だなんて思っていなかった。
(そんなの、言われなければ分かるはずがないもの)
「どうしてあなたが、それを知っているんですか」
「それは、その……」
まさかこんな置物から正体を疑われるなんて思っておらず油断していた私は、適当な言い訳も思いつかない。
たとえ思い付いたとしても、縋るような眼差しを向けるルフィノに、嘘なんてつけなかっただろう。
そんな私に向かって、やがてルフィノは今にも消え入りそうな声で呟いた。
「──まさか、過去の記憶があるんですか」