上履きを忘れた子はかわいい
月曜日の朝、いつものように自分のクラスの自分の席へ向かうと、隣の席の女子の周りに友人らしき女子が2人集まっていた。静かに隣に座って会話を聞いていると、どうやらその子が大事なものを忘れたらしかった。
「どうなんだろ、先生に言ったらどうにかしてくれるかな…?」
「でも、忘れたの私が悪いんだし、怒られるのはやだよ…」
「あたし、前忘れちゃったときあってさ、一日中なにも言われなかったよ!」
「じゃあ、私も、このままじっとしとこう」
「そうだよね、先生も、だから何?って思うよね、きっと」
「はあ、靴下、よごれちゃうな…」
「今日は、しかたないよね…」
どうやら隣の席の子が上履きを忘れてしまったらしく、夏用の半そでの制服に白いスニーカーソックスだけで席に着いていた。靴下だけの足を机の棒に置いて、なるべく汚れないようにしているらしかった。靴下を履いた足の指が、くねくねと動いている。名前は、上場 鈴。髪は長く、肩につくくらいで、くくったりはしていない。大人しいっていう印象で、顔立ちはカワイイほう、だと思う。
「あ、先生来ちゃった!またね!」
その子の友達がささっと散っていって、一人になる。隣の席とはいえ、必要最低限のことしか話したことはないから、いきなり、「上履き忘れたの?」とか聞けるわけがなく、ただ見守るしかできなかった。午前中はほとんど教室での授業で、靴下を汚したくないからか、上場さんは一度も席を立つことなく過ごしていた。3時間目終わりの休み時間、また友達が話をしに来る。
「もうすぐ給食だねー」
「あ、私、今週給食当番だ…」
「わ、何の係り?」
「えっと…、ごはん・パンだね」
「わ、たいへんだね…」
給食当番の人は、配膳室から給食を持ってきて、食器を持って並ぶクラスメイト一人一人に配っていく。ただ、おかずや牛乳、デザート類は同じ階の配膳室にエレベーターで上がるのだが、ごはん・パンだけはどういうわけか1階の給食室まで取りに行かなければならないのだ。
「えー、1階まで下りなきゃだ、サイアク…」
「かわってあげたいけど、あたしたち当番じゃないからね…」
「ありがとう、でも、がんばるよ!」
意外と責任感が強いらしく、上場さんは靴下のまま給食室まで行くらしかった。
そして4時間目が終わって給食の時間。エプロンをつけた上場さんは、隣の席の僕と一緒に1階の給食室へ向かう。ほかの生徒たちが上履きを履いて移動するなか、一人白いスニーカーソックスであるく上場さん。廊下などはつま先立ちをするわけでもなく、足の裏全体を付けて歩いていた。階段は、つま先を着地させながら降りていく。せっかく2人で移動しているけれど、残念ながらここでも会話はなかった。僕もだけれど、上場さんもけっこうな人見知りって以前言っていたような気がする。今日はごはんの日。全クラス分のごはんが集まっているため、給食室での受け取りには列ができていた。その最後尾に並ぶ。待っている間、上場さんは片方の靴下のつま先を床につけて、足の裏を後ろにいる僕に見せるように動かしていた。靴下だけで歩くと足が疲れるのかもしれない。受け取るまでほんの数分だったけれど、学校内のホコリや砂を集めて、足の形に灰色の汚れが浮かび上がった靴下の裏を、じっくり見ることができた。上場さんはそれに気づいているのかいないのか…。ごはんを受け取ると、2人力を合わせて上へ運ぶ。
「私、前に行くね?」
「う、うん、よろしく」
ようやく最初の会話があって、その後は落とさないように声をかけ合いながら校舎3階の自分たちの教室までたどり着いた。ほかのおかず類は1階までの移動がないため、すでに配りはじまっていて、ご飯も注ぐ準備を済ませると、お皿を持ってならぶクラスメイトに程よくついでいく。2人がかりなので、けっこうすぐに配膳は終わった。
「ふう、おわった…きゃ」
「ど、どうしたの?」
「ごはんつぶ、ふんじゃったみたい…」
エプロンを脱ぎながら歩き出した上場さんが小さな悲鳴を上げた。僕にしか聞こえないような悲鳴。あわてて尋ねると、床に落ちていたごはんつぶを靴下の足で踏んでしまったらしい。上場さんは膝を曲げて足の裏を確認する。給食室までの行き帰りで灰色が濃くなった足の裏、その真ん中あたりに、まだ白いごはんつぶが塊となって、つぶれてくっついていた。
「わ、真っ黒じゃん…。やだな…」
