怠惰依存症患者のご令嬢
人間はみんな何かの毒に侵されている。
これは私の持論だ。
毒といっても、害のある薬のことを指しているのではない。
依存のことだ。私は依存を毒だと考えている。
依存と言えば、酒だの、賭博だの、有名で害があると宣伝されやすいものが思いつくであろう。
私はこの依存が何にでも存在していると思っているのだ。
例えば、本。活字中毒なんてものがある。暇さえ有れば本を、文章を、文字の羅列を追ってしまう者のことだ。この場合、本が依存の対象であり、毒となる。
例えば、勉強。ガリ勉なんて言葉がある。ひたすら勉強をしている者のことだ。一見、悪いことではないように見える。ただ頭が良くなるだけのこと。
これが本人が好きでやっているのではないとしたら?
あるいは、好きが度を越して、衣食住に支障が出てきたら?
それはもはや依存に近いのではないか。
例えば、スポーツ。スポーツならば、選手がいる筈だ。きっと才能がある選手なら、世界に出るような仕事にもできる。どこにも問題なんてない筈だ。……スポーツのためだけに、食事や生活に気を使い続けるのって、苦しい練習を必死にやるのって、好きだからずっと続けているんだって……それがなかったらどうやって生きていくのだろうか。
まぁともかく、多少無理やりにも思えるが、私にとって、人間って、依存に、毒に侵されているものなのだ。
だから私のこの性質も多分毒のせい。
前置きが長くなったから、自己紹介を簡潔に。
私の名前はジャンク・ブローイフ。
目新しさも新鮮さもない、駅前でもらうポケットティッシュくらいありふれた転生者なるものである。
前世のことは星のカケラほどしか覚えていないが、知識だけ持って転生しているタイプの転生者なのだろう。気にする必要はない。
立場としては、王国の名家出身の立派な令嬢である。ビシバシ厳しい教育を受けて育ったはずの私は、どうにも、毒に、依存に、侵されているようなのだ。
怠惰という名の依存。
所詮サボり魔である。
社交ダンスの練習、国同士の関係についての勉強、言語教育、剣のお稽古。全部サボった。ばっくれた。小さい頃は軽く怒られるだけだったが、段々家族間の仲が悪くなり、従者たちからの評判も悪くなって、救いようもないと兄に吐き捨てられるレベルになった。
無論、それでも学園に入ることにはなった。貴族のお城みたいな学校だ。周囲の人々もハイカラな服着た名家のおぼっちゃま、お嬢ちゃまの群れ。強制的に入ることになったのは、寮制学園だった。私には授業を受けた記憶すらない。せいぜい朝に教室に入って、朝会終了後にそのまま帰るくらい。何しに学園に来ているんだと、教師にも同級生にも言われた。私は行きたくなかった。時間を潰しに来ているのだとしかいえない。
馬鹿じゃねえのと思われるかもしれないが、こんな典型的不良みたいな行動をしている私は、わりかし真面目な部類に位置する人間だった。
自己申告、真面目。真面目である証拠は前世にある。
先程、星のカケラほどしか覚えていないと言っただろう。あれは嘘だ。断片的な記憶はちらほら残っている。星のカケラというより、月のかけらほどの大きさの記憶だ。私には前世の学校での記憶が存在する。小学校から高校まで、交友関係は狭く浅く、所詮ぼっちな普通の学生だった。勉強はそこそこやった。成績は中の下。努力もそこそこにした。努力してせいぜい中の中。世の中そんなもんである。
まぁ、ともかく、私は前世だけ見れば真面目でありきたりな人間だったのだ。ずる休みもしないような、課題を忘れないような、先生に従順でたまにミスをするような人間だった。
じゃあどうして、今世でこんなことになってしまったのか。
それこそ、毒のせいである。依存のせいだ。怠惰への依存。
自分の怠け癖を屁理屈言って誤魔化している愚者とそっくりに見える怠惰依存者。サボりの理由付けにしか思われないだろうから、誰かに告白したことはない。でも確かに、私は怠惰依存者だった。
きっかけは全く些細なこと、ではなかった。貴族に転生したこと自体がきっかけと言える。
私のイメージの中では、貴族はお茶してオシャレして硬っ苦しい話し方しながら悠々と過ごしている生き物だったのである。貴族出身だと気がついてから、それなら何もしなくていいかなと思ってしまった。まだ稽古も勉強もない幼少期に気づいてしまった。怠惰の魅力的で艶かしい限りない誘惑に。
