表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

爛れた心

「……花さま、一体何の御用でしょう?」


 口火を切ったのは不機嫌さを隠そうともしない様子の雨音だった。


 夕暮れに差し掛かる頃、花によって――正確には花の話を聞いたねねによって呼び出された三人の妃は全員、花に向かって不信感に満ちた眼差しを向けている。本来なら帝を待つために、趣向を凝らし着飾るべき時間帯なのだ。それを今日、後宮に入ったばかりの花に邪魔をされて苛立っている。妃たちの中では最も穏やかであろう美晴でさえ、眉間には深い皺が刻まれていた。三人の美女がそれぞれ、仄かに怒気を滲ませる中で花はのほほんとした調子で答える。


「いやぁ、私は三人のお妃さまが今晩『霧絵さまを殺した人間が、今度は自分のところに来るかもしれない』と恐怖に震えないよう配慮したつもりなのですが、少々お節介だったようですね。まぁ、あなた方三人に凶刃を向けられることはほぼ確実に無いようですし……そうですよね、雷火さま?」


 突如、自分より下位の妃に名前を呼ばれて雷火はその愛らしい顔に般若のごとき表情を浮かべる。だが、雨音と美晴に目で制されてすぐ冷静さを取り戻したようだ。わざとらしく人差し指を頬に当て、首をかしげると雷火は「どうしてそんなこと言うんですかぁ?」と花に問いかけてみせる。


「私たちの心配をしてくださるのはありがたいですが、霧絵さまがなぜお亡くなりになったかはまだわかっておりませんし……なぜ私たちは大丈夫だと、そう思うのでしょう?」


「雷火さまがお出ししてくれた、珍しい異国の茶……いやぁ、あれはとても変わったお茶で普通に飲むのではなく砂糖や果物など色々なものを入れて飲むそうですね。亡くなられた霧絵さまは牛の乳を入れるのがお好きだったそうな……でも、もしその中に遅効性の薬が入っていて霧絵さまがぐっすり眠ってしまえば……あとは女官数人を買収すれば、殺すのは簡単なのだと思うのです」


「……私が霧絵さまを殺したと、そうおっしゃりたいのですか?」


 雷火はもはや自らの可憐な印象を纏うことも忘れ、見る者を射殺すような目つきで花を見据える。だが花はそんな彼女の視線をひらりと躱し、「いえ、実はですね」と話を切り出した。


「実は霧絵さまを殺害した方の正体が、もうすぐわかるかもしれないそうなんです。なんでも霧絵さまがが着ていた、桜を主軸とした紋様の寝間着に白い糸くずが絡みついていたらしくて……女官や妃さまがお持ちの服を調べれは、霧絵さまを殺したと思われる人間はかなり絞り込めるのだそうです。警備隊の方は、『慌てていたのかもしれないが、なぜ犯人が見落としたのか不思議なくらい長い糸だ』と証言しているそうですよ」


 もうすぐに、犯人が確定する。

 そう言いたげな花の言葉に、三人の妃はもはや隠すこともなく柳眉を立てた。最初に反論をしてみせたのは、攻撃的な姿勢を崩さない雨音だ。


「根も葉もないことで私たちを侮辱するのはおやめください。だいたい、それが本当に霧絵さまを殺害した方のものかどうかわからないでしょう? ただ単に、もともと霧絵さまの服に糸くずが付いていただけかもしれないじゃありませんか」


「帝がいらっしゃるかもしれない状況で、丹念に身だしなみを整えているはずですよ? もしそうだったら、霧絵さまご自身で気づいて取り払っているでしょう」


「だったら、その霧絵さまが見落としたんじゃないですかぁ?」


 雨音と一緒になって、花を非難し始めるのは雷火だ。眉を吊り上げ、鋭い目つきになった彼女は普段のそれと違い肉食獣のような顔つきをしている。当の雷火はそれを気にもせず、さらに花に向かって言葉による攻撃を行う。


「霧絵さまがお召しになっていたのは、桜を模した模様が入った着物だったんですよねぇ? だったらご自分が見落とす可能性も、十分にありうるでしょう?」


「確かにそうかもしれませんねぇ。でも、霧江さま殺害の犯人にも同じことが言えるでしょう? 霧絵さまの殺害に動揺して、自分の服から糸が出ていたのに気づかずそれが霧絵さまの遺体に付着してしまったのを見落としてしまった……それも十分、ありうるのではないでしょうか?」


 雨音と雷火の言葉を、のらりくらりとした態度で反論していく花。そこに割って入ったのは、淑やかな雰囲気の下に確かな苛立ちを見せる美晴だった。


「いい加減になさってください、花さま。霧絵さまの衣服は緑を基調とした意匠でしたでしょう? それに白い糸が付いていれば、目立つに決まっています。それを霧絵さまを殺害なさった方が、気がつかぬはずがないでしょう。おおかた、霧絵さまの亡骸を処理している最中に別の女官の服がついてしまっただけではないのですか? 適当なことを言って私たちの輪を乱すのは、大概にしてくださいまし」


