愛しい面影を追いかけて 3
「っすみません、失礼……しま、す……!」
「は!? 何ですか、いきなり!」
ノックのみで返事を待たず不躾に執務室へと入った私に対し、バイロンは顔を真っ赤にして怒っている。
フェリクスも驚いたようで、アイスブルーの切れ長の瞳を見開き、私を見つめていた。
「……っ……はあ……あの、……ロッドを……」
体力が全くなさすぎて、少し走っただけでも息が切れてしまう。必死に息を整えた私はまっすぐフェリクスの机へ向かい、ロッドを握りしめた。
「一体、何の真似ですか」
その瞬間、フェリクスはすぐに反応し、いつもより冷えた声でそう尋ねてくる。
想い人の遺品を持ち出そうとしているのだから、当然の反応だろう。
「このロッドを、お借りしたいんです! どうしても、必要なんです……多くの人の命が、かかっているので」
「──何があったんですか?」
私の必死な姿に、フェリクスも何かあったのだと悟ったらしい。後に報告がされるとしても、すぐに皇帝の耳に入ることはない。知らないのも当然だろう。
「後で、きちんと、説明します……!」
とにかく今は、一分一秒が惜しい。私はごめんなさいと告げると、そのまま執務室を飛び出した。
(なるべく力を隠すなんて言っていたけど、こんなの私らしくない。その時にできることを全力でやって、一人でも多く目の前の命を救うべきだわ)
肺の痛みを感じながらも休まずに走り続け、騎士達の元へと向かっていく。
「ティアナ様! そちらのロッドは……?」
怪我人の手当ての手伝いをしていたマリエルは、困惑した表情で私とロッドを見比べた。
執務室に足を踏み入れたことがある者は皆、このロッドを目にしたことがあるはず。
そしてそれが前大聖女のものであること、フェリクスが大切にしていることも分かっているからだろう。
私は怪我人の前に跪くと、ロッドを握りしめた。
(……久しぶりね。あなたまでこんなにボロボロにしてしまって、本当にごめんなさい)
傷だらけのロッドに反応はなく、魔力も感じない。それでも私は諦めず、ロッドに呼びかけ続けた。
(不甲斐のない私だけど、目の前の人達を救いたいの)
(都合の良いお願いばかりをして、本当にごめんね)
(どうかもう一度だけ、力を貸して──!)
そう強く念じた瞬間、ロッドが眩く輝き出す。
同時に体内に、懐かしい魔力が流れ込んでくる。ロッドが私に応えてくれたのだと思うと、視界がぼやけた。
(……私、こんなに綺麗で優しい魔力をしていたのね)
温かな美しい光に包まれ、胸がいっぱいになる。失ってから気付く、とはよく言ったものだと思う。
ロッドに入っていた分の魔力によって、ティアナの本来の魔力の半分ほどが満たされたのを感じた。
(これだけあれば、絶対に大丈夫だわ。ありがとう、絶対にみんな救ってみせるから)
ロッドにそっとお礼を言うと、それからは満たされた魔力でひたすら治療を続けた。
──本来、何かに魔力を溜め込むことはできない。それができたのは、私の魔力が特殊だったからだ。
それにも限りがあり今回の分でもう二度と、ロッドからの魔力供給はできない。
(それでも過去の私と、大切に保存しておいてくれたフェリクスに感謝しないと)
それから一時間後、一番軽症だった騎士の怪我を治し終えた私は、安堵の溜め息を吐いた。
騎士達に丁寧にお礼を言われ、笑顔を返す。
(本当に、良かった……)
無事に全員救えたことで、肩の力が抜けていく。
(けれど今回は、ロッドのお蔭で乗り切れただけ)
次に同じことがあった場合、私は何もできないと思うと己の無力さが、ひどく怖くなった。
「──っ」
そんな中、握りしめていたロッドは音もなく静かに崩れ始め、灰になっていく。
きっともう、限界だったのだろう。もしかすると私が死んだあの日には、寿命を迎えていたのかもしれない。
「……ごめんね。今までたくさん、ありがとう」
このロッドは私が12歳の頃、神殿に入る際、亡き両親にプレゼントしてもらったものだ。辛い時も嬉しい時もいつだって、側にいてくれた大切な相棒だった。
(長い間、本当にお疲れ様)
中心部の赤い宝石だけを残し、ロッドは完全に姿を失った。目頭が熱くなるのを感じながら、唇を噛む。
そっと地面に落ちた宝石を手に取り、抱き締める。そしてもう一度お礼を告げた途端、視界に影が差す。
顔を上げると、そこにはフェリクスの姿があった。一瞬にして涙は引っ込み、代わりに別の水分が出てくる。
「い、一体いつから、ここに……?」
「あなたがここに着いて、すぐです」
思いきり、最初からだ。全部見られていた上に、私はとんでもなくやらかしてしまったことに気が付く。
(はっ……しまった、借りるなんて言って勝手に持ってきたロッド、完全に無くなってしまったわ……!)
仕方ないとは言え、フェリクスからすればショックに違いない。怒られて当然だろうと、頭を下げる。
「大変申し訳ありません、私──」
「顔を上げてください。謝る必要はありません」
「えっ?」
「あのロッドは俺のものではありませんから。……それに彼女も、きっとこうすることを望んだはずです」
フェリクスの言葉に、胸が締め付けられた。やはり一番大事な部分は何も変わっていないのだと、確信する。
「騎士達を救ってくださり、ありがとうございます」
地面に座り込んでいた私に、フェリクスは手を差し出してくれる。その手をそっと掴めば腕を引かれ、いとも簡単に立ち上がらされた。
(なんというか、本当に大人の男の人みたい)
昔はすぐに転んではよく泣いていたフェリクスを、私が抱き上げて歩いていたのに。
不思議な感覚を抱いてしまいながら、口を開く。
「フェリクス様、ありがとうござ──」
「ですが、ロッドを持って行った理由や今の出来事について、詳しく話を聞いても?」
「ハイ……」
ほっとしたのも束の間、フェリクスの笑顔の圧に押し潰されそうになりつつ、私は小さく頷いたのだった。