西の侍女と東の宦官−1−
東側の容貌は、西側に比べるとずっと幼く見える。
アリシアも自国の城にやってきた大蜃皇国の商人らと何度も会ったが、彼等の見た目は自分達の常識からいえば若く見えた。だが、実際の年齢を聞くと父よりもずっと年上であったことに驚かされたのは、一人二人ではない。
瑞蛉にしても、十歳だと言われていてもその実、一番下の六歳の弟と同じくらいにしか見えていなかった。
見掛けがそのように見えるのだ、必然的に対応もそれに倣ってしまう。
「ごめんなさい。一番下の弟とどうしても重なって見えて……」
三人の侍女達は納得したのか、訳知り顔でお互いを見合っていたが、柳偉はそうではなかった。
『用心召されませ。この船の中は公国の領域なれど、皇都の港に入れば何処に誰の目や耳があるとも知れません』
それが誰の物であろうと、アリシアの足を引っ張るためのものだということだ。
『第五皇子様も』
『どうして?兄上達の妃嬪と一緒に居ても、誰にも何も言われた事ないよ?』
『今まではそれでもようございましたが、公主様は別ですよ』
アリシアだけでなく、瑞蛉にもちゃんと念を押す辺り周到でもある。
今までどの妃とどのように過ごしていても、誰からも何も咎められた事が無い瑞蛉は、柳偉の言葉にみるみる頬を膨らませていった。
ぷぅっと両頬を膨らませ、皇子である自分に意見した事も、アリシアに触れる事を宦官如きが禁じた事にも、立腹であると態度で示す。
だが、柳偉も黙ってはいなかった。
『公主様がどうなってもよろしいのですか?』
『どういう事?』
くるりと黒い瞳を柳偉に向けた瑞蛉は、今まで膨らませいてた頬を簡単に萎ませる。
目の前に新たな興味を惹くものが現れれば、瞬時にそちらに意識を向けてしまうのはまだまだ子供だと言う事だ。
『宦官の奴才でも分かる事でございます――公主様が、とても重要な役目を担っておられるという事は、お命がいつも危険に晒されていると言う事でございます』
祖国と皇国を繋ぐ重要な役目を負ってもいるが、それよりも彩蝣の后になると知れた時点で、禄蝉側からアリシアにあらゆる攻撃を仕掛けてくることだろう。
彩蝣の妃嬪達からは疎まれ、怜蜂の妃嬪達からは面白おかしく見物するだけで、助けてなど貰えるはずはない。
薄氷を踏む時のように注意深く、息を潜めて生活をしていても、取るに足らない瑣末な事で難癖をつけてアリシアの失脚を狙ってくるはずだ。
そんな時に、天帝の弟との噂など格好の餌でしかない。
『第五皇子様は、特に油断めさるるな――娘娘のお命はいとも簡単に終えますぞ』
父の新しい妃を迎えに来ただけの物見遊山であった瑞蛉は、眠って起きてきたら事態が急展開を迎えている事に未だついていけない様子だった。
大きな黒い瞳をぱちぱちを瞬きを繰り返した後、抱きついたままだったアリシアを見上げてくる。
『娘娘は、命を狙われているの?』
『今後、その可能性が大いに出てくる……という事です』
『やっぱり小弟の正妃になればいいのに……』
瑞蛉なりにアリシアの身を案じてくれているのは分かるが、それでは禄蝉に帝位が渡ってしまう。
それはどんな手を使ってでも避けたかった。
禄蝉とは、ほんの少ししか会ってはいないが、自尊心が強く、人の言葉に耳を貸さないタイプだろう。
そんな禄蝉が天帝では、大蜃皇国とセントパルミア公国との同盟が無事に継続されるとは言い切れない。
アリシアが上手く立ち回ったとして、彼の寵姫の間は同盟は無事に継続されるだろうが、何かの拍子に禄蝉の機嫌を損ねたり、誰かの罠に嵌まって寵愛を失うことでもあれば、直ぐに同盟など白紙どころか最初から無かった事にされてしまう――それは、アリシアの死だ。
それでなくとも、永遠に美しいままの女など存在はしない。
