もうひとつの初恋 1
「ティアナ様は本当に本当に、偉大なお方です!」
「ええ、帝国を救ってくださる女神様ですわ」
「そんなティアナ様にお仕えできて、幸せです……!」
目が覚めてから、3日が経った。体調もすっかり良くなり、これまで通り──ではない日々を過ごしている。
今朝も身支度の最中、キラキラと憧憬の眼差しを向けてくるメイド達に囲まれ、落ち着かなくなっていた。
赤の洞窟から帰還してからというもの、城中の人々がまるで神の如く私を崇め敬うのだ。
フェリクスが言っていた通り、私が赤の洞窟の呪いを解いたということ、ついでにナイトリー湖の浄化も私の力によるものだと国中に広まっているらしい。
(間違ってはいないんだけど、大袈裟なのよね……フェリクスとルフィノのお蔭でもあるし)
とは言え、不安や恐怖に苛まれていた民達の心が、希望で満ちているのは事実のようで、ほっとする。
「ありがとう。これからも帝国の聖女として精一杯努めていくつもりだから、よろしくね」
「はいっ!」
私の存在が心の安寧に繋がるのならと、否定もせず、毅然とした態度でいるよう心掛けていた。
その後、朝食の時間になり食堂へ向かうと、そこには既にフェリクスの姿があった。
「ティアナ、おはよう。今日もかわいいね」
「えっ……お、おはよう……ございます」
私の姿を視界に捉えるだけで、それはもう嬉しそうに幸せそうに微笑む姿や、いきなりの甘い言葉に、控えていたメイド達は膝から崩れ落ちかけている。
(ほ、本当にすごい変わりようだわ……少し前までの貼り付けた笑顔が懐かしくなるくらい)
私もあまりの眩しさに、思わず目を細めてしまう。何度顔を合わせても見慣れないほど、超美形なのだ。
──フェリクスはあれから、私への好意を一切隠さなくなった。多忙な中でも時間を作って会いにきてくれ、何よりも大切にされているという実感がある。
(その度に好きだと伝えられて、逃げたくなるのよね)
今や彼の方がずっと大人で上手で、悔しくなる。
最初は幼い弟子だったフェリクスを、異性として見るなんて無理だと思っていたのに。
17年もの月日により、いつの間にか大人になっていた彼に、ドキドキさせられっぱなしだった。
「実は今週末、少し時間ができそうなんだ。ティアナさえ良ければ一緒に出掛けたいな」
「もちろん。でも、フェリクス様も無理は──」
「ねえ、ティアナ。公的な場でなければ、フェリクスと呼んでほしい。距離を感じて寂しくなるから」
「そ、そうなのね! 分かったわ!」
(そんな風に言われて、断れるわけがないじゃない!)
