ニーハイを履いた子はかわいい
「おはよ、灰谷くん」
「あ、おはよう、仁井さん」
月曜日の朝、僕はいつもと同じように、隣の席の仁井さんとあいさつを交わした。11月になって初めて隣同士になって、ほとんど初めて、話すようになった女子。4月から同じクラスだったはずなんだけれど、これまで話したことは、記憶の中では一度もなかった。仁井さんも僕も、クラスの中ではそんなに目立つ存在ではないらしい。
テキパキと朝の準備を進める仁井さんを、課題を終わらせながら横目で見ていると、その足元の異変に気が付いた。あれ、仁井さん、上履き履いてない…?
僕の高校は2足制で、生徒は昇降口でそれぞれ靴から上履きに履き替える。指定のものはないけれど、色は学年で指定されていて、ゴムの部分が僕たち1年生は青色でなければならなかった。先週まできちんと上履きを履いていた仁井さんなのに、どうしたのだろう。持って帰って、忘れてしまったのだろうか。けれど、こんな月の途中に、どうして…?上履きはだいたいみんな、ひと月に1回ほど持ち帰って、洗って持ってきている様子。中には学期ごとだったり、毎週だったりする。僕も大多数の一人で、月末に持ち帰るようにしている。仁井さんのそのスパンは全くわからないけれど、先週持ち帰っていたのだろうか。
もう一つの違和感は、仁井さんのソックスだった。先週までは、一般的な白いハイソックスを履いていたのに、今日はなぜか、白いニーハイソックスを履いているのだった。同じクラスにもそんなダイタンなソックスを履く女子なんていないから、なかなか目立っている気がする。つまり今日の仁井さんは、学校の制服に、白いニーハイソックスのままという格好だった。ソックスに合わせて、少しばかりスカート丈も短くなっているような…。スカートとニーハイソックスの隙間、つまり”絶対領域”がくっきりと見えている。
「…灰谷くん、どうしたの?」
「え?あ、ううん、なんでもないよ!」
仁井さんを長い間観察してしまった結果、ヘンに思われてしまったらしい。仁井さんは怪訝な表情で僕を見つめていた。ソックスのままの足元は、椅子の下で組まれて、右の足先だけが床について、足の指がくにっとまがっていた。横から見ても、白いソックスには灰色の汚れが付き始めている。
「そう?あ、もしかして、ニーハイ履いてるから…?」
「え、あ、う、うん、今日、どうしたのかなって、思って…」
思っていたことをばっちり言い当てられて、あわてて話をつなげる。気持ち悪いとか思われていないかな…。
「ちょっと、イメチェンしようかなって思って。」
「そ、そうなんだ、イメチェン、ね」
「そうそう。どうかな?」
どうかな?なんて言われて、どう答えればいいのか、恋愛経験のない僕にはまったくわからずに、ただただ無難に、
「い、いいんじゃないかな、似合ってると思うよ」
なんて答えてしまった。仁井さんは、
「ふふ、ありがと」
ちょっとだけ笑って見せた。結局、朝の会話はそこまでで、ニーハイソックスの理由は何となくわかったけれど、上履きを履いていない理由はわからないままだった。ただただ忘れただけなのか、そうだとしたら、さっきの会話の中で『忘れちゃったんだ』的なことを言うのではないだろうか。それとも、他の理由が…?隠された、とか?いやそうだとしたら、もっと深刻そうになるはずだ。それなら…。などなど、考えていると、授業が始まってもその内容はなかなか頭に入らず、時間だけがどんどん過ぎていった。