それからゴロゴロと何も考えずに過ごし続け、急に始まった貴族の職務ともいうべき作業の数々、の練習。今まで怠けていられたのに、できなくなると、だんだんイライラしてくる。勉強に集中できない、稽古の先生の話だって右から左に抜けていく。こんな状況が嫌で、うだうだ続く集中できない時間が嫌いで抜け出した。結果、サボることになった。一度、堕落のために稽古に行かないという勇気を出せば、その後は勇気なんて必要ないくらい簡単にサボれる心構えになった。慣れとは恐ろしいものである。
そんなクソサボり魔、改め、怠惰依存症患者の私はついに勘当されるらしい。
正直言って、驚きも何もない。
だよな、という親の気持ちに対する同意と、これからどうしようかなと悩む若干の焦りが同居しているだけで、驚きはどこにもいなかった。
家族から勘当されるということは、貴族ではなくなるということで、貴族ではなくなるということは、怠惰でいられなくなることだ。
少しばかり、ホッとしている自分がいる。やっと怠惰がいなくなるのだ。庶民として平凡に仕事しながら生きよう。堕落するのをやめよう。
学園退学届を出した後、やる気のない従者と一緒に自宅へ帰った。久々に見た母はやつれていて、父は目を潤ませていて、兄はゴミを見る目で私を見ていた。私は兄を雑草を見る目で見返した。
「いいか。明日からお前はこの家のものではなくなるのだ」
どこかの武将のような威圧感のある声で父は話をしている。
「平民として、王国を出て、田舎で暮らすんだ。家事も仕事も1人でこなし、やがて夫を見つけて、貴族とは関係ないところで、幸せにっ……」
「何故涙ぐんでいるのですか。父上」
兄が呆れ顔で父を見る。基本、我が家のボケは両親であり、ツッコミは子供の私たちだ。
「父様は頭の中がお花畑だから、平民がみんな慎ましやかに幸せに暮らしている小説の中の住民だと思っているんだよ。そして私もそうなると思っているのさ」
「お前には聞いていない。口を開くな」
無言で兄に向かって中指を立てる。兄にはなんの行動かわからない筈だったが、兄は無言で同じように中指を立ててきた。侮辱の意味を示していることは察知したらしい。
「こんな何をするにもやる気がない子が、庶民として生きていけるのかしら、私、心配で眠れなくて」
「どうせスラム街でゴロゴロしながら雑草食べて生き延びますよ。学園で無断欠席の罰として森に薬草採取に放り出された時も、平然と一週間森でだらけていたじゃありませんか」
「雨も降らなかったし、木の実も野草も豊富で、いい観光地でした」
寝場所に虫が来る以外は快適だった。冬でも夏でもなかったから、気候も悪くなかったし、いい感じの木のムロがあったし、ちょっと暮らす分には問題はなかった。食事? 薬草取りに生かされると決まった時点で家からかっぱらってきた。水と兵士用の携帯食を持てるだけ持っていった。足りない分は木の実と野草で補った。薬草は見かけた数本をとって、後は教師が探しに来るまでゴロゴロして過ごした。ただの休暇だった。
「ほら、コレならどこに行っても大丈夫でしょう」
「コレって言わないでよ兄様」
「うるさい。口を開くなってさっき言っただろう」
私の返答を理由に主張を口にしていたのに、私に喋るなと怒ってくる理不尽の権化。
「もうね。不安で不安で仕方なくて、この前、知り合いの魔女様に相談したら、引き取ってくれるなんて言ってくれてね。貴女は魔女様の弟子になるのよ」
「は?」
「魔女様?」
兄妹揃って間抜け顔を晒す。父はそれを見てなんだかんだ言って似てるなぁなんて呟いた。確かに、行動が被ったり、考えていることが被ったり、どこか双子のように揃った言動になることもある。やっぱり兄妹なんだな、私たちは。
「えぇ、この城下町から、少し北の方にある渓谷に住む魔女様。とてもお美しい方でね、少し変わった方だけど、信頼できる方よ」
母の言う「少し変わった」はどう足掻いても変人と同義だ。
要するに、美しくて変人な魔女の知り合いに私を預けると、そういうことだろう。
「あぁ、魔女様なら、安心だな」
父は頷いている。どうやら父にとっても顔見知りの相手らしい。それを見て、兄は絶対に可笑しな奴が来る、と小声で言った。私もそう思う。
だいたい、魔女を名乗っている時点でおかしいのだ。
魔法の存在はあるが、前世でいうところの民間療法の一種やおまじないとそんなに変わらない。何も無いところから炎や水が出た。傷が一瞬で治った。死人が生き返った。そんな話はこの世界でも御伽噺でファンタジーの産物だ。