お互いに敬語を使うことも無くなり、急に距離が縮まった私達を、使用人達は温かい目で見つめている。
赤の洞窟で私達の絆が更に深まり、改めて恋に落ちたという謎の美談も広まっているんだとか。
既に帝国一の人気を誇る劇団が私達を劇にするという話まであるらしく、本当にやめてほしい。
「部屋まで送るよ。行こうか」
「ありがとう」
食事を終えた後はしっかりと手を繋がれ、自室へと送ってもらった。そんな私達を見ては、やはりみんな微笑ましいという顔をしてすれ違っていく。
(こんなの全然、今まで通りじゃないわ)
やがて仕事に行くフェリクスを見送ると、私は自室のソファにぼふりと腰を下ろし、息を吐いた。
生活自体はほとんど変わっていないものの、フェリクスの態度が変わるだけで、まるで別物になってしまう。
「陛下はティアナ様を、心から愛されているんですね」
「そ、そうね……」
「お二人の結婚式が本当に楽しみです! 朝から晩まで気合いが入りますわ」
「……晩?」
「もう、ティアナ様ったら。言わせないでくださいよ」
そうしてようやく、彼女達が何のことを言っているのか理解した。結婚式の晩と言えば、ひとつしかない。
(さ、流石にそれは私達には関係ないもの。契約書にも白い結婚だって、しっかり書いてあったし)
それでも周りからは、そういう風に見られてしまうのだと思うと、叫び出したくなるくらい恥ずかしくなる。
そんな中、ひとりのメイドが私の元へやってきた。
「ティアナ様、ルフィノ様が帰還されたそうです」
「ありがとう。すぐに会いに行くと伝えて」
「かしこまりました」
(よかった! ようやく直接お礼を伝えられる)
赤の洞窟で別れて以来、彼に会うのは初めてだった。
それから私は軽く身支度をすると、ルフィノがいるという魔法塔へと向かうことにした。
侍女のマリエルと共に長い廊下を歩いていると、見覚えのある金髪が前方からやってくることに気が付く。
「聖女様!!! おはようございます!!!!!」
「お、おはよう、バイロン」
一番の変化があったのは、バイロンだった。廊下中に響き渡るような大声で挨拶をされ、思わず肩が跳ねる。
2日前には、これまでの私に対する不躾な態度を許してほしいと、両手と頭を床につけて謝られたくらいだ。
『バイロンは子どもの頃、エルセに救われたことがあるらしいんだ。彼女に憧れて心酔しているからこそ、名ばかりの聖女だったティアナを許せなかったんだろう』
『そ、そうだったの……』
『悪い奴ではないんだ。どうか許してやってほしい』
ちなみにフェリクスからはそんな話を聞いており、余計に責める気になんてなれなかった。
(そもそも当然の反応だし、気にしていなかったもの)
「お困りのことがありましたら、何なりとお申し付けくださいね。全力で対応させていただきますので」
「ええ、ありがとう」
とにかく彼とも仲良くなれそうで良かった。フェリクスもバイロンを、一番信用しているようだった。
「聖女ティアナ様だ……!」
「ああ、今日も神々しいお美しさだな」
魔法塔に着いた後も魔法使い達からキラッキラとした眼差しを全方向から向けられ、私はそれらしい笑顔を振りまきながら歩き、個室へと案内される。
出されたお茶を飲んでひとり待っていると、やがて数日ぶりのルフィノが中へと入ってきた。
「ルフィノ!」
立ち上がり、駆け寄って彼の両手を握りしめる。その様子に変わりはないようで、安堵した。
ルフィノもまた、少しだけ冷たい手で私の手を握り返してくれ、ほっとしたような表情を浮かべている。
「あなたが無事で、本当に良かったです。赤の洞窟の呪いを解いてくださり、ありがとうございました」
「いいえ。それにあなたのお蔭でもあるもの。ルフィノがいなければ絶対に不可能だったわ、ありがとう」
微笑み合い、再び椅子に座るよう勧められる。それからはあの日からのことを、お互いに報告し合った。
帝国の呪いには私の魔力が使われていると話せば、ルフィノは両目を大きく見開いた。
「まさか、そんな恐ろしいことが……」
「私はシルヴィアが怪しいと思うの」
「……あのシルヴィアが?」
ファロン神殿はシルヴィアが実権を握っているため、間違いなく彼女が関わっているはず。
ルフィノはあの頃のシルヴィアしか知らないようで、信じられないという顔をしていた。彼女は誰よりも温厚で優しくて、明るい人間だったからだろう。
(本当に、まるで別人だもの)
「とにかく今後は、全ての呪いを解くつもりよ」
「分かりました。ぜひ僕にも手伝わせてください」
「ありがとう! 早速フェリクスにも予定を聞いて、次の場所に行く予定を──……」
そこまで言いかけたところで、机の上に無造作に置かれていたルフィノの手が、小さく跳ねた。
顔を上げたルフィノの金色の瞳と、視線が絡む。
「……陛下と、親しくなったんですね」
「えっ?」