#うちのお嬢様しか勝たん
色とりどりの美しい花々が咲き誇るセラフィウム大公家の温室に、
似つかわしくない鼻にかかった甘ったるい声が響く─────。
「お義姉さま、ガブリエレ様との婚約は、私が代わって差し上げてよ?」
燃えるような赤毛に白い肌、髪と同色の長い睫、ぱっちりとした愛らしい目元、青い瞳、ぷっくりと艶のある唇、一見、可憐にも見えなくはない容姿…。
けれど、淡い色の上品なモスリンのドレスを纏っていても、隠しきれてはいない品性の無さ…。
今日もまた尊大で下品な態度。
愛らしいといっても、所詮は、紛い物なのです…。
おおよそ、淑女ではありえない不快な音を立てて、テーブルにティーカップを置いた“恥知らず”。
いや、叩きつけたとも云える。
内心舌打ちをしつつも、私は“お嬢様”の後方で無表情を保ち、これから『起きるであろうこと』、その成り行きをただ、見守っていた。
小国ではあれど資源豊かな国。
アークベルグ王国の第三王子ガブリエレ・エル・アークベルグ王子と、
王国を護る四大公がうちアークベルグの剣と名高いセラフィウム大公家の嫡娘マリエラーラ・エル・セラフィウム嬢の婚姻は、互いが世に生まれ出でる前より決められていた。
建国の折り、豊かなこの地を狙っていた隣国から、王に降りかかるあらゆる災厄を払い、王国を築く礎となった四大公の祖らを称え、王家は代々、四大公のうちより、順に伴侶を娶ること、もしくは、降嫁を許してこられたのです。
そして、ガブリエレ様とマリー様との婚約は、セラフィウム大公家にとって、喜ばしい巡り合わせとなりました。
三才ほど歳の離れたお二方は、幼子と乳呑み子の頃から何度も第二王妃様と大公夫人のお茶会に参加され、引き合わされてはいましたが、ガブリエレ様が七歳、マリー様が四歳になられたその年、正式に婚約が交わされました。
幼いながらも、 “お役目”を自覚しておられるお二方は、そもそもの穏やかな気質も相まって、険悪な雰囲気になられることは一度もなく、仲睦まじく十二年の年月が経ちました。
「エラ、お茶のおかわりをお願い。」
「はい、お嬢様。かしこまりました。」
お二方の思い出を傍らで見守るうちに、こんなに年月が経っていたなんて…。
いえいえ、いけないわ。
お側に控えている時に、ぼんやりしてしまうとは、侍女の風上にも置けません。
気を引き締め直して、お茶のおかわりを用意して戻ると、その穏やかな微笑みが、私を迎えてくださいます。
「ありがとう。エラ。あなたの淹れてくれるお茶が一番美味しい。」
「いいえ。勿体ないお言葉でございます。」
私は、衣擦れの音すら、立てずに定位置におさまる。
この大公家にマリーお嬢様が生まれてから、
子爵家の庶子の私は八歳で行儀見習いとし受け入れていただきました。
物覚えがよいからと、侍女に選んでくださった大公閣下には感謝をしなかった日はございません。
マリー様も、マリー様との交流をはかることを名目に日参なさるガブリエレ様も、お茶を淹れるときも、お世話をさせていただく際もかならず、ありがとうと、暖かい言葉をかけて下さいます。
王家の血を何代か前に持つためか、マリー様は王家の“色”をお持ちで、
ミルクティーのような髪色、波打つ柔らかな御髪にエメラルドのような瞳はアーモンド型のよい形をされていて、白磁のような白さと、淡い桃色の唇は、儚げで殿方の庇護欲を誘うようでした。
ガブリエレ様もマリー様をとても大切にされているのだから、この下品な“恥知らず”が取って変わるなどということは、天地がひっくり返ってもありえませんでした。
私の居ぬ間に、何か進展はあったのかしら?
