転調し、折り返し、紡いでいく
「フ、フヒッ」
藤堂は疲れていた。
潜伏生活で、ほとんど外に出ることがなく、もともとの虚弱体質も手伝って、アパートから駅まで歩いただけで、その体力のほとんどを使ってしまっていた。
紙袋の中の作品がまた重いのだ。
だが、この子は最高傑作。
そう思って、気力でなんとか作品を運んでいた。
とはいえ、そろそろ体力も限界だ。
どこかで少し休もう。
藤堂はそう思い、駅の近くのベンチに腰を下ろした。
隣に座っていた女が嫌悪の表情を見せ、さっと席を立った。
そんな視線にはとっくに慣れた。
誰もが俺様を気持ち悪いと罵る。
俺様を仲間と言ってくれたのは、『宵の月』のメンバーだけだ。
だから、俺様は爆弾を作った。
俺達を馬鹿にする奴らに一矢報いるために。
「ふひっ!
ふひひひひ!」
藤堂は笑った。
自分の最高傑作で、自分たちを馬鹿にした奴らが木っ端微塵になる様を想像して。
それだけで気力が戻る。
そして、藤堂は再び歩きだした。
最高傑作の入った紙袋を大事そうに抱えて。
ただ、その中身を確認せずに……。
耕三はイラついていた。
自分で時間を指定しておいて、謝罪に来る者を待つこと自体にイラついたのだ。
「くそっ!
こんなことなら、もっと早く時間を指定すれば良かった!」
耕三は謝罪相手を定時で帰れなくするために、わざと遅めの時間を指定していた。
彼なりの、せめてもの嫌がらせである。
「くそっ!」
彼が何度目かのお茶のおかわりを淹れようと席を立った時、家のインターホンが鳴った。
「あん?」
それは、約束の時間よりもだいぶ早い時間だった。
「おいおい、いくら何でも早すぎるだろう」
時間よりも早めに来て、少しでも誠意を見せようと考えるのは分かる。
だが、いくらなんでも早すぎる。
まだ、約束の時間まで30分以上あるのだ。
「こっちにも準備ってもんがあるんだ。
早すぎるって言って、出直させてやる!」
耕三は意気揚々と玄関に向かった。
そして、開口一番に文句を言ってやろうと、息を大きく吸い込みながら玄関を開けた。
「はや……!」
「あ、こんばんは。
夜分遅くにすみません」
「……な、な、んなっ!」
しかし、そこにいたのは、耕三が想いを寄せる女性だった。
「……ぐ!
ふっ、はー。
こ、これはようこそ!
いかがされましたかな?」
耕三は肺に溜め込んだ空気を吐き出して、自分を落ち着かせ、いつも彼女と話す時の、穏やかな自分を演出した。
「突然、ごめんなさい。
何となく、さっきは少し気まずい感じになっちゃったから、もう一度、お顔を見て、ゆっくり話せたらなと思いまして。
お忙しかったかしら?」
申し訳なさそうに小首を傾げる女性に、耕三は慌てて首を振る。
「いえいえ!
とんでもない!
もう、暇で暇で、どうしようかと思っていた所です!
ささ、どうぞ!
せまっ苦しい所ですが、お上がりください!」
「あら、良かったですわ。
では、少しだけ、お邪魔させていただこうかしら」
突然の嬉しい来訪に、耕三は舞い上がっていた。
これからやって来る、別の訪問者の存在など忘れて。
「……いや、まだ諦めるのは早いわ!」
うなだれていた翔子は自分を奮い立たせた。
時間はまだある。
幸い、ここはデパ地下のある駅だ。
そこで適当なお菓子を買って包んでもらえばいい。
「うっし!」
翔子は自分に気合いを入れて、デパ地下に向かった。
あの薄汚いコートの男が持っていた紙袋を持って。
翔子はそれの処分をどうするか迷ったが、今は何より時間が惜しかった。
謝罪が終わったら警察にでも届けようと思い、重たい紙袋を抱えたまま、翔子は走り出した。
「ふう、なんとか買えたわね」
デパ地下でお菓子を包んでもらい、翔子は2つの紙袋を抱えて歩く。
だいぶ重たいけど、時間は何とかなりそうだった。
走ったおかげで、緊張はだいぶ解れた。
そうだ、ただの謝罪だ。
頭を下げて、誠心誠意謝ればいいんだ。
責任はこっちにある。
原因や再発防止の対応策を言って、相手の様子を窺いながら返金対応に話を持っていく。
あとは、一生懸命に謝る。
翔子は営業部に聞いた謝罪マニュアルを頭の中で反芻しながら、謝罪相手の家に向かった。
「ふ、ふひっ」
それにしても重い。
俺様の最高傑作はこんなにも重かっただろうか。
駅に着き、改札を通ろうとしていた藤堂はそこでようやく異変に気が付く。
内容物が漏れてバランスが崩れたのか?
そう思って紙袋の中を見てみると、そこには、藤堂の愛しの作品は入っていなかった。
「な、な、な、なんだこれはー!」
藤堂は紙袋をその場に落とし、頭を抱える。
周囲の人々が視線を向けるが、今はそれどころではなかった。
いつ入れ替わったのか。
藤堂は必死に頭をひねり、アパートを出てからの行程を思い出した。
「……あのガキどもかぁ!」
藤堂は思い出した。
向こうから走ってきて、藤堂とぶつかった少年たちを。
藤堂は思い出した。
彼らが、自分の作品が入った紙袋と同じものを持っていたことを。
きっと、あの時に間違えたのだ。
早く取り返さなければ!
藤堂は急いで立ち上がり、走り出そうとしたが、ピタリとその足を止めた。
「……ひひっ、ふひひひひ。
いーいことを考えたぞ。
あのガキどもを、俺様の最高傑作の餌食としてやろう!
政治屋どもへの復讐はそのあとにしてやろう!」
しかし、そうなると、その場を見てみたい。
藤堂はそう考えて、少年たちが走っていった方向へと走ることにした。
少年たちの進行方向から、藤堂は彼らの行き先を想定していた。
彼らの進む先にあるのは、そう、彼らの通う高校である。
藤堂は自分の作った最高傑作で彼らが無惨にも吹き飛ぶ姿を想像し、興奮しながら走った。
それ見たさに疲れなど感じなかった。
藤堂は、先ほどの倍近いスピードで、少年たちを追いかけていったのだった。