赤の洞窟 4
フェリクスと共に中へと入り、扉が閉まると完全な暗闇に包まれる。すぐにロッドで光を灯せば、そこは夥しい魔物の死骸で埋め尽くされていた。
「なに、これ……」
先ほどから足元で水音がしていたのも、全て魔物の血によるものらしい。これまで数え切れないほど魔物と戦ってきた私でも、ゾッとしてしまう光景だった。
思わず後ずさった私の背中を、フェリクスがそっと支えてくれる。
「……ごめんなさい、流石に驚いてしまって」
「当然の反応です。大方、内部で生まれた魔物が結界のせいで出られず、食い合っていたんでしょう」
魔物というのは、濃い瘴気から生まれる。瘴気は扉から漏れ出していたものの、この場所で生まれた魔物自体はここから出ることができずにいたのだろう。
つまりこの空間では、蠱毒のような状況が出来上がっていたことになる。
「それなら、ここには──……」
そこまで言いかけた途端、ずるずると何かを引きずるような音が室内に響く。
「ティアナ!」
次の瞬間、私を抱き寄せたフェリクスが地面を蹴る。直後、私が立っていた地面は大きく抉れていた。
あのままあの場所にいたら、私は死んでいただろう。
「あれが生き残りのようですね」
「……っ」
フェリクスの視線の先には複数の魔物をぐちゃぐちゃに寄せ集めて固めたような、成れの果てのような魔物の姿があった。
あまりにも醜い姿に声も出ない私とは違い、フェリクスは冷静なままだ。
(これまで殺した魔物の死骸を、吸収しているのね)
「下がっていてください。俺が倒します」
「……分かったわ。気を付けて」
「はい」
剣を抜き、フェリクスは魔物へ向かって行った。美しい銀色の刀身が宙を舞い、確実に体を切り裂いていく。
その一方で魔物もまた、大きな図体の割に俊敏で、的確にフェリクスを攻撃していた。
これほど多くの魔物を殺し生き残ったのだから、その強さは間違いないようだった。
(それに、恐ろしい回復速度だわ)
フェリクスが体を削ぎ落とすように斬り伏せても、すぐに再生していくのだ。
足元に魔法陣を展開したフェリクスは、魔力を放出させ加速すると、魔物の再生が追いつかない速度で攻撃を重ねていく。剣と魔法と完璧に組み合わせて戦う姿は、まさに魔法使いの理想形だった。
同じ魔法使いとして、嫉妬してしまうくらいに。
きっとフェリクスなら問題ないだろうし、私がこのまま見守っていたって何の助けにもならない。
「……私は、私のできることをしないと」
フェリクスの戦闘の邪魔にならないよう、そのまま部屋の奥へと進んでいく。魔物の死骸の悪臭と濃い瘴気が充満しており、目眩がしつつも歩みを進めた。
そしてたどり着いたこの空間の最奥にあったのは、祭壇のようなものだった。
(これが呪いの原因ね)
その中心には、小さな箱がある。溢れ出る呪いからは苦しみや悲しみの強い念が伝わってきて、この箱の中身を想像するだけで吐き気がした。
数多の人間を殺めて作ったこの小箱──呪具を媒介にして、呪いをこの地に宿していたのだろう。
(だんだん分かってきたわ。この呪いの正体が)
こんなものがある時点で、間違いなくこの呪いは人的なものだ。誰かが故意に、この国を呪っている。
そしてこの呪いを解けば、予想は確信に変わるはず。
フェリクスはまだ、魔物との戦闘を続けていた。魔物もかなり消耗してきているようで、時間の問題だろう。
「よし」
私は何度か深呼吸をして両頬を軽く叩くと、解呪の儀式の準備を始めた。フェリクスとルフィノのお蔭で、私はまだ魔力をほとんど消費していない。
呪いを解くのに必要なのは、魔力と媒介だ。媒介は聖水であったり聖遺物であったりと、呪いと相反する聖力が込められているものを使う。
これほどの呪いでは、聖水なんてそれこそ焼石に水のようなものだった。
そしてこれまで呪いを防ぐため、手を尽くしてきた帝国にはもう、まともな聖遺物は残っていなかった。
(だから私は、私の血を使う)
魔法というのは血に宿り、聖女の血というのは中でも特別だ。聖水など比べ物にならないほど、濃い聖力が込められている。
過去、他国では聖女の血が呪いの妙薬として売られ、問題になったほどだった。
そして空っぽになってしまったものの、元々膨大な魔力を宿していた私の血は、かなり聖力が強いはず。
(魔力が足りない今、私ができるのは完璧な魔法を展開すること、全身の血を使うことくらいだもの)
私はまず左手の手のひらをナイフで切り、その血で祭壇の真下に魔法陣を描き始めた。
描き終えた後、私は右手でロッドを握りしめ両膝を突くと、血の滴る左手を地面の魔法陣に押し付けた。
──解呪に失敗して呪いに押し負ければ、呪いが全て私の血に回り、間違いなく命を落とすことになる。
(本当は、少しだけ怖い)
満足に魔法も使えない身体で、これほどの呪いに立ち向かうのは怖かった。過去の自分の力をよく知っているからこそ、今の至らなさがはっきりと分かる。
それでも、今はもうやるしかないのだから、不安になっていたって仕方がない。
「……大丈夫、私ならできる。絶対に大丈夫」
何度も自身にそう言い聞かせ、私はありったけの魔力を込めた血を魔法陣に注ぎながら、詠唱を開始した。