近衛騎士で護衛騎士のバーミリオン卿に目配せをすると、“否、問題はなし”と、目配せが返ってくる。
「お義姉様!聞いておられまして?そんなことだから、ガブリエレ様もきっと、すぐに愛想を尽かせて私をお選びになりますわよ?」
勘違い女め!心中で毒づく。
義妹といえど、この娘には一滴もセラフィウム家の血が流れてはいない。
マリー様のご婚約の三年後に、流行り病でマリー様のお母様…エレノワール様がお亡くなりになり、暖かい領地の気候ゆえか、急激に広がったその病をセラフィウム大公閣下の手腕をもってしても、止めることかなわず…。
領民の1/3の犠牲と、救済のための多額の借財で、王家の剣といえど、窮地に陥ってしまった大公家は苦渋の決断を迫られたのです。
そこに、名乗りを挙げたのが、他国にも一目置かれた国一番の商会シャックス商会。
やり手の会頭が、自らの娘…この“恥知らず”の母を娶り、その連れ子ごと受け入れるならば援助は惜しまないと話をもちかけてきました。
アークベルグ王国内の他の領地も、流行り病の被害は甚大…大公閣下は他に打つ手なしと後妻として娘を迎えたのです。
正統な血筋を重んじるアークベルグ王国において、爵位継承権もない連れ子の娘がセラフィウムを名乗ることも正式な場所では、赦されていないはず…。
第三といえど王子の伴侶となれるわけもないとい
うのに…。
おっとりとした仕草でお嬢様は首を傾げ、ふふふと機嫌よく微笑んでおられます。
その仕草がまた、"恥知らず"を苛立たせていることは承知の上でしょう。
「ねえ、テレーゼ。貴女はね。『セラフィウム』ではないの。王子妃教育を受けることもできない。本来であれば貴女が着ているそのドレスはマリーのものだし、アクセサリーもそうでしょう?」
“お嬢様”が優雅にティーカップを口許に寄せる姿はとても、上品でらっしゃいます。ええ、それはもう見惚れるほどに。
「ガブリエレが贈るものはすべて、マリーのもので、貴女が勝手に身につけて良いものではないの。」
諭すように、煽るように、川のせせらぎのような優しげな声音のあとには、金切り声のようなテレーゼの声に顔をしかめる番がやって参りました。
「お姉さまだけ、ずるいわ!私だってお姉さまの妹で『セラフィウム』の娘よ!それにお姉さまのように婚約者といえどガブリエレ様を『ガブリエレ』と呼び捨てるなんて不敬をして、王子妃として相応しくないわ!」
言ってやったと鼻息を荒くするテレーゼを見ているといっそ憐れみが沸いてきましたわ。
もちろん、可哀想といっても“頭”が可哀想な人とゆう呆れなのですが…。
「恐れながら、テレーゼ“様”。もう、お止めになった方がよろしいかと…。」
そろそろ、頃合いかと前に進み出て、私は任された“仕上げ”に取りかかることに致しましょう。
「なんですって!?エラ!!お姉さまの教育がなっていないから!」
テレーゼは使用人ごときが、話しに割って入ったことに、いつものごとく激昂し、手を振り上げて私の頬をうつと、興奮覚めやらぬまま、“お嬢様”に空のティーカップを投げつけようと再び手を高く挙げました。
その時───。
今まで壁のように動かなかったったバーミリオン卿が素早く前へ出てティーカップを手で払うと、腰に佩いた剣を抜いてテレーゼの首にピタリと据えます。
「不敬な!此処がセラフィウム家でなければ即座に首を刎ねるものを!」
地を這うような低く唸る声でバーミリオン卿が、テレーゼに詰め寄ると、大概の令嬢が彼にそうであるように、テレーゼはガクガクと震えだしました。
「不敬だなんて!自分の姉ですよ!姉妹喧嘩をすることだってありますでしょうに、首を刎ねるだなんて!大袈裟だわ!」
弁解なのかなんなのかわからないことを、声を張り上げ喚いて、よろよろと椅子に座りこんだテレーゼに追い討ちをかけるのも私の役目…。
「いいえ、テレーゼ“様”。…いえ、テレーゼ。貴女が相対しておられる方はマリー様ではありません。」
その瞬間のテレーゼの顔といったら…。
いえいえ、笑うにはまだ早すぎましたわ。
ですが、普段から虐められていた彼女の侍女たちはきっとこの話を聞けば溜飲をさげるでしょう。
「な、なんですって!?使用人風情が!!私を呼び捨てるなんて!それにお姉さまがお姉さまじゃないだなんて!貴女、気でも違えたの!」
一連の出来事を他人事のように、見ていた“お嬢様”が立ち上がると、両手を後ろに回し令嬢にしてはささやかすぎる胸を張り、顔に似合わぬにやりとした表情で、テレーゼを見下ろします。
「私はエラの言う通り“マリー”ではないよ?一言でも“マリー”だと言っただろうか?そして、君は平民の連れ子で貴族ではないから、庶子とはいえ、子爵家の令嬢たるエラは君より立場は上で“使用人風情”ではない。窮地を救ってくれたからとの大公家の好意で、令嬢のように扱われていたのを忘れてしまったの?」
胸を張ると肩幅と喉元も強調されて見えてしまいましてよ?“お嬢様”。
だから、パフスリーブのドレスにレースのリボンがついたボンネットをおすすめしましたのに…。
「な、なら一体、貴女は…?」
あらあらあら、
テレーゼ。
まだ、わからないかしら?
先程から声も低くなってきておられるでしょう?
そうまるで男性のよう…。
バーミリオン卿が剣を鞘に納めて居住まいを正す。
近衛騎士一の美丈夫と名高い彼だから、思わず魅入ってしまっていました。
そっと、私も彼に習って、姿勢を正します。
「このお方は、我が、アークベルグ王国第三王子ガブリエレ・エル・アークベルグ殿下である!」
嗚呼、流石、近衛騎士一!
ガブリエレ様が王太子殿下の護衛騎士だったバーミリオン卿を、『近衛騎士一の美丈夫でしょう?なら王子一の可愛らしいさの僕にこそ相応しいでしょ?』とねだって譲り受けただけある凛々しさ!
それで、怒るどころかバーミリオン卿をすぐさま、下げ渡した王太子は、弟のガブリエレ様にデレデレなのだ!
