初恋の行方 4
フェリクスが知らない男の人みたいで、心臓が早鐘を打ち続け、顔が火照っていく。
やがてきつく抱きしめられながら肩に顔を埋められ、私は指先ひとつ動せなくなってしまう。
「……ありがとう。すごく、すごく嬉しい」
フェリクスもしばらく何も言わず、少しの沈黙の後、ようやく私の口から出てきたのはそんな言葉だった。
頭上で、フェリクスがふっと笑う。
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう。お蔭でようやく前に進める気がする」
「そ、それは良かったです」
抱きしめられたまま耳元で囁くように言われては、やはり落ち着かない。
高めの可愛らしかった声も今や低くて甘い、色気すらあるそれはもう良い声になっているのだから。
「そ、そろそろ座りませんか」
「ああ、ごめんね。まだ体調も万全じゃないのに」
「ううん、大丈夫」
本当は座りたい訳ではないのだけれど、フェリクスとの密着状態から解放されたくて、そう言ったのに。
(ど、どうしてこんな……もっと恥ずかしいじゃない)
気が付けば私達はベッドの上でぴったりくっついて座っていて、フェリクスの左腕は私の腰に回され、右手は私の膝の上に置いた両手の上に重ねられている。
そしてフェリクスの頭は、甘えるようにこてんと私の肩に預けられていた。時折首筋をくすぐる黒髪からは、恐ろしく良い香りがする。
「あの、フェリクス、少し近い気がするんだけど」
「……まだ夢みたいで、嬉しくて信じられなくて、少しでもティアナの体温を感じていたいんだ」
そんなことをフェリクスに縋るような上目遣いで言われて、私が嫌だなんて言えるはずがない。
(これまでフェリクスはずっと、一人で頑張ってきたんだもの。甘える相手が欲しかったのかもしれない)
変に意識してしまう方がおかしいんだと必死に自分に言い聞かせて、心を落ち着ける。
「とりあえず、あれからのことを聞いてもいい?」
「うん」
それでもこのやけに甘い雰囲気に耐えきれず、話題を変えようとそう尋ねれば、フェリクスは頷いてくれた。
そもそも、敬語ではない今のフェリクスにもまだ慣れない。私の腰をしっかり抱いたまま、彼は続ける。
「ティアナが意識を失うのと同時に、赤の洞窟の呪いは無事に解け、完全に浄化された」
「良かった……! ルフィノは大丈夫?」
「ルフィノ様も無事だよ。それからはすぐに三人で王城へ戻って、ティアナの治療をさせたんだ」
ルフィノはあれから魔法師団を率いて、改めて赤の洞窟の調査をしてくれており、多忙だという。
そんな中、私をとても心配してくれていたそうだ。彼が王城へ戻ってきたら、お礼を伝えなければ。
とにかくあの呪いが無事に解呪できたことに、心底ほっとする。そんな私に、フェリクスはもう一度「本当にありがとう」と言ってくれた。
「帝国内は今、お祭り騒ぎなんだ。呪われた地が二箇所浄化されたことで、民にも希望が見えてきたんだろう」
「そうなのね! 本当に良かった」
「ティアナが呪いを解いたというのも広まっていて、今や聖女どころか女神扱いだって聞いた」
「お、大袈裟だわ……」
「……ティアナは本当にすごいよ。俺なんて、まだまだだと思い知らされた」
そんな大層なものではないと思いながらも、この身に宿る魔力が以前よりずっと増えたことを感じていた。
「実は呪いが解けた瞬間から、魔力が増えているの」
「……魔力が?」
「ええ。それを話す前に、ティアナ・エヴァレットについて話さないとならないんだけど……」
それから私は、今世のことを話し始めた。生まれつき魔力量が多かったこと、神殿に入ってから年々魔力が減っていき、空っぽ聖女と呼ばれるようになったこと。
そして帝国へ来るまでのことを、全て。
途中からフェリクスの表情が曇り始め、最終的には思わず口を噤みたくなるほど、完全に立腹していた。
「ファロン神殿での扱いは、酷いものだったんだろう」
「……ええと、それは」
心配はかけたくはないし、正直話すのは気が引ける。
(それでも、これまでの私に恥じることなんて何ひとつない。魔力が奪われていたのなら、尚更だわ)
何よりフェリクスに、今の私を知ってほしい。そう思った私は、包み隠さず全てを伝えることにした。
そもそもここに来た時の私の状態を見れば、誰だってある程度の想像はついているはず、だったのだけれど。
「……どうか許してほしい」
「えっ?」
「長年辛い思いをしていたティアナに対して、俺は利用するため、あんな契約書まで書かせたんだ」
話し終えた後、片手で目元を覆ったフェリクスは再び自分を責めているようだった。
私は慌てて、励ますように彼の手に触れる。
「むしろ私、心底感謝しているの。あの生活から抜け出せた上に、贅沢な暮らしをさせて貰えているんだから」
「……俺に幻滅してはいない?」
「もちろん。立派になっていて感動したくらいよ」
全ては国や民のことを思っての行動だったのだし、フェリクスは無能な聖女である私に対しても、最初からずっと勿体無いくらい丁寧な待遇をしてくれていた。
(それに、私をずっと大切に思ってくれていたことだって、本当に嬉しかったもの)
流石にボロボロのロッドをあんな場所に飾っていたのはやり過ぎだと、思い出してはつい笑ってしまう私に、フェリクスは顔を上げ「それなら」と続ける。
「この先、俺を好きになってくれる可能性はある?」
「……え」
そして予想もしていなかった問いを投げかけられた私の口からは、間の抜けた声が漏れた。