くるりと回って、さあ大変 3
(何故、彼女がそんなことを知っているのかしら)
まさかザラ様は──シューリス侯爵家は、ファロン神殿の人間と繋がりがあるのだろうか。
元々、王国と帝国は不仲ではなかった。侯爵家ともなれば代々付き合いがあったとしても、おかしくはない。
(フェリクスが話したとは思えないし……そして私に対して誰よりも敵意があるのは、彼女みたいね)
先ほどの令嬢達とは違い厄介そうな相手だと思いながらも、私はザラ様に変わらず笑顔を向けた。
「まあ、そんな根も葉もない噂話が、ザラ様の元にまで届いていたなんて……お恥ずかしいですわ」
「根も葉もない、ですか」
その嘲笑うような笑顔からは、確かな筋から私について詳細に話を聞いていたことが窺える。
「フェリクス様もお可哀想に。何の力もない聖女を利用するしかないなんて」
「…………」
「お飾りの聖女ならまだしも、皇妃の立場は辞退すべきではなくて? あなたには不相応だわ」
もしも私が前世を思い出さず、魔力量もあのままだったとしたら、彼女がそう思うのも当然だった。
一度は皇帝の婚約者候補に上がったくらいだし、許せない、認められないという気持ちだって分かる。
それでも、それを決めるのは私でもザラ様でもなく、フェリクスなのだ。フェリクスが彼女を皇妃の座に据えなかったのは、何か理由があってのことだろう。
(それに、今の私は少しだけど魔法も使える。認識を間違えているのは彼女の方だもの、焦る必要はないわ)
わざわざ魔法を見せびらかす必要もない。神殿の人間と繋がっている可能性があるのなら、尚更だった。
「ねえ、ザラ様。ご自身のためにも、迂闊なことはあまり言わない方が良いと思いますよ」
「…………」
「間違った情報を鵜呑みにして聖女を貶した、なんてことが広まれば、困るのはあなただけでなくなるもの」
心配するような顔で、諭すようにそう告げる。
彼女は元々の私の性格なんかについても、聞いていたのかもしれない。だからこそ、私が堂々とした態度でい続けることに戸惑いを覚えているようだった。
(結局、自分の目で見たものしか信じられないのよね)
唇をきつく噛んだまま黙り込んでいる彼女にもう少し釘を刺しておくべきか悩んでいたところ、フェリクスと侯爵が戻ってきた。
「ティアナ、お待たせしました」
「ええ。おかえりなさい」
フェリクスに気が付くなり、ザラ様は別人のように穏やかな笑みを浮かべ、親しげな様子で話しかける。
「フェリクス様、ぜひまた晩餐会にいらしてください」
「ああ。カーターにも会いたいと思っていた」
「ふふ、お伝えしておきますわ。それでは、また」
丁寧に礼をして、二人は去っていく。やがて人混みに紛れて姿が見えなくなると、私は小さく息を吐いた。
「フェリクス様、人気ですね。嫉妬してしまいますわ」
「……やはり気苦労をかけてしまっていますよね。申し訳ありません」
冗談のつもりで言ったのに、フェリクスは本気で申し訳なさそうな顔をするものだから、困惑してしまう。
こうなることなんて簡単に想像できるし、フェリクスだって最初から分かっていたはず。他国の人間で役立たずの私は、風除けにも適任だっただろう。
それなのに何故そんな顔をするのか、分からない。
(フェリクスこそ、苦労してばかりのはずだもの。これくらい気にしないでほしいわ)
「いいんですよ、これが私の仕事ですから。そもそもの条件が私に都合良すぎましたし」
「…………」
「あ、そんなに気にされるのなら、何か高い物でも買ってもらおうかしら?」
そう言って悪戯っぽく笑って見せると、フェリクスは少しの後「いくらでも」と小さく微笑んでくれた。
やがてホールに流れる音楽が変わり、主役である私達が踊る時間がやってきたことを悟る。
「どうか、俺と踊っていただけませんか」
「もちろんです」
差し出された手を取り、ホールの中心へ向かう。
実は私が寝込んでいたことや、フェリクスが多忙なこともあり、一度も一緒に練習できていなかった。
(少し不安だったけれど、杞憂だったみたいね)
心地良い音楽に合わせステップを踏んでいくけれど、フェリクスのリードがあまりにも上手いものだから、驚くほど踊りやすかった。
ちらりと正面を見上げれば、透き通ったアイスブルーの瞳と視線が絡む。こんな至近距離で今のフェリクスの顔を見る機会なんてなかったため、また心臓が跳ねた。
(本当に、絵本に出てくる王子様みたい)
こうしてフェリクスと踊っていると、まるで自分がお姫様にでもなったような気分になる。
「……ふふ」
「どうかされましたか?」
「いえ、楽しいなって」
──思い返せば過去に何度か、フェリクスにダンスを教えてあげたことがあった。
フェリクスはいつまでも練習をやめようとせず、どうしてそんなに頑張るのかと聞いたことがある。
『……俺が大人になったらエルセをかっこよくリードして踊るために、上手くなりたいんだ』
『まあ、フェリクスったら本当に可愛いんだから! そんな日が来るのを楽しみにしてるわ』
(林檎みたいな赤い顔で、本当にかわい……はっ、もしかしてあの頃から、私のことを好きだったのかしら)
そんなやりとりを思い出し、まさかこんな形で実現するとは思わなかったと、再び笑みがこぼれる。
当時のフェリクスはお世辞にも上手いとは言えなかった記憶があるし、きっと練習を重ねたのだろう。
「フェリクス様、ダンスがとてもお上手ですね」
「あなたこそ。驚きました」
(私は昔から運動神経だって良かったもの。今は身体がひ弱なせいで、見る影もないけれど)
そんなことを考えながら、軽くターンをする。すると不意に、少し離れた場所にいるルフィノと目が合った。
眩しい笑顔を向けられ、笑顔を返す。そして彼にも先日、ダンスを誘われていたことを思い出していた。
「…………」
(ルフィノも人気だろうけれど、きっとフェリクスへの誘いも尽きないでしょうね)
帝国は王国に比べて自由な面が多く、ダンスの申し込みは女性からもできるし、既婚未婚を問わない。
だからこそ、芋洗い状態で女性達に囲まれるフェリクスを想像してしまい、小さく笑った時だった。
「……今、何を考えていますか?」
突然そんなことを尋ねられ、内心驚いてしまう。
「えっ? ええと、この後フェリクス様にはダンスの申し込みの行列ができるんじゃないかなと」
この後は私達も別の相手と踊っていいことになっているため、笑いながらそう言ったのに。
「俺は、ティアナ以外と踊るつもりはありません」
「えっ?」
ダンスだって、社交に必要なものだ。フェリクスは多忙ながらも積極的に社交界に顔を出していると聞いていたし、なんだか意外だった。
不意に私の右手を握っていたフェリクスの手に力がこもり、ぎゅっと握られる。背中に回された手によって引き寄せられ、更に整いすぎた顔が近づいた。
予想外続きの展開に、心臓が早鐘を打っていく。
「ですから、あなたもそうしてくださると嬉しいです」
そして告げられた予想外の言葉に、私は目を瞬いた。
(これも、円満アピールのためなのかしら)
むしろそれしか理由などないのだけれど、果たしてそこまでする必要があるのかと、疑問を抱く。
フェリクスは真剣な表情を浮かべたままで、縋るようなふたつの碧眼は、大切な記憶の中のものと重なる。
「……わ、わかりました」
そして結局、彼に甘い私は頷いてしまったのだった。