「う、うそよ!だって、何処からどう見ても…。それにエラだって“お嬢様”って言っていたじゃない!」
いえ、どうみても男性でしてよ?
だってほら、よく見ると喉仏。
お召し物はオールドローズのようなら柔らかい色合いだし、フリルは必要以上だし、ドレスみたいだけど、男性もののジュストコールに下はジレだし。
王族特有のミルクティー色の髪は、リボンで1つに結んでありますしね。
親バカな王妃様が、『マリーとお揃いの格好がしたいよ!』とゆうガブリエレ様のために、隣国の流行りにあやかって無理やり流行らせた“ジェンダーフリー”なファッション。
その中性的な容姿も相まって…。
そう!ガブリエレ第三王子殿下は、所謂ジェンダーレス男子!
なのだ!
王妃様がこのファッションを流行らせるまで、マリー様と同じ召し物をごっこ遊びと称してお召しになっていたガブリエレ様。
マリー様を真似る、この遊びの最中は“お嬢様”とお呼びするのが私どものルール…。
ガブリエレ様&マリー様を応援する会の古参の私たちなら、当たり前のこと!
ちなみに!バーミリオン卿もその会の古参よ!
まあ、お二方とも王家の血でとても、そっくりな上ガブリエレ様は天使に例えられる中性的な容姿、だから間違えるのはしょうがない……とかゆうと思いましたかこの、にわか!
「ええい、黙れ!」
あれ?バーミリオン卿に心の声が聞こえてしまったかしたら…?
いや、違ったわ。テレーゼに言ったのよね!
いやだわ…。私ったら…。
このやりとりの間も、私の表情筋は相変わらず死んでいるはず!
「エレノワール様推しで『エレノワール様を差し置いて大公夫人なんて名乗れませんわ!』と言っている奥方はともかくとして、祖父のジャン・シャックスと結託してセラフィウム大公家だけでなく、王子妃の座まで、我が物にしようなどと面の皮が厚いとはまさにこの事だね。」
ガブリエレ様の、その目はすでに、人を見る目ではありません…。
「マリーを外出させて、ならずものに傷物にさせようとしたようだけれど、僕が一緒にいたから失敗して…。お次は真っ正面からくるなんて…。大公や奥方、使用人たちに至るまで気を遣い、僕に会わないよう、勘違いしないよう、過ごさせていたはずなのに…。」
───本当に愚かだね…。
ガブリエレ様のその一言に私の背筋もヒヤリとする。
「奥方はその心根に免じて、離縁だけですませてあげるけれど…。君は戒律の厳しい修道院へ。シャックス商会はジャンの弟が引き継いで、ジャンは処刑だ。商会にはまだまだ、使い道があるからね。罪は並べるとキリがないけど、上手くやっていたみたいだから、表立っては『不敬罪』かな?」
パチンと指を鳴らす音がして、
何処に隠れていたのやら、どっと温室内に押し寄せた近衛騎士たちによってバーミリオン卿指示のもとテレーゼは取り抑えられ、この喜劇とも呼べるような舞台から退場していきました。
『私は、そんなつもりでは!』とゆう、お決まりの台詞を叫びながら…。
ガブリエレ様は何事もなかったように、椅子に座り直すと、お茶の時間を再開なさいます。
バーミリオン卿もただの壁にお戻…りに…?
「エラ嬢こちらを。」
定位置にお戻りになるものと思っておりましたのに、バーミリオン卿はハンカチを私に差し出されました。
「爪が当たったのしょう。頬に血が…。」
言われて手をぶたれた頬に添えると、確かに少し濡れていて見やると血がついていました。
「受け取ってエラ。君のお掛けで、王太子妃の出産の付き添いにと、マリーをこの件から遠ざけておけたのに。君に怪我をさせたと知られたら…僕、マリーに嫌われてしまうよ…。」
悲しげに長い睫を伏せておられるガブリエレ様は、アークベルグ王国の国宝たる絵画“天使の憂い顔”そのもの。
こちらが胸をしめつけられるほどの破壊力でいらっしゃいますわね…。
「大丈夫でございます。これは、マリー様のお部屋にマリー様のお好きなピンクの薔薇を飾ろうとして、取り残した棘が頬を掠めただけですから。」
聡いマリー様には明らかに嘘とわかってしまうでしょうけれど…。
私やガブリエレ様が、マリー様を傷つける嘘をつくわけがないと、信じていてくださいますでしょう。
「ありがとう…。エラ…。」
ほっとしたように、微笑むガブリエレ様。
ハンカチを受け取ると、優しげに見詰めて下さるバーミリオン卿。
後は、マリー様のお帰りを待つのみ。
24歳エラ・マージェントリ、マリー様しか勝たん私は、
今日も行き遅れ侍女街道まっしぐらです。
私は勘違い致しませんよ。
ええ、決して!
だから、そろそろ、バーミリオン卿そのお手を、離してくださいませ。
ガブリエレ様に見えない位置だからって、そんな熱っぽい目で見つめないで!
fin.
初投稿です。しばらくは少しずつ短編を出していけたらと、思っています。システムに不慣れなのもあり、感想等お手柔らかにお願いします。