仁井さんは活発にいろいろな人と話す方ではなく、休憩時間も自分の席に座って何かしらの本を読んだり、課題を進めたりしているような女子だった。たまに友人らしき女子がやってきて、二言三言言葉を交わすことはあるけれど、3時間目の授業が終わるまで席を立つことは一度もなかった。同時に、上履きを履いていない理由も、いまだにわからないままだ。朝言葉を交わしてから、会話らしいものがなかったというのが大きな原因だと思う。授業中の仁井さんは終始落ち着いた感じで、板書を細かくとっている。足元もほとんど動くことはなく、椅子の下で交互に組まれているか、たまに机の下に、足の裏をぺたりとつけて、きちんと並べて置かれるくらい。ぐいっと足を前の方に伸ばしたりすることはなかった。普段の授業でもそんな様子なので、そこに変わりはない。ちなみに、普段の仁井さんは授業中も一切上履きを脱ぐことはない女子だった。中にはすぐに脱いで、授業のほとんどを靴下のまま、という女子もいるのだが、仁井さんはいままでその点では鉄壁だった。
3時間目の古文の授業が終わると、仁井さんは教科書などを片付けて、今日初めて席を立った。白いニーハイソックスのまま、ペタペタと廊下に消えていく。おそらく、トイレかな。気になったけれど、後をつけるなんてもってのほかなので、僕は自分の席で前に座る友達となんでもない話をしながら帰りを待った。
4時間目の授業の直前、少しだけ急ぎ足で、仁井さんが戻ってきた。席に座るのと同時にチャイムが鳴って、英語の先生が入ってくる。授業の最初は英会話から始まる。挨拶をした後、立ったままで、今日のテーマが発表され、3人と会話を終えると座ることができるシステム。コミュ力の高さが求められるが、幸い僕は、いつも周りの人とすぐに会話を終えて座ることができている。
"Today`s key word is… WHY ! Let`s start!"
今日の会話は、ホワイを使えばいいらしい。まずは前の席の友達、そして後ろ。最後に、もう一人、と探していると、もう何人か座り始める中で、隣の席の仁井さんが立ったままだった。ちょっと困った風に、ニーハイソックスのままできょろきょろしている。僕はすかさずこえをかける。
「仁井さん、仁井さん」
「あ、灰谷くん、まだ大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「ありがとう。えっと、ホワイ…」
まず仁井さんの、
「どうして今日は暑いの?」
という日常的な質問に、
「太陽がすごいからじゃないかな」
なんていい感じに答えて、僕の番。ホワイ、のあとになんて続けようかと考えて、
(どうして、今日は上履きを履いていないの?)
と聞きたい思いがこみ上げてきた。けれど、英語でどう表現すればいいかとっさにわからず、いきなり聞くのはやはり気が引けてしまって、なんでもない、当たり障りのない質問をしてしまった。けっこうなチャンスだったのに、もったいない…。
英語が終わると、昼休憩、掃除、そして午後の授業、とうつっていく。僕が友達と前後で並んで食事を摂る中、仁井さんは財布を持って、クラスの女子と一緒に教室を出ていった。購買に行ったのか、食堂に行ったのか、それはわからないけれど、昼休憩の途中で財布だけを持って帰ってきたので、おそらく食事をして来たのだろうと思う。ソックスのまま行ったのかな。仁井さんは気にしていないのかな…。
掃除は今週から担当場所が変わって、出席番号順に割り振られた場所は、運よく仁井さんと同じ、教室だった。早い者勝ちで、黒板、ほうきがけ、モップ掛けに分かれる。僕はモップ、仁井さんはほうきを持って、掃除開始。ほかの生徒が上履きを履いて掃除する中、一人、仁井さんだけソックスのまま。休み明けでホコリがたまっていて、前半分が終わるころには、教室の隅にこんもりとゴミが積もっていた。仁井さんのソックスも、朝と比べて明らかに汚れが増えていて、足の甲や側面も、灰色に汚れがついていた。
「ちょっと男子ー、もっと雑巾しっかり絞ってからやってよ!びちゃびちゃだよ!」
クラス委員の女子が叫んでいる。僕はしっかり絞っていたけれど、なんにんか絞りが甘かったらしく、彼らが拭いたところだけ、明らかに水気が多かった。仁井さんが知らずに歩いてしまったらしく、足の裏を気にしている様子だった。濡れちゃったのかな。