魔女ということは魔法を使うということ。
この世界の魔法は、正直言って大したことない。田舎者が小遣い稼ぎする時や婆ちゃんが知恵袋を披露するために名乗る名が、魔女である。
そして、その魔女とやらは、私を引き取ることを了承したという。かなりの世話焼きか何かに利用することを考えている以外に理由が見当たらない。ただし、母は妙に勘がいいから、悪いことに利用する相手を選ぶはずがない。そこまで考えたところで結論が出た。
結論、その魔女は高齢な婦人で小遣い稼ぎをしているお節介焼きである。
私は怠惰依存症患者であり、行動することが大嫌いである。
お節介な人間というのは大体、私のような人間に対して、何か行動するように促してくる。
学園の同じクラスにもお節介で世話焼きな奴がいた。奴は私が動くようになればもっと楽しく幸せになれると妄信しているようだった。五月蝿くて仕方がなかった。奴を撒くのにかなり苦労した。学園に行かずに部屋で寝ているところをドアを破壊して侵入し叩き起こして引きずって学園にひっぱりだされたことがあった。その後、ドアの修理代金の請求書を送ったら、領収書とともに私の部屋のドアをなくしてバリアフリーにする提案書を送り返された。即座に破って捨てた。
私が学園除籍処分を喰らう寸前まで、朝起こしに来て引きずって登校していた奴。今度は別のやつにお節介をやいている頃だろう。
ニコニコと鬱陶しいくらいの太陽な笑みを思い出しそうになり振り払う。奴の顔は思い出すだけで煩わしい。
魔女様というのは、思っていたよりヤバいやつだ。
それに気がついたのは魔女様が私を迎えに来た時のことだ。
一眼見て、相手がおかしなやつだと気がついた。
頭に魔女の帽子ではなく、カチューシャが乗っていた。百均に売っていそうなうさみみの奴。玉のように美しい黒髪に似合わぬそれの下には大きな丸メガネ。そのレンズの中にはぐるぐる渦巻き。
ネタか、ネタで付けてきたのか。
私が被ったら兄に馬鹿にしているのかとぶん殴られそうなそれを悠々と着用してきた相手は、礼儀正しく一礼した。私なんかより余程行儀が良い、ぴっしりとした動きだった。
横で見守る両親は、久しぶりだと微笑んでいるが、兄がかなり怪訝そうな顔をしている。私もきっと同じ顔をしている。
それ以外にもツッコミどころはある。
貴族の家に来るのに、スーツで来るのはまだわかる。就職面接で着るような黒スーツ。中には白いシャツ。いや、スーツはこの世界では一般的でないから、兄からしたら変な格好に見えるかもしれない。形だけ見れば、貴族の服に似ているから、まぁ、ちょっと変わっているな程度か。
ただし、ネクタイがゲーミングレインボーなのはいただけない。ネクタイだけ目がチカチカする仕様。
それからベルト。どこのチャンピオンだ。ボクシングとか、格闘技大会で得るようなベルトじゃないか。どこで手に入れたんだろう。
最後に靴。革靴を履いてきたのはわかる。スーツに革靴は合う。
その皮がドラゴン産じゃなければな。どう考えてもおかしいだろうその靴。ゴツゴツした鱗が付いた革靴は、どうみても一狩り行くための靴だ。
これから私はこんな奴に引き取られるのか。
「おい、乾涸びた蛙の目をやめろ。失礼だろう」
「雨の後の日向でくたばったミミズの目よりマシでしょう」
「ミミズに目はない」
兄と私の会話を聞いてか聞かずか、両親に挨拶していたその相手は私の方に向いて、丁寧に挨拶をしてくれた。
「やぁ、初めまして。ブローイフ家の御息女殿。私、魔女をやっているものです。ご存知かと思いますが、この度、貴女を引き取ることになりました」
見目に似合わぬ、丁寧な口調。
声が低い。濁声ではないが、ダンディーな声。
服装にばかり気を取られていたが、この魔女。どう見たって。
「この人魔女じゃない、魔法使いやん」
思わず口調がぶれる。
「男が魔女を名乗ってはいけない、なんて法は無いのですよ。魔法使いより文字数少なくて楽でしょう」
彼は飄々と言い放った。それにしたって、魔女はないだろう。魔女は。メイジとかセイジとか、もっと他の選択肢を考慮すべきだ。
「この人、変な人だよ、兄様」
「見てわかる」
両親は頼りにならないと、互いに毛嫌いしている兄に声をかければ、しっかり返事が返ってきた。普段は話しかけても無視か罵倒の二択なのに、今ばかりは同意の言葉だった。
この後変人の魔女様(自称)と平和に暮らすはず。