赤の洞窟 2
(どうして、そんな……それにルフィノは誰にでも触れたりするような人じゃないのに)
ルフィノの手のひらは驚くほど冷たく、エルフの血が濃いからだと過去に言っていたことを思い出す。
こういう時、同じ人間ではないのだと思い知る。そしてその様子からは、辛い別れを経験したことが窺えた。
(やっぱり、私の死が関係があるのかしら)
好きだと伝えてくれた翌日だったこともあり、ひどく悲しんでくれたのだろうと思うと、やはり胸が痛んだ。
私は頰に触れていたルフィノの手を取り、まるで握手をするように、温めるように両手でぎゅっと包む。
仮にも私は次期皇妃なのだし、深い意味はなくとも、こんな場面を見られてはルフィノが責められてしまう。
「ありがとう。私は絶対に死なないから、大丈夫よ」
彼の目を見て、はっきりとそう告げる。もう二度とあんな風に、誰かを残して死んだりはしない。
(きっと同じ聖女の私に、エルセを重ねているんだわ)
絶対に大丈夫だから、という気持ちを込めてまっすぐに見つめる。するとルフィノは美しい蜂蜜色の目を見開いた後、やがてふっと口元を緩めた。
「……ありがとうございます。どうか僕にも、あなたを守らせてくださいね」
「もちろん! ありがとう、百人力だわ」
ルフィノがいつも通りの様子に戻ったことで、内心ほっとする。私は彼からそっと手を離すと、空気を変えるように自身の両手をぱんと合わせた。
「あ、そうだわ。お誘いしてくれたのに、舞踏会では一緒に踊れなくてごめんなさい」
「いえ、気になさらないでください。もしかして陛下がそうするよう言ったんですか?」
「ええ。やっぱり未来の皇帝夫妻として、円満アピールが必要みたいで……フェリクス様は真面目なのね」
そう言ったところ、何故かルフィノはくすりと笑う。
「そうですね。常に帝国のことを一番に考えてくださっています。……それでいて、とても不器用な方ですよ」
「不器用? フェリクス様が?」
「はい。今も昔も」
今のフェリクスは完璧に見えるけれど、付き合いの長いルフィノには見せている一面があるのかもしれない。
「僕もあれくらい、まっすぐになってみたいものです」
その言葉の意味も、私には分からない。けれど、ルフィノが心底そう思っていることは伝わってきていた。
◇◇◇
そして6日後、私達3人は予定通り赤の洞窟へ向かって出発していた。私とフェリクスが隣り合って座り、向かいにルフィノが座り、馬車に揺られている。
「身分を隠すため皇族用の馬車ではないので、乗り心地はあまり良くないかもしれません」
「いえ、今すぐ眠れそうなくらいですよ」
私が長年使っていたベッドの100倍柔らかく、これ以上ないほど快適だ。ただ、天気が非常に悪い。
中止にするか悩んだものの、他の日にずらすとかなり先になるため、決行することとなったのだ。
「陛下とこうして城の外へ出るのも、久しぶりですね」
「はい。子どもの頃はよく出掛けていましたが」
フェリクスとルフィノもやはり付き合いが長い分、仲は良さそうだ。お兄さんと弟、という雰囲気がある。
「それにしても、酷い雨ですね」
「はい。でも私は雨、昔から好きなんです。あ、流石にこれくらい降っているのは、好きではないんですが」
「…………」
穏やかな雨音や雨上がりの綺麗になった街が、私は昔から好きだった。それを話せば、じっとフェリクスがこちらを見ていることに気が付く。
「フェリクス様?」
「……いえ、昔同じことを言っていた方がいたので」
「えっ」
(私、そんなことまで話していたのかしら。十七年前に誰に何を話したのかなんて、さっぱり覚えていないわ)
流石にこれだけで正体がバレることはないものの、積み重ねというものがある。気を付けなければ。
そんな中、ルフィノが「ティアナ様」と名前を呼ぶ。
「そちらのロッド、とても素敵ですね」
「ありがとう! 今朝いただいたばかりなの」
そう、手元で輝くロッドは、フェリクスが今朝ギリギリで間に合わせてくれた。美しい銀色のロッドの上部には大粒の魔宝石が複数ついており、驚くほど華やかだ。
(ひとつで良いって言ったのに、フェリクスが迷うなら全て選ぶべきだって全部買ってしまったのよね)
宝石商を呼んだ際には彼も立ち会ってくれた結果、とんでもない額の買い物になってしまった。
(でも、これでかなり効率が良くなるはず)
魔法効果を上昇させるものから始まり、魔法攻撃を防ぐ結界を張るものまである。お値段に関しては申し訳ないものの、このロッドを使って精一杯働こうと思う。
「本当にありがとうございます。一生、大切にします」
「はい。喜んでいただけてよかったです」
ロッドは聖霊石という特別な素材でできており、一度魔力を通せば、その聖女のものとなるのだ。そっとロッドを指先で撫でれば、ほんの少しだけ輝いた気がした。
そうして出発してから半日が経つ頃、私達は洞窟の手前の森の入り口に辿り着いた。
ここからは馬車から降り、歩いて進むことになる。
(……なんて酷いの)
洞窟から漏れ出している瘴気により、森の草木は枯れ落ち、生き物の気配は一切ない。まさに「死の森」という言葉がぴったりだった。
「ティアナ、大丈夫ですか」
「ええ。行きましょう」
酷い雨が止んだことだけが救いだろう。フェリクスに差し出された手を取り、森の中を歩いていく。
ルフィノがすぐに結界を張ってくれたものの、進むたびに瘴気が濃くなっていくのが分かった。
「……すみません、少し手を離しますね」
前方には蜘蛛の形をした魔物が数匹現れ、フェリクスは私から手を離し前に進み出ると、静かに剣を抜く。
それからは一瞬だった。剣を軽く振っただけで、魔物達はあっという間に肉片となり、地面に転がっていく。
(ま、魔法も使わずに……すごいわ……!)
私が知るフェリクスは、剣を持つだけでぷるぷると震えていたというのに。一体どれほどの努力を重ねれば、こんなにも強くなれるのだろうか。
剣を鞘に納め、すぐに側へ戻ってきたフェリクスは、気分が悪くなっていないかと尋ねてくれる。
「はい。フェリクス様、とてもお強いんですね」
「いえ、俺なんてまだまだです」
これでまだまだだなんて、一体なにを目指しているのだろう。それからも魔物を倒しながら進み、無事に私達は赤の洞窟へ到着した。
「…………っ」
深淵の闇がぱっくりと口を開けた洞窟の前で、私は呆然と立ち尽くしてしまう。
(何なの、これ……想像していたよりもずっと酷いわ)
ルフィノが完璧な結界を張ってくれていると分かっていても、あまりにも濃い瘴気と呪いの気配に、呼吸をすることさえ躊躇いを覚えた。
前世でも私は多くの呪いを見てきたけれど、とても比べ物にならないほど、強く禍々しいものだった。
(こんなもの、絶対に存在してはいけない)
思わずきつく手のひらを握りしめる私を見て、フェリクスは「大丈夫ですか」と声を掛けてくれる。
フェリクスや帝国の民は長年、これほどの呪いに苛まれていたのだ。その苦しみを思うと、胸が痛んだ。
「……はい、問題ありません。行きましょうか」
そして私達は、赤の洞窟内へと足を踏み入れた。