机を移動させて、後ろ半分の掃除を終え、また戻して、掃除完了。仁井さんはソックスのままだからとさぼることはなく、ほかの生徒と同じようにほうきがけをしていた。モップ掛けをしてやや湿った教室の床も、ペタペタと歩き回っていた。
5時間目は教室を移動して、化学室での化学基礎の授業。教室に戻って道具をとると、タイミングよく、仁井さんの後ろをついていく形になった。1年生の教室は北校舎の2階で、化学室は南校舎の3階。渡り廊下を通って、階段を上る。上履きを履いている生徒の中で、一人上履きを履かずにニーハイソックスのままという仁井さんは、やはり目立つ。ほかの人は気にならないのかな…。すれ違う人たちも気づかないのか、素通りしていく。階段を上るときに、その足の裏が見えてしまったけれど、キレイな校舎内に見えても、結構砂やホコリがたまっているみたいで、白いソックスに真っ黒な足の形が浮かび上がっていた。ソックスのまま朝からずっと過ごしていたら、まあそうなっちゃうよね…。
化学の授業を終えて教室へ戻る。僕はそれとなく、再び仁井さんのあとで化学室を出た。渡り廊下を通った先で、仁井さんはなにか一緒にいた女子に告げると、近くにあったトイレへとソックスのまま入って行った。そういえば、ここのトイレは専用のスリッパがあったはず。けれど、僕たちの教室の近くのトイレにはないから、あえてここを使っていたんだ。流石に、トイレもソックスのままっていうのは、抵抗があるのだろう。
今日最後は、教室でのロングホームルーム。イベント前はその内容を決めたりするけれど、体育祭も文化祭も終わって静かな時期なので、自習ということになった。期末テストも近いし、よかったよかった。まずは学校の課題を終わらせようと問題集に手を付ける。ふと仁井さんを見てみると、足を机の下に並べて、きれいな姿勢で問題集を解いていた。こそこそ話をする生徒もいる中で、やはり仁井さんはまじめだな。
集中して解き進めていると、横からなにか動きを感じた。ちらり目を向けると、仁井さんが足をイスの上にあげて、正座の姿勢をとっていた。少しだけ座高が上がっている。しかもソックスの足の裏をスカートの裾で隠していないので、足の裏が丸見えになっていた。もともとは白かったニーハイソックス。足の裏は、床についていた部分は灰色をこえて足の形に真っ黒で、土踏まずだけがまだ白く残っている、という状況。人に見せちゃっていいのかなと心配していると、仁井さんがふとこちらを向いた。そして自分の足の裏に目を向けて、ささっとスカートで隠してしまった。そして少し顔を赤くして、口元に人差し指を当てる。秘密だよ、というジェスチャーだろうか。僕はドキドキしながら、ゆっくり頷いた。そのあとはもう課題に手はつかず、スカートに隠されたさっきのソックスのことで頭はいっぱいだった。
「じゃあね、灰谷くん」
「う、うん、じゃあ…」
仁井さんはどうやら部活に何も入っていないらしく、放課後はすぐに帰ってしまう。僕はコンピュータゲーム部に入っていて、月曜日は活動日だ。ただ遊んでいるわけじゃなくって、大会に出場して結果を残さないといけないらしく、そこそこみっちり練習している。できることなら仁井さんの帰りを見届けたかった。あの真っ黒になったニーハイソックスはどうするんだろう。あのまま帰るのかな。明日はどうするのかな。いろいろ気になることはあるけれど、泣く泣く部室であるコンピュータルームへと友だちと一緒に向かうのだった。
翌日、僕は少しばかり仁井さんの足元を気にして、いつもと同じ時刻に登校した。すると仁井さんはすでに来ていて、いつものように席に座って本を読んでいた。
「おはよう」
「おはよ、灰谷くん。…どうかした?」
「あ、ううん、なんでもない、よ…」
この日の仁井さんは、昨日の格好がウソであったかのように、いつも通りに戻っていた。少し長めのスカート、机の下でしっかり並べられた足元は、白いハイソックス。そしてきれいに洗われた上履き…。昨日のうちにいろいろ話をしておきたかったなと、少しばかり後悔した。
つづく