上場さんは小さくつぶやきながら、手でごはんつぶをとると、背後のゴミ箱に入れてしまった。そしてもう一度、膝を曲げて足の裏を確認する。そして今度は静かに足を戻した。上場さんが足の裏をみてどう思ったのか、聞きたかったけれどなかなか聞く勇気はなかった。
給食を終えて、今度は空になったごはんのケースを給食室まで運ぶ。帰りは軽いので一人でも行けるんだけれど、上場さんは「私もいくよ」と言ってまた半分ずつ持っていった。給食の後は昼休み。上場さんはケースを返し終わると、また階段を上っていった。普段の僕はほかの男子と一緒に外で遊んでいるけれど、今日だけはてきとうな理由を言って断って、上場さんについていくことにした。もちろん、それに気づかれることのないように。上場さんは教室に戻るのかと思ったら、その横の多目的スペースで友達とおしゃべりをするらしかった。普段からそうやって過ごしているらしい。僕もその様子が気になったけれど、男子が1人でいるには怪しまれてしまうので、泣く泣くその場を後にした。
昼休みの後は掃除の時間。席が近いので、掃除の場所も同じになる。僕たちのグループは教室の担当だった。教室の前の方をほうきで掃いた後、雑巾がけをして、机を移動して、後方を同じようにやっていく。だれがほうき、とかは特に決まっていないので、早い者勝ちとなる。僕は早くから教室に戻ってきていたのでほうきをゲット、上場さんたちはおしゃべりが長引いたようで、ぎりぎりに戻ってきて、雑巾の担当になった。先生が見守る中で掃除の開始。ほうきで掃く間、上場さんたちはバケツに水をくんでくる。掃除のメンバーの中でも、上履きを履かずに靴下なのは上場さんだけ。朝からずっとなのでもう慣れてしまったのか、受け入れてしまったのか、上場さんは自然に靴下のままペタペタと歩いていた。ほうきで教室を掃くと結構な量の砂やホコリ、消しゴムのゴミが集まって、上場さんはそんな中を靴下のまま歩いているんだと思うとドキドキした。そしてそんな床を、上場さんは靴下のまま雑巾がけをしていく。後から見ていると、靴下の裏が丸見えになっていて、どんどん汚れが濃くなっているように見えた。
バケツをひっくり返すようなアクシデントもなく、掃除が終わって5、6時間目は講演会だった。有名な塾の先生が、将来のことについて話をしてくれるらしい。6年生はみんな、体育館へ移動する。校舎を1階まで下りて、外のコンクリートの床の渡り廊下を通って、体育館へ。クラスごとに、男女別に出席番号順に並んで座る。上場さんは女子の列の前から2番目。ちなみに1番目は明石さん。そして僕は男子の列の真ん中あたりで、上場さんとは結構な距離があって、足元の様子を詳しく見ることはできない。けれどどうやら上場さんは、体操座りをしているらしかった。膝のところで手を組んで、資料を読んでいる。講演会は途中10分間の休憩をはさんで、90分ほどあった。難しい内容もあって、途中ウトウトする人もちらほら…。けれど僕は、上場さんの観察という目的もあって、講演会中ずっと目を覚ましていた。初めは体操座りをしていたけれど、途中で姿勢を変えて、足の裏をこちらに向けていわゆる女の子座りになった。姿勢を変えて少しの間、気づいていないのか、上場さんはスカートで足の裏を隠すようなことはせず、真っ黒になった靴下お裏をこちらに見せつけてくれていた。前の前の男子が気づいた様子で、僕の1つ前の男子とこっそりと、
「なあなあ、上場さん、靴下、真っ黒」
「え、わ、ほんとだ、真っ黒…!」
と話していた。やがて上場さんも気づいたようで、あわててスカートの裾で足の裏を隠していた。
「あ、雨ふってる!」
「ほんとだ!」
講演会が終わって教室へ戻るとき、体育館の出口へ近づくと、雨音が聞こえてきた。夏によくある、ゲリラ豪雨ってやつのようで、けっこう強めの雨が降っていた。幸い、渡り廊下には屋根があるから体は濡れないけれど、強い雨と風で、渡り廊下は一面が濡れてしまっていた。
「うそー、雨だ…」
「わ、鈴ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、じゃないね…」
「これ絶対濡れるよね…?」
出口のところで立ち止まる上場さん。少しの間考えていたけれど、後ろからどんどん人も抜かしていって、とうとう決意したらしく、
