帝国の『呪い』について 5
「何故、泣いているのですか」
フェリクスはそう言って、形の良い眉を寄せる。
こんなにも号泣している姿を見れば、困惑するのも当然だ。けれどこればかりは、どうしようもなかった。
「ティアナ様はこれまで帝国が『呪い』によって失ったものを想い、涙を流してくださったのです」
ようやく涙が止まり始めたものの、まだ上手く話せない私の代わりにルフィノが答えてくれる。
「美しい心を持つ、お優しい聖女様ですよ」
「……そうですか」
ルフィノは嘘を吐かない。だからこそフェリクスも彼の言葉を信じたらしく、少し安堵した様子を見せた。
(ああ、私がこの国の現状を知って、絶望して泣いているとでも思ったのね)
こんな国から帰りたいという涙だと思い、逃げ出されては困ると心配していたのだろう。
「陛下はどうしてこちらに?」
「仕事で魔法塔に立ち寄り、ティアナがいると聞いて様子を見に来たんです」
「そうでしたか。今は僕が色々ご説明していたんです」
「ルフィノ様が? ありがとうございます」
「いいえ」
(それにしても、フェリクスが私以外の人間に対して敬語を使っているのは初めて見たわ)
私同様ルフィノとは、フェリクスが離宮で暮らし、立場が弱い第三皇子の頃からの付き合いなのだ。その時の名残なのかもしれない。
昔と変わらないところを見つけるたび、やはり少しだけ嬉しくなってしまう。
「では、俺はこれで」
フェリクスが出て行くのを見つめ、再びルフィノに向き直ると、彼は蜂蜜色の瞳でじっと私を見つめていた。
「陛下とは、あまり関係がよくないのですか?」
「ええと……良くはないですが、これから距離を縮めて行けたらと思っています」
フェリクスはルフィノの前では、普段の円満感を出そうとはしていなかった。彼は余計なことは言わないし、信用しているからこそなのかもしれない。
「絶対に大丈夫ですよ、あなたなら」
ルフィノは確信した様子で断言するものだから、本当にそんな気がしてきてしまう。
「ありがとう。それと、泣いてしまってごめんなさい」
「いいえ。この国を想ってくださってのことですから。それと、ご安心を。実は数日前、ナイトリー湖の穢れが完全に浄化されたのです」
「えっ?」
話を聞いたところ、なんと汚れ切っていた湖が完全に浄化され、元の姿に戻ったらしい。信じられない奇跡のような出来事に、誰もが驚きを隠せずにいるという。
(まさに奇跡だわ。でも、本当に良かった……だから皆やる気に満ち溢れていたのね)
今回の件は、間違いなく大きな希望となったはず。
ナイトリー湖が浄化された原因を究明し、他の地の解決に繋がることを祈るばかりだ。
「ちなみに民達は、聖女であるあなたが来たからだと思っているようですよ」
「……それは中々、いたたまれない気持ちになるわ」
「ふふ、いいじゃないですか」
その頃、私は殺されかけていたのだ。無関係だというのに手柄にされてしまっては、申し訳なくなる。
「残りの4ヶ所のうち、一番近いのはどこかしら」
「ここからだと赤の洞窟ですね。馬で半日で着きます」
今の私に何ができるのかは分からないけれど、まずは一度、『呪い』をこの目で直接見てみたい。
「私も洞窟に行って直接調べてみたいんだけど、穢れが酷いのよね? どの程度まで近付けるかしら」
「僕が結界を張れば、最奥までいけると思いますよ。行きましょうか?」
「本当にいいの?」
「はい。聖女様がそう言ってくださっているんです。僕にもお手伝いさせてください」
(お手伝いも何も、今の私ができることなんて、ルフィノの10分の1以下なんだけど……)
それでも彼が一緒なら、何よりも心強い。普通なら私なんかが行ったところで何が分かるんだ、と思うはずなのに、真摯に対応してくれるルフィノに胸を打たれる。
それにルフィノが一緒なら安全だろうし、きっとフェリクスからの許可も降りるはず。
「本当にありがとう! でも、どうして?」
「あなたなら、何かを変えてくれると思ったので」
「…………?」
(やっぱりルフィノって、私が空っぽ聖女だって知らないのかしら? そうだとしたら逆に気まずいわ)
やけに期待されていることに疑問と申し訳なさを抱きつつ、それからも『呪い』について教えてもらい、本を何冊か借りた私は自室へと戻ったのだった。
◇◇◇
そして夜、寝る支度を済ませた私は約束の時間になったことを確認し、寝室の共有部分へ移動した。
いつも私が使うのは赤の魔法陣だけど、今日はフェリクスの部屋へ続く青い魔法陣の上に立つ。ほんの少しの魔力を込めれば、すぐに魔法陣は青白く光り出した。
そしてすぐに目の前の景色は変わり、一瞬にしてフェリクスの部屋へと移動していた。
「……ええと、お邪魔します」
「どうぞ」
ソファに腰掛けているフェリクスも風呂上がりらしく髪は落ち着いていて、普段より少し幼く見える。服装も簡素なもので、普段見る姿とは全く違う。
(それにしても、殺風景すぎる部屋ね)
白と金を基調としているものの、皇帝の寝室とは思えないくらい物は少なく、家具もシンプルなものばかり。
贅沢には一切、興味がないことが窺える。そこはなんだかフェリクスらしいと、小さく笑みがこぼれた。
「おかけください」
「はい」
勧められたソファに腰を下ろすと、フェリクスは自らお茶を淹れようとしてくれる。流石に彼に淹れてもらうのは申し訳なく、私がやると申し出た。
部屋には多くの茶葉が揃えられていて、昔と変わらずフェリクスは紅茶が好きなのだということがわかる。
(全く変わってしまったように思っていたけど、変わっていないところもたくさんあるんだわ)
「あ、オレンジフラワーでもいいですか?」
「……はい、お願いします」
この茶葉は寝付きが悪かった小さなフェリクスに、私がいつも淹れてあげていたものだった。
返事に少し間があり、もしかすると気分じゃなかったのかもしれない。それでも今更やめますというのも面倒になり、そのまま進めていく。
オレンジフラワーは甘い花のとても良い香りがするものの、味は薄めで苦味もあるため、他のハーブをブレンドして調節する。
(なんだか懐かしいわ。そもそも王国じゃお茶なんて飲ませてもらえなかったし)
そうして二人分のお茶を淹れ、ティーカップをひとつフェリクスの前に置く。自身の分をいただくと、ふわりと良い香りがして、ほっとする。
(美味しい。久しぶりだったけど、ばっちりだわ)
一方、フェリクスは少しの間じっとカップを見つめていたものの、やがて静かに口をつける。
「──どうして」
「えっ?」
するとフェリクスは何故か、ひどく驚いたような、困惑したような様子を見せ、そう呟いた。