とある聖女のひとりごと
「……ねえエイダ、最近のシルヴィア様ってすごく機嫌が悪いわよね。体調もあまり良くなさそうだし」
「あ、サンドラも思ってた?」
聖女としての仕事を終え、ファロン神殿へ向かう馬車に揺られながら、聖女仲間のエイダへと視線を向ける。
彼女もまた私と同じことを思っていたようで、身を乗り出し、話をしたくて仕方ないという顔をしていた。
「ティアナがいなくなって、少ししてからよね」
「ええ」
──いつも俯いて泣いてばかりで、魔力もなく、何ひとつできない形ばかりの聖女。
ティアナのせいで特別な「聖女」という存在の価値が下がってしまう気がして、その姿が視界に入るたび、苛立ちが収まらなかった。
『まあ、ティアナ。やっぱり無能なお前は、汚い泥まみれがお似合いよ』
『ふふっ、やだあ。顔まで汚れてるじゃない』
『……申し訳、ありません』
だからこそ、周りと一緒になってティアナを虐げては鬱憤を晴らしていた。何をしても謝ることしかせず、つまらない反応にまた苛立ちは募った。
そんなティアナが居なくなって、もう三週間が経つ。
無能な「空っぽ聖女」と呼ばれているティアナが居なくなって、最初は皆せいせいした気持ちでいた、のに。
『シルヴィア様、肩、どうかされたんですか?』
ティアナが出て行って数日後、シルヴィア様が肩の一部に包帯を巻いていることに気が付いた私は、心配してそう声を掛けたのだ。
『っうるさいわね! 黙りなさい!』
『……っ』
すると、まるでティアナに対する時のように怒鳴られきつく睨まれ、言葉を失ってしまう。
シルヴィア様にこんな風に叱られるのは初めてで、私だけでなく隣にいたエイダも息を呑んでいた。
(触れてはいけないこと、だったのかしら)
その後も時折、肩が痛む様子だったものの、もう私達は余計なことを言わないようにしていた。
それからもずっとシルヴィア様の機嫌は悪いままで、私達は怯えて過ごす日々を送っている。
(……あんなに面倒で仕方なかった神殿外の仕事が息抜きになるなんて、想像もしていなかったわ)
「やっぱり、苛立ちを発散するティアナがいなくなったせいなのかしら」
「……それだけとは、思えないけれど」
ファロン神殿は、シルヴィア様が全てだ。誰もがシルヴィア様の言葉に従い、彼女の思うがままに行動する。
だからこそ、シルヴィア様の機嫌が悪いせいで神殿内の空気は張り詰め、息苦しい日々が続いていた。
(どうか私達を可愛がってくださっていた、元のシルヴィア様に早く戻りますように)
そんなことを祈りながら神殿へと戻り、二人でシルヴィア様への報告に向かう。
まるで王族のように豪華で広いシルヴィア様の部屋で彼女に跪いた私達は、簡潔に今日の出来事を伝えた。
「ご苦労様、もう戻っていいわよ」
「はい。ありがとうございます」
今日は機嫌が良い方らしく、内心ほっとしながら退室しようとした時だった。
「っぎゃぁあ! 痛い、熱い痛い! っ痛い……!」
突然シルヴィア様が右足を押さえ、のたうち回るように苦しみ始めたのだ。
痛みからか顔を別人のように歪め、獣みたいな叫び声を上げる尋常ではないその様子に、私達は一瞬固まってしまったものの、すぐに駆け寄る。
「うあぁあ……ぁあ! 痛い、痛い、痛いぃい……!」
「シルヴィア様! 大丈夫です、か──……」
そしてシルヴィア様が両手で押さえる脚を見た途端、私達は揃って息を呑んだ。
そこには先ほどまではなかった、蛇のような漆黒の痣が広がっていたからだ。
(どうして……こんな……)
エイダは両目を見開き、口元を手で覆いながら、腰が抜けたようにその場に座り込んでしまう。
そんな私達を突き飛ばすように振り払うと、シルヴィア様は「痛い」「熱い」「死ね」と苦しみ叫び続ける。
「っティアナの奴……よくも……! 殺してやる!」
やがてシルヴィア様はそう言って、怒りや苛立ちをぶつけるように、痛みを堪えるように壁を殴りつけた。
(……ティアナ?)
何故このタイミングで、ティアナの名前が出てくるのか分からない。彼女が神殿を離れて三週間が経つのだ。
「っ出て行きなさい! 早く!」
「は、はい……」
呆然とする私達に、シルヴィア様は鬼のような形相で怒鳴りつける。私は座り込むエイダの腕を引くと、逃げるようにシルヴィア様の部屋を後にした。
「…………」
「…………」
エイダと二人で、無言のまま廊下を歩いていく。心臓がずっと、大きな嫌な音を立て続けている。
──私達だって、聖女のはしくれなのだ。シルヴィア様の脚に現れた黒い痣が何なのかは、すぐに分かった。
(あれは間違いなく、強い呪いだった)
それもあの歪さは「呪い返し」と呼ばれるものだろうということも、容易に想像がついた。
それでも、口に出すのは憚られた。大聖女であるシルヴィア様が呪いを誰かに掛けたなんてこと、絶対にあってはならないからだ。
「…………っ」
隣を歩くエイダもやはり同じことを察し、同じ気持ちだったのだろう。彼女の肩は小さく震えており、同様に震える両手をきつく握りしめていた。
(一体、何が起きているの……?)
私達には、何も分からない。きっと、何も知らない方がいいのかもしれない。これまで通り何も知らないフリをして過ごすべきだと、本能的に悟る。
祈るように両手を組み、どうかこれまで通りの日常に戻りますようにと、祈らずにはいられなかった。