「うん、もうこのままいく…!えいっ」
と言って、靴下だけの足を、雨でぬれた廊下に下した。そのまま、ペタペタペタと足の裏全体を使って走っていく。大きな水たまりが途中あって、みんなに合わせて上場さんもジャンプ、着地は両足でしっかり決めていた。その着地点も雨でぬれていたので、きっと靴下の裏はじとじとしているだろう。そのまま校舎の中に入って、階段を上る上場さん。それまでまだ白かった、土踏まずの部分まで汚れが広がっているように見えた。
教室に戻ると、席に着いて、講演会にはお決まりの感想文記入の時間。先生が用紙を回していくなかで、隣に座った上場さんは、体をかがめて、手を使って靴下を脱いでいるところだった。流石に雨でぬれた靴下をそのまま履いているのは気持ち悪かったらしい。現れたのは、初めて間近で見る、上場さんの素足。両足とも靴下を脱いでしまうと、その靴下は床に置いて、足は机の棒に置いて、感想文を書いていった。書いている間、濡れてしまった足を乾かしているのか、足の指がせわしなく動いていた。
「はい、では感想文を集めます!もうちょっと書きたい人は、持ち帰って明日持ってきてもいいです!出せそうな人は、前に持ってきて!」
先生の指示で、クラスメイトはガタガタと席を立って用紙を提出していく。僕もかけていたので、出しに行くつもりだったけれど、上場さんはどうするのかなと思って見てみると、裸足のまま席を立って、ペタペタと歩いて提出しに行ったではないか。大人しいけれど、教室の中で靴下を脱ぐなど、なかなか大胆なところがあるらしい。僕もそのあとに続いて出しに行くと、ちょうど先生が上場さんに話しかけているところだった。
「あら?上場さん、どうして裸足なの?」
「あ、あの、今日、上履き忘れちゃって、靴下のまま渡り廊下あるいたら濡れちゃって…」
あったことを正直に話す上場さん。後から見ると、足の指がもじもじと動いている。
「あ、そうだったのね…。明日は、ちゃんと持ってきてね?」
「は、はい、わかりました」
その後、席に戻る上場さんは、周りの注目を浴びたからか、ちょっとだけ頬が赤くなっていた。
「きりつ、れい」
「さようならー」
「はい、さようならー」
帰りの会が終わって、みんなそれぞれ帰ったり、部活に行ったり、習い事に行ったり。僕は何も予定がないので、家に帰るけれど、その前に隣の上場さんの様子をうかがう。
「鈴ちゃん、かえろー」
「う、うん…」
「あれ?靴下脱いじゃったの?」
上場さんの友達の一人が、裸足になっていることに気づいた。上場さんはまた顔を赤くして、
「うん、さっき濡れちゃって…」
「あ、雨すごかったもんね!鈴ちゃん、強行トッパしてたもんね!」
「どうする?そのまま、かえる?」
「替えの靴下もないしなー…。うん、ガマンして、このまま帰る…」
そう言って、上場さんはランドセルを開けて袋を取り出すと、床に置いていた靴下をその中に入れた。そして、ランドセルを背負う。きちんと制服を着ていて、ランドセルを背負っているのに、足元は裸足の女の子。間近でそれを見てすごくどきどき。
「明日は、ちゃんと持ってこなきゃね!」
「うん、ぜったい忘れない!」
上場さんは一度足元を見て、足の指をくねくねっとさせると、他の子たちと一緒に教室を出ていった。少しだけ遅れて、僕も教室を出る。すぐあとに出ると、きっと怪しまれてしまうし、途中で追い越してしまうかもしれないから。
「鈴ちゃん、また明日ね!」
「うん、バイバイ!」
靴箱のところに着くと、ちょうど上場さんたちが靴を履き替えているところだった。思った通り、少し後に出て正解だったと思う。上場さんは裸足のままで、スニーカーを靴箱から取り出す。そして軽く足の裏を手ではたいた後、素足をそのまま履いてしまった。手を使って、かかとまでしっかりとスニーカーに入れると、つま先をトントン。そして不意に後ろを振り返ったとき、その様子を見ていた僕とばっちり視線があってしまった。
「あ…、また、明日ね」
小さく手を挙げて、そう挨拶をしてくれた上場さん。急に緊張してしまって、なんとか返事を返す。
「う、うん、また明日…」
僕がそう言うと、上場さんは手をまた小さく振って走っていってしまった。さっきまで降っていた雨はすっかり止んで、じめじめッとした空気の中に、太陽の光が差し込んでいた。
つづく