愛しい面影を追いかけて 1
(も、もしかして美味しくなかった……? フェリクスは良いものばかり飲んでいるだろうし、素人の淹れたものなんてもう、口に合わないのかもしれないわ)
そう思った私は慌てて、フェリクスに声をかけた。
「ごめんなさい、捨てていただいて大丈夫なので」
「……何故そんなことを?」
「お口に合わなかったのかと思いまして」
「いえ、むしろ美味しくて驚いたんです。……俺がいくら試しても、この味にはならなかったので」
そしてようやく、フェリクスは私が淹れたお茶を恋しく思ってくれていたのだと気が付く。どうやら懐かしい味と全く同じ味に、驚いたらしい。
(そんなに気に入ってくれていたのなら、分量をちゃんと教えておけばよかったわ)
お茶ひとつで正体がバレることもないだろうし、嬉しくなり、心が温かくなるのを感じる。
「それは良かったです。もしよければ、後で分量と淹れ方をまとめておきますね」
「ありがとう」
そう告げれば、フェリクスはどこかほっとしたように小さく微笑んだ。再会してから初めて見る、彼の本当の笑顔のような気がした。
「……今夜はよく、眠れそうです」
多忙な日々を送るフェリクスが、少しでも心が落ち着けるきっかけになったなら、とても嬉しい。
やがてフェリクスはティーカップをソーサーへ静かに置くと、私へ視線を向けた。
「この国の『呪い』については学べましたか?」
「はい。ルフィノが丁寧に教えてくれたので」
ルフィノの教え方はとても分かりやすく、お蔭で恥をかくこともなさそうだ。そう答えると、何故かフェリクスの瞳には困惑の色が浮かんだ。
「彼がそう呼ぶように言ったんですか?」
「? はい。そうですが」
「…………」
何か考え込むような様子に、私も首を傾げる。
「……ルフィノ様がそう呼ぶよう許可されることなど滅多にないので、少し驚きました」
「えっ?」
それならどうして、私は許されたのだろう。やはり私が一応は「聖女」だからなのだろうか。
「帝国の呪いについて、どう思いましたか?」
「……これ以上、痛ましい被害を出してはなりません。必ず全ての呪いを解いてみせます」
(もう、誰にも何も失ってほしくはない)
すると私の言葉に、フェリクスは目を瞬く。その反応を見た私は、はっと我に返った。
「あ、あの、私が解くとかそういう話ではなく、何かお手伝いができたらと思いまして……」
(たいした力もないのに、偉そうに大それたことを言ってしまったわ。は、恥ずかしい……!)
恥ずかしくなり頬を両手で覆っていると、フェリクスがほんの少しだけ、笑ったのがわかった。
「ありがとうございます」
「いえ……」
まだ顔に熱を感じながら、この流れで例のお願いごとをすることにした。
「ルフィノと共に赤の洞窟へ行って良いでしょうか? 自分の目で呪いを見て、調べてみたくて」
「…………」
口を閉ざしじっと私を見つめるフェリクスは、お前に何ができるんだ、と思っているに違いない。
それでも絶対に行くという気持ちを込めてフェリクスを見つめ続ければ、やがて彼は頷いてくれた。
「分かりました。ただし、周りからはあなたが聖女だと悟られないよう、姿を変えてください」
聖女が呪われた地に出向いたものの、何の成果も得られなかったと広まっては、困るからだろう。
「必ずそうしますね」
「それと、俺も一緒に行きます」
「……え?」
予想外の展開に、今度は私が目を瞬く。間違いなくフェリクスは多忙なはずなのに、一体どうして。
「日程はこちらで決めても?」
「は、はい」
フェリクスの様子に変わりはないし、丁度そろそろ視察に行くつもりだったのかもしれない。
とにかく無事行けること、その上フェリクスとルフィノが一緒だなんて、心強いことこの上ない。
「昼間の話の続きですが」
ほっとしていると、フェリクスは本題を切り出した。
「バイロンから大体の話は聞きました。お気遣い、ありがとうございます」
一体どう話したんだろうと気になりつつ、手間が省けたと思っている私に、フェリクスは続ける。
「ですが俺はこの先、あなた以外を娶るつもりはありません。後継者は血縁の者から選びます」
「……どうして、ですか?」
どうして、そう言い切れるのだろう。けれど真剣な瞳からは、絶対に揺るがないことが伝わってくる。
「愛する人がいるんです」
そしてフェリクスは一息吐き、はっきりそう言った。
「俺は一生、彼女だけを思って生きていくつもりです。他の誰かに心が動くことなど、絶対にありません」
やはりフェリクスには、心を決めた相手がいたのだ。
その表情や声音から、どれほどその女性が大切で、愛しく思っているのかが伝わってくる。
「それなら、その方を私の代わりに──」
「……彼女はもう、この世にはいませんから」
そう告げられた瞬間、私は息を呑んだ。自嘲するような笑みを浮かべたフェリクスは、目を伏せる。
(そんな……せっかく愛する人ができたというのに、失ってしまったなんて……)
両親からも見捨てられ、師を目の前で失い、血の滲むような努力を重ね、皇帝の座についたというのに。
ようやく出会えた愛する女性も失ってしまうなんて、どれほど神はフェリクスに試練を与えるのだろうか。
泣きたくなるくらい、胸が痛む。
そんな中、フェリクスはまるで祈るようにネックレスを握りしめた。やがて手を離した瞬間、シャツの隙間から見えたその真っ赤な宝石に、私は再び息を呑んだ。
(あのネックレス、なんだか見覚えがあるような)
形が歪んでしまっているものの、私が最期まで着けていたものによく似ている。私の視線に気が付いたらしいフェリクスは「ああ」と呟いた。
「このネックレスも、彼女が着けていたものなんです」
「……え」
それなら私の勘違いだろうと思いつつも、妙な胸騒ぎを覚えてしまう。亡くなった想い人のことを色々と聞くなんて、良くないことだとは分かっている。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「どんな方、だったんですか」
フェリクスは見たことがないくらい、穏やかで愛しげなまなざしをネックレスへと向ける。
「彼女は俺の師であり──我が国の大聖女でした」
そう告げられた瞬間、私は息をするのも忘れ、呆然とフェリクスを見つめることしかできなくなっていた。
(いやそれ、私なんですけど)