 美晴がそう言い放った瞬間――場に、奇妙な空気が流れた。


 何か異様なものがその場に現れたような、どこか噛み合わない異様な空気。その空気を感じ取った花は「勝った」と言わんばかりに口元を緩ませ、片手を挙げる。同時に隠れていた警備隊の人間が花たちを取り囲み、妃たちはそれぞれ戸惑いの色を顔に浮かべた。


「皆さま! 今の美晴さまの発言をお聞きになりましたか? 美晴さまは『霧江さまの服は緑』だとおっしゃいました! 間違いありませんね?」


 花の問いかけに、警備隊たちはそれぞれ頷いてみせる。雨音と雷火は花の言葉に違和感を持ったのか、怒りを忘れ不思議そうな顔を見せた。突如として話の中心に連れてこられた美晴だけが、依然として困惑したような顔を見せている。


「美晴さま、私は霧絵さまの服を『桜を主軸とした紋様の寝間着』としか申しておりません。普通、桜と聞けば桜の花。『桜色』とも称される、薄紅色を思い浮かべるはずです。ですが霧絵さまの服はそうではなく、葉桜を描いていた珍しいものでした。あなた、霧絵さまの遺体を見てもいないのになぜそれを知っていたのです?」


花の言葉にようやく、自分の失敗に気がついたらしい美晴は顔を青ざめさせていく。そんな彼女に反論の隙を与えることなく、花はさらに追及する。


「寝間着は帝のお相手をする際に備えて着るのですから、他の妃さまたちに見せることはない。だからあなたがそれを知る機会も、当然なかったはずですよね? そう、霧絵さまが雷火さまの茶に混ぜられた薬を飲んで、帝の来訪を待つこともできず深い眠りについた後。霧絵さまの体を女官たちに運ばせ、桜の木の枝を利用して彼女の首を絞める時でなければ、そんなこと知る由もないですよね?」


 花の言葉とともに、じりじりと警備隊たちが妃たちを――その中心にいる美晴を徐々に取り囲んでいく。「こう言えば、霧絵さまを殺した犯人は必ず反論をするはずだから」と言う花に警備の者たちは半信半疑だったが、今の美晴の言葉で確証を得たようだ。警備隊の者たちの頭らしい男が美晴に、淡々とした口調で声をかける。


「美晴さまお付きの女官については既に取り調べを行っております。まだ口を割ってはいませんが、今の美晴さまの失言を聞けば白状するのも時間のうちでしょう。美晴さま、どうかご同行を」


たった今、この場で犯行が露見したとはいえ美晴は第一位の妃である。そんな彼女に無体なことはできず、警備隊の男はあくまで丁寧な口調でそう語りかけたが――美晴は美しい顔を下に向け、拳を握りわなわなと震え始める。


「……いらなかったのです。私以外の妃など」


 小さな声で、ぽつりと呟くような美晴の声。次の瞬間、美晴はかっと目を見開き憤怒の表情を浮かべる。それまでの優雅な印象を振り払うかのような、荒れ狂う鬼のごとき佇まい。その様子に周囲の人間が臆していることにも気づかず、美晴は叫ぶ。


「晴れを隠すものなどいらない! 雨も雪も、雷も霧も! 皆いらない! 私だけが、帝を照らす太陽であれば良かったのです! なのに雪は、白雪は一心に帝の愛を受けた。私は思いあがったその雪を溶かし、消し去るために行動したが霧はそれを邪魔した! だから排除したのです! 他の者にも、『出過ぎた真似をすればこうなる』と示すために! わざわざ印象が残るよう、大きな桜の木の下で! 美しき花に彩られた死を、わざわざ用意してやったのです!」


 美晴の告白に、さすがの花も面食らったかのように目をぱちぱちとさせた。まさか自分が来る前の妃、白雪の死にも美晴が関わっているとは思っていなかったらしい。美晴はそのまま、自らの爛れた心を剥き出しにして暴れ始める。


「白雪は桜の髪飾りに、自分の遺言を残した! それを受け取った霧絵は、私を脅迫してみせたのです! 思いあがった雪と霧! 私はその両方を晴らすために行動した! それの、何が罪になるというのです! 全ては帝の心を晴らすため! 全てはこの国のため! それの何が悪いというのですかぁっ!」


 言いながら美晴は、花を殴りつけようと手を振り上げる。仮にも妃ということで強硬手段に出られなかった警備隊も、そこでようやく動き出し美晴を取り押さえた。猿轡を嚙まされた美晴はそれでもなお、血走った目で暴れておりその変貌ぶりに雨音と雷火はただただ戦慄している。


「……美晴さま、あなたはただ自分が帝に愛されたかっただけでしょう。それが叶わなかったから、『帝のために』という建前を利用して白雪さまと霧絵さまを殺害なさった。その時点でもう、あなたは帝より自分を愛していた。あなたは自分可愛さのあまり、帝すら利用したのです」


 花の言葉が、美晴に届いたかどうかわからない。だがその場に残された妃――雨音と雷火は警備隊に連れ去られていく美晴を見送り、どこか悄然とした様子でその場に立ち尽くしているのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