叙爵
1歳半を超えると、残りの赤ちゃん医師にも症状が現れ始めた。
キラーやアグニにも記憶障害が出始め、言葉につっかえたり、選ぶべき単語を選べなかったり、高度な単語を忘れてしまい子供の会話に落ちて行った。
「ぼく、わすれてもしかたない」
キラーはタツヤのように焼き殺された訳でもなく、俺みたいに病気続きで苦痛の連続でもなかったが、前世の記憶を忘れても仕方が無いと言っている。
「わしもしかたない、さいごにまごにあいたかっただけじゃ」
前世での心残りは、忌の際に孫に会えなかったのだけが心残りなアグニ。
どちらも猛烈な出世欲も無く、赤ちゃんの自我が目覚めるならそちらに任せ、物心付いてからレベル上げし直して、以後の地位や出世を約束してもらえるなら特にこだわりも無いようだ。
「ああ、赤ちゃんからやり直すだけだ、特に病気も無いし出世も約束されてる、女だって選り取り見取りだ、困った事なんか何も無い」
「ようしにしてくれた、おくさまにもうしわけない」
「心配するな、変な夢見て魔法でもぶっ放すよりは、忘れてしまった方が迷惑も掛からないって」
赤ちゃんに戻る時、魔法陣とか呪文を思い描けなくなるので、無意識に攻撃魔法を放つような事態には成らなかった。
「うん……」
「赤ちゃんのうちのレベル上げしたから、人間のレベル限界は突破してるし、やり直しも楽だろう。俺も忘れるけど、大きくなったら小学校でまた会おう」
赤ちゃん同士で拳を突き合わせ、来世?での再会を約束する。
「またな」
「ああ」
「おじいちゃんもおやすみ」
「うむ」
キラーとアグニも穏やかに何もかも忘れ、新しい人生に向かって行った。
「わいも忘れてまうんか……」
案外最年少で1歳を超えていなかったパトリックも、成長すると普通の赤ちゃんに戻って行く。
新しい脳に対してリザレクションやヒールを掛けても、赤ちゃんの意志が優先されて前世に汚染?された記憶は少しづつ失われる。
やはり前世の記憶など赤ん坊のうちにだけ残っている物で、来世には中々繋がらない物らしい。
「またリザレクションしてみてくれ」
「ああ、リザレクション、ヒール」
記憶に関する新しい大脳や、魂のありかと思われる脳幹、心の在りかと思われる心臓にもリザレクションやヒールを掛けてやる。
現状が維持されるのか、多少記憶喪失の進行が収まるが、赤ちゃん自身の新しい自我の目覚めには妨げになるので、多重人格化しないようにも気を付けなければならない。
「俺は忘れんぞ、折角出世して何人もの主治医の地位を約束されて、あのジジイがくたばれば御典医にでもなれる。魔王様や貴族の養子にして貰えたのに、ここで忘れてなるものかっ」
相変わらず血圧が高そうな暑苦しいケンも、自然の摂理に任せて消えるのは嫌なようだ。
お茶会や夜会に参加して、ご老人たちにヒールやリザレクションを掛ける赤ちゃん医師の数は減ったが、リザレクションやパーフェクトヒールを唱えられる術者なら、俺達の講習さえ受けて実地訓練するか見学でもすれば、同じような治療も可能になる。
「ヒール、リザレクション、リザレクション」
自分で自分に魔法を掛けて、前世の記憶を定着させようと藻掻くケン。
