初恋の行方 2
本来、聖女は神殿の敷地内に埋葬される。だがエルセは両親の側がいいと望んでいたらしく、ルフィノの主導の下、彼女の遺骨は故郷の墓地に納められた。
『……ごめんね、エルセ』
それから何度も、何度も彼女の故郷を訪れては、墓前で謝罪の言葉を紡いだ。
──弱さは罪だ。俺が弱いから、エルセは死んだ。俺が弱いから、エルセは殺された。
(守られて救われるだけの俺は幼くて、本当に無力だ)
いくら悔やんでも、悔やみきれない。あの日のエルセの笑顔が、頭から離れなかった。
本当はずっとこの場所で、エルセの側で、ただ泣き喚き続けたかった。だが、彼女がそんなことを望まないというのも、もちろん分かっている。
何よりエルセがくれた命を、無駄になどできない。
『俺、絶対に強くなるよ。だから、どうか見ていて』
俺にはエルセが認めてくれた才能と、エルセがくれた健康な身体があるのだから。
エルセが愛したこの国を、守るために。エルセを殺した人間を探し出し、殺すために。
俺は誰よりも強くなると、愛する彼女に誓ったのだ。
◇◇◇
『──ねえ、エルセ。今日で27歳になったよ。あの頃のエルセよりも5歳も歳上だなんて、変な感じがする』
あれから、17年が経った。俺は死に物狂いで努力を重ね、多くの血を流しながらも皇帝の座に就いた。
多忙な日々の中でも、時間を作ってはエルセの故郷へ足を運び、こうして彼女の墓前で報告を続けている。
(エルセがいたら怒られることも、沢山してきた)
だが、綺麗事だけでは生き抜くことなどできないと、俺はこの17年で身を以て学んでいた。
エルセのように、俺はなれない。彼女が特別でどれほど偉大な人間だったのか、今更になって実感する。
『……もうすぐ王国から聖女が来る。利用するために結婚するなんて知ったら、エルセは絶対に怒るだろうな』
エルセがこの世を去ってから、何もかもが変わった。変わってしまった、というのが正しいのかもしれない。
彼女が愛した美しい国はもう、見る影もない。呪いにより、帝国は衰退の一途を辿っていた。
それでも、どんなことをしてでもこの国を救い、未だ見つからない彼女を殺した人間を探し出すためだけに、俺は生きていくのだと決めていた。
『俺はまだ、頑張れるよ』
エルセを思い出さない日は、1日だってない。俺の人生の中のたった2年間──彼女と過ごした日々は俺にとっての糧であり、全てだった。
『エルセに次に会えた時、頑張ったねって言ってもらえるように、頑張るから』
彼女が大好きだった花を供えて、笑顔を向ける。
(……会いたいと、何度願っただろう)
こんなにも時が経っても、エルセへの想いは色褪せるどころか大きくなっていく。
そしてそれはこの先一生、変わることはない。そう、思っていたのに。
『もし良ければ、フェリクス様と呼んでも?』
ファロン王国からやってきた聖女、ティアナ・エヴァレットは、変わった人間だった。
『フェリクス様のことが、知りたいんです』
「空っぽ聖女」などと呼ばれ何の力もなく、虐げられてきた17歳の少女。だが、彼女はそんな様子など一切見せず、いつだって太陽のような笑みを浮かべている。
(……俺に、何を求めているんだ)
彼女が俺に対して恋情を抱いている訳ではないということは、すぐに分かった。
ただ俺の話を楽しそうに聞いては、まるで慈しむかのようなまなざしを向けてくるのだ。
『フェリクス様は、お慕いしている女性はいますか?』
『……これ以上、痛ましい被害を出してはなりません。必ず全ての呪いを解いてみせます』
気が付けば、予想外の言動ばかりする彼女から目を離せなくなっていた。
そして彼女が、どうしようもないくらい善人だということも、分かってしまった。利用することに対し、罪悪感を感じてしまうほどに。
『このロッドを、お借りしたいんです! どうしても、必要なんです……多くの人の命が、かかっているので』
『もしもまた怪我人がいたら、呼んでください。魔力量の限りはありますが、少しは治せますから』
自分を顧みず、他者のために心血を注ぐまっすぐな彼女の姿は、色褪せた俺の瞳にはひどく眩しく映った。
それは俺がとうに失い、俺が一番憧れたものだった。
『……今、何を考えていますか?』
『俺は、ティアナ以外と踊るつもりはありません』
『ですから、あなたもそうしてくださると嬉しいです』
だからこそ、あんなことを言ってしまったのだろう。彼女が自分以外を見ることに、焦りを覚えたのだ。
(本当に、俺らしくない)
俺はエルセ以外に心惹かれることはないし、そんなことなど絶対あってはならないというのに。
──それでも何度か、ティアナがエルセと重なって見えることがあった。だが「もしかしたら」なんて馬鹿げた都合の良い夢物語など、考えないようにしていた。
無駄な期待をして辛くなるのは、自分自身だからだ。
『っフェリクス! 集中して!』
そんな中、赤の洞窟でティアナにそう呼ばれた瞬間、思わずはっとして息を呑んだ。
きっと偶然そう呼んだだけだ。そう分かっていても、心臓は早鐘を打ち続ける。
(期待しては駄目だと、分かっているのに)
俺のことをそう呼ぶ人間は、今も昔も世界に一人きりだった。そして彼女は意識を失う前「ありがとう」「やっぱり天才だね」と、掠れた声で言ったのだ。
──震える手を必死にこちらへ伸ばし、俺の左手と自身の右手の小指を絡めながら。
俺は幼い頃、再び悪化し始めた呪いにより手や指先まで痛むことが多く、彼女はいつも俺と手を繋ぐ時、唯一痛まない小指の指先だけを絡めてくれていたのだ。
『……っ』
俺と彼女だけの、歪な優しい手の繋ぎ方。
冷たくなった指先を、そっと握り返す。ティアナはエルセの生まれ変わりなのだと、確信した瞬間だった。
すぐに傷だらけの彼女を王城へ連れ帰り、それからずっと、側で見守り続けた。
(どうして、何も言ってくれなかったんだ)
その青白い顔を見つめながら、これまでティアナと過ごした数週間のことを思い出す。
『身体の調子はどうですか?』
『……特に何も、問題はありませんが』
『よかった……』
『あ、オレンジフラワーでもいいですか?』
『……約束、まもれなくて、ごめんね』
『ふふ、楽しいなって』
『フェリクス様、ダンスがとてもお上手ですね』
『でも私は雨、昔から好きなんです』
思い当たることは、いくらでもあった。
(──こんなに、近くにいたのに。こんなにも、彼女は彼女のままだったのに)
感謝も謝罪も、この胸の中で燻り続けた想いも、これまでのことも、伝えたいことがたくさんあった。
(今度はもう絶対に、間違えたりしない。もう絶対に、死なせたりしない。絶対に俺が守ってみせる)
未だ眠り続ける彼女に向かって、祈るように呟く。
「……お願いだから、目を覚ましてくれ。ティアナ」