初恋の行方 3
(どうして……なんで、気が付いたの……?)
解呪の儀式の間はとにかく必死で、特に後半は意識がはっきりしていなかった。そのせいで無意識に、余計なことを言ってしまったのかもしれない。
何よりあの時はもう気が狂いそうなほどの痛みで、まともに頭が働いていなかった。
突然のことに動揺してしまいながら、笑みを作る。
「な、何を仰っているのか──」
「エルセは何かを誤魔化そうとする時、いつも右下へ視線を向けていた。そんな癖も変わっていないんだね」
「…………っ」
遮るようにそう言われ、何も言えなくなってしまう。
フェリクスは想像していた以上に私のことをよく見ていて、私をよく知っていたのだと思い知る。
恐る恐るフェリクスを見上げれば、彼はまっすぐに私を見つめていた。
その瞳には迷いがなく、確信していることが窺える。きっともう誤魔化せないのだと、悟った。
「……こんなにも、あなたは変わっていないのに。気付けなかった愚かな自分が、嫌になる」
フェリクスはそんな私を見て、傷付いたような、自嘲するような笑みを浮かべている。
(その表情だって、自分を責める時のものじゃない)
よく見ていたのは、フェリクスだけではなかった。私達は、お互いのことを知り過ぎていたのかもしれない。
(隠し通すなんて、きっと最初から無理だったんだわ)
私は目を伏せると、静かにフェリクスの手を取った。その瞬間、フェリクスの手がびくりと揺れる。
けれどすぐ、躊躇うようにそっと握り返された。
「……ずっと黙っていて、ごめんなさい。今の私は昔みたいな力もないお荷物だし、フェリクスには今の人生があるから、黙っていようと思ったの」
「本当は分かっているんだ。俺があんな態度を取っていたんだから、言い出せないのも当たり前だと」
「それも仕方ないわ。あんなにすごい聖女だった私が、空っぽ聖女なんて笑っちゃ、う……」
そこまで言いかけた私は、言葉を失ってしまう。
フェリクスの手を握りしめていた手のひらに、ぽたぽたと温かい雫が落ちてきたからだ。
「フェリクス……?」
顔を上げれば彼のふたつの碧眼からは、静かに宝石のような涙が零れ落ち続けていた。
「……ずっと、謝りたかったんだ。弱くて、何もできなくて、死なせてごめん」
──きっとフェリクスは17年前、私が死んだ日から自身を責め続けていたのだろう。
まだ幼く魔法を学び始めたばかりの彼が、あんな状況で何もできないのは当然で、何も悪くないというのに。
その言葉に、幼い頃と重なって見える涙を流す姿に、痛いくらいに胸が締め付けられる。
「絶対に、絶対にフェリクスのせいじゃないわ。私の方こそ、本当にごめんなさい」
私はベッドから立ち上がると、涙を流し続けるフェリクスを抱きしめた。
昔よりずっと大きくなった彼の肩が、戸惑ったように小さく跳ねる。けれどやがて、背中に腕を回された。
「……あんな風に死んでしまえば、フェリクスは優しい子だから、責任を感じてしまうと分かっていたもの」
「エルセは悪くない、俺が悪いんだ」
「ううん。悪いのは私を殺した人間よ」
そう言って笑いかけたけれど、フェリクスは小さく首を左右に振る。時々、頑固なところも変わっていない。
「どうして、私だって気が付いたの?」
そう尋ねれば、フェリクスはこれまでのことを話してくれた。そして気付いたことにも、納得がいった。私には全く記憶がなく、完全に無意識だったのだろう。
やがて「ティアナ」と、優しく名前を呼ばれる。
フェリクスは目覚めてすぐ、あえて「エルセ」と呼んで以来、一度も私を「エルセ」と呼ぶことはなかった。
前世も含めた今の私を、私だと認めてくれている。それがとても嬉しかった。
「今のあなたが、ティアナ・エヴァレットという一人の女性だということは分かっている」
「……うん」
「それでも俺は、俺の師だったエルセ・リースに伝えたいことがあるんだ。一度だけ、許してくれるだろうか」
静かに頷けば「ありがとう」と言われ、背中に回された腕に込められている力が強くなる。
少しの沈黙の後、フェリクスは口を開いた。
「……エルセが守ってくれたから、呪いを全て引き受けてくれたから、生き続けることができた。エルセが沢山のことを教えてくれたから、俺は強くなれた」
彼の言葉に相槌を打ちながら、私もまた、視界が滲んでいくのを感じていた。
「何の意味もない終わりを待つだけの俺の人生は、エルセのお蔭でこんなにも変わったんだ」
「フェリクス……」
「エルセがいたから、エルセとの思い出があったから、俺はここまで来ることができた」
両親からは見捨てられ、師である私を失った後、ひとりぼっちだった彼がこれほど強くなり、皇帝の座に就くまでの努力や苦しみなど、私には想像もつかない。
「本当に、ありがとう。ずっと感謝を伝えたかった」
そんな言葉に、胸がいっぱいになった。私の人生に意味はあったのだと、報われたような気持ちになる。
そしてフェリクスはなんて立派になったのだろうと、目元を指先で拭った。
あれほどの呪いを受けて尚、帝国が今の豊かさを保っていられるのはきっと、彼の努力によるものだった。
「……フェリクスは本当にすごいわ。あれからずっと、たくさんたくさん頑張ったのね」
彼から少しだけ離れ、柔らかな黒髪を撫でる。すると顔を上げたフェリクスと至近距離で、視線が絡んだ。
彼の透き通ったガラス玉のような瞳に映る私は、やっぱり泣きそうな、けれど嬉しそうな顔をしていた。
「ありがとう。あなたは私の自慢の弟子よ」
「…………っ」
驚いたように見開かれた彼の切れ長の目は、やがて何かを堪えるように細められ、また涙が溢れていく。
やがてフェリクスの涙を指先で拭おうとした瞬間、再びきつく抱き寄せられていた。
先ほどまでのものとは、全く違う。その腕からは、身体からは、抑えきれないほどの熱が伝わってくる。
そして彼は私の耳元で、掠れた声で呟く。
「──好きだ」
ひどく切実で、縋るような声だった。
彼が長年想ってくれているのを知っていたとは言え、やはりこうして伝えられると、戸惑いを隠せなくなる。
「……どうしようもなく好きで仕方なくて、忘れられなくて、エルセは俺の人生の全てだった」
少し速い心音が、身体を通して伝わってくる。やがて溶け混じるように私の鼓動も、同じ速さになっていく。
「愛してる」
その言葉が今の私に向けられたものではないと分かっていても、心臓が大きく跳ねた。