「やり直すんはしゃーないけど、わいが消えてまうのは嫌やなあ」
パトリックの方は半ば諦めて、赤ちゃんからやり直すのにも同意したが、自我が失われて消滅するのには難色を示している。
「関西弁と前世の記憶は無くすかもしれないけど、これからもお前はお前だよ」
「死んでも忘れへんような苦痛はないけど、オススメ通り自分で自分に手紙書くので辛抱しとくわ」
「日本語で、それも関西弁で書いたら駄目だぞ、こっちの人に頼んでこっちの言葉で書かないと、訳が分からん暗号になるからな」
「ははっ、そ~れぐらいわかっとるわいな~」
裏拳ツッコミが入ってオチが着いた。ボケが進んでひらがなだらけの日本語で書いてしまう可能性が無いことも無い。
自然の摂理だが太一と言う人格が失われてしまうのは確かに怖い、今度こそ本当の死だ。
前世でも死ぬ経験をしたから、もう一度消えてゆくのは余りいい気分じゃない。
自分への手紙は用意してあるが、そんなもん子供に見せても一瞬でゴミ箱行きだろう。
15歳で成人するまで母親が持っていてくれるとも思えない、そんな頭が良くて長期の約束を守れる人物なら奴隷身分では過ごさない、どこに置いたかも忘れて簡単に無くしてしまうだろう。
腕とか見える所に「長生きしてリッチになれ」と刺青でも入れておくか? 自分でヒールとかエクスヒールして消してしまいそうだ。
まあ母親の耳にタコが出来るぐらい何度も前世の話を聞かせて、今の豊かな生活が出来ているのも何もかも前世の記憶のおかげで、その記憶を伝えるように伝言するぐらいしか手段が無い。
そうこうしている間に赤ちゃん診療所に閉鎖命令が来た。
魔王様に守られていたはずだが、治療呪文を使えるまじない師達や、医局とか医師会的な所からも何度か苦情があった。
「即時の閉鎖命令だ、まじない師のギルドからも医師会からも連名で指示が来ている、こんなインチキな診療所で治療だと? ふざけるなっ」
前世の記憶を持つ重要な赤ちゃんには、無料に近い診療をしているのが問題だそうだ。
それだけ重要で国家秘匿事項のはずなのだが、何処かから探りを入れられて、イチャモンを付けられた。
「さあ、今すぐここを閉じて出て行けっ、また治療などやりおったらただではおかんぞっ」
悪人は焼け死んだんじゃなかっただろうか? まあこいつらは自分が正しい、正義だと思い込んでやっているはずだ。
「うはああう、わうううあああ(俺は診療所閉まった方が楽になるからどっちでも良いんですけどね、魔王様の許可は取りましたか?)」
「王妃様を誑かす小僧がっ、まだたわけたことを抜かすかっ、始末してやるっ!」
最初から「抵抗したので殺しました」で始末するつもりだったようで、数人が襲い掛かって来た。
「うああああうああああうああああ(エアバレットエアバレットエアバレット)」
レベル上げとか盗賊を始末した経験があるので、低速すぎる攻撃は恐ろしくはなかったが、捕まれたり投げられたりするまで暇が無かったので、全員を風で吹き飛ばしてやった。
「ぎゃああああっ!」
「目が、目がぁ」
まじない師や医者なら自分で治せば良いだろう。まさか出来ないとか言わないよなあ?
ケンやパトリックの治療ブースでも刃物で襲い掛かられたようで、数人が腕まで飛ばされていた、俺が優しすぎたらしい。
「うああううう(ウォーターハンマー)」
起き上って襲い掛かろうとした奴がいたので、全員両側の三半規管を壊してやった。
ここまでやるとパーフェクトヒールが無いと治療できない。
兵士の護衛を故意に外されて襲撃、これに反撃して罪になるとか死罪になると言うのなら、裁判官全員の首を物理的に飛ばしてやる。
「何事だっ?」
遅ればせながら護衛の兵士が到着した。たっぷり鼻薬を嗅がされていたのか、俺達が死んでいるのを確認しに来たのだろう。
生きていたら今度は兵士が襲い掛かって来るはずだ、ケンとパトリックはいつでも兵士を倒せるようにウォーターカッターやエアカッターの準備をしている。
「きゃあああああああああ(こいつらも、わしら殺しに来たんや、やってまおうで)」
「あう(ああ)」
まずパトリック達の前にいる兵士が切り刻まれた。
「きゃうううう(何してるっ、お前もやれっ!)」
「うわああ、はううううう(嫌だなあ、エアバレット)」
俺の前にいる奴らは目を開いた状態でエアバレットを食らったので眼球が腫れたり赤くなったりしているが、三半規管を壊されたのが最大ダメージ。
それに比べてパトリックたちの前に来た奴らは腕まで切り飛ばされて血の海だ。
「たああああ、わううう(ファイヤ、洗浄魔法)」
流血部分を焼いてやって血止め、血みどろになった壁や天井や床を洗浄魔法で清掃。
これで騎士団なり保護者が来るまで籠城して、襲撃者を撃退し続ける。
顔見知りの護衛兵士が、小銭で俺達を裏切ったのが多少ショックだが、こいつらの日給は赤ちゃん医師よりも低い。
通報により騎士団や保護者が到着して一応籠城を解いた俺達。
ケンは騎士団も買収されていると言って聞かなかったが、流石に魔王様まで来てしまったので警戒を解いた。
「済まなんだな、前世の記憶を持つ赤ちゃんの重要さは、口が酸っぱくなるまで言い聞かせておるが、それでも馬鹿共は理解したくなかったらしい」
床で転がっていた奴らが搬出され、赤ちゃん診療所は暫く閉鎖。
「こいつらは処刑、裏も探って命令した奴らも処刑だ、それで勘弁してくれ」
この世界では拷問などしなくても、頭に虫を入れたり魔法で無理矢理白状させる手段があるので自白までは簡単らしい。
もしかすると、国家秘匿事項の前世の記憶を持つ赤ちゃんの存在は、下々の医者とかまじない師にまで公表されていなかったのかも知れない。
さらに立場としては魔王様や王妃様のお友達の養子。そんな事情も知らずに、赤ちゃんが医者のまねごとをしているのが気にくわなかった連中が起こした事件なら、最高刑が死刑とは思いもしなかったことだろう。
せいぜい奴隷身分の赤ちゃんを数人始末して、ペットを殺したとしても、どこからでも替えを連れて来れると思い込んだのかも知れない。
「お主達を危険に晒すわけにはいかんからな、これからはお茶会だけで治療をしてくれ」
王妃様や年配の重臣だけ治療するように言われたが、赤ちゃんの診療所はどうするのだろうか? それにみんな記憶を忘れて行っている。
「うらうううあ、あはあうううう、きゅうううああ(あの、赤ちゃん医師の中でも3名が前世の記憶を失いました、私たちもじきに記憶を失うでしょう)」
「うむ、聞いておるぞ、ゆっくり休んで言葉も覚えて、大きくなったらまた茶会に来ると良い。後任も何人か選んでレベル上げして出世も約束してやっている、心配せんで良い」
俺達の後任もいるようだ、良質な記憶を伝えたものは出世を約束されて、簡単に死なないようにレベル上げもしてもらっている。
「まおう、しゃま……」
ケンが地声で絞り出すような声を出した、母親をママと呼ぶ前から練習していたのだろう。
「どうした?」
「をううう、かうううああ(こいつは赤ちゃんに戻っても出世できるのか心配なようです)」
「そうか、それなら叙爵してやろう、お主らは今から赤ちゃん準男爵だ」
魔王様ご本人の決定なので、一代限りの最下層貴族とかケチ臭いことは言わないだろう。周囲の反対で下げられるかもしれないが、毎月給料も出るような好待遇だ。
「あ、ありかとう、こさいましゅ……」
また自分の口で礼を言ったケン、そんなことすると自分の記憶が消えて行くのには気付いているだろうか?
「あうううう、きゃうううう(わいも一辺ぐらい貴族とかなってみたかったんや)」
ここにいるメンバー、もしかすると記憶を失った奴らも貴族にして貰えた。記憶を失っても物心付けば小さい領地とか屋敷も貰えるかもしれない。