いずれ現れるであろう若い娘達と、永遠に寵愛を競い合う事など不可能だ。
これでは、決して西側諸国が危機的状況を打開出来たとは言い切れず、アリシアが東の果てまで嫁いで来た意味が無い。
では新たな寵姫が現れるまでに禄蝉の信頼を得て、寵姫から一歩抜きん出た相談役のような立場を手に入れられればいいが、禄蝉の性格では何事も全て自分で決定してしまうだろう。
反対に良かれと思って意見をすれば、疎まれる可能性の方が高い。
そんな状況で、もしも皇国の民が苦しむような事があれば、アリシアは自分の性格上、決して見過ごすことは出来無いだろう。
禄蝉の不況を買う事が目に見えていても意見をしてしまうに決まっている。
どれほどの寵愛を受けていたとしても、良くて幽閉、悪ければ――白絹を賜る事になる。
禄蝉殿下側についたら、私の先には死しか見えないのよね……アリシアは、覗き込むように見上げてくる瑞蛉の黒い瞳を見つめながら考え事を続けていた。
それに、禄蝉が帝位に就くと言うことは、彩蝣と怜蜂だけでなく、この目の前で自分の身を心配してくれている幼い瑞蛉の死をも意味する。
心配そうな黒い瞳に映る自分の姿に、アリシアは今度はそっと瑞蛉の背を抱き締めた。
彼の小さな耳元へと薄い口唇を付ける。
――いずれその時が来るわ――
そう皇国語で囁き、離れる間際に『二人だけの秘密ね』とも付け加えることを忘れなかった。
瑞蛉は、離れていくアリシアをぼんやりと見上げていた。
口唇が触れたであろう左耳を手で押さえ、柔らかな感触だったことに漸く気付いたのか、途端に頬を真っ赤に染めた。
柳偉が再び注意をしようとした時、双子が背後の扉の方に同時に振り返った。
続いてメイヤー婦人とアリシアもそちらへ向くと、暫くしてから扉をノックする音が部屋に響いた。
「姫様、メイランです」
「お入りなさい」
アリシアの返事を待たずに即答したのは、マルグリットだ。
そろりと開いた扉から確かにメイランが顔を覗かせた。
「あの……第二皇子様が、そろそろお食事をと仰っていらっしゃいますが……」
メイランは、痛いほどの視線を一斉に受けながらも、本来の役目を忘れずに果たした。
「そうね。瑞蛉殿下もお目覚めだし、行きましょうか」
そう言ってアリシアは、瑞蛉の左手を取りメイランが大きく開いた扉から部屋を出た。
すぐ後ろを付いて来るメイランに、瑞蛉が問いかける。
『どこに行くの?』
『第二皇子様が、皆で夕食にしましょうとの事です』
『娘娘の国の料理?』
メイランの言葉に、嬉しそうにアリシアを見上げそう問いかけてくる瑞蛉に、思わずアリシアの表情も柔らかくなる。
「そうですね。流石にこちらのコックは、船内での調理には不慣れでしょうから……」
顓人を怜蜂の身代わりにするには、コックや身の回りの侍従なども置いてくる必要もあったが、何よりも船内の材料や調味料は西側のものしか積まれてはいないのだ。
皇国の料理人が乗船したところで、役には立たない。
それに、料理人よりも兵士を優先的に乗せたかったと言うのが二つ目の理由だ。
だが、そんな事など知りようも無い瑞蛉は、見たこともない料理を食べられると単純に喜んでいた。
「お口に合うといいのですが……」
瑞蛉は、アリシアの言葉を聞くと彼女の手を引っ張って走り始める。
『西側の料理食べるの初めて!娘娘、早く行こう!』
『早く、早く!』と急き立てる瑞蛉と彼に引っ張られる格好のアリシア、そしてその後に付いてメイランが駆け出すのをメイヤー夫人と双子達が見守っていると、柳偉が声を掛けてきた。
『あの小姐は何者ですか?』
『姫様のご婚礼が決まった二年前に、セントパルミア王が姫様に皇国語、皇国のマナーなどを教えてくれる家庭教師をお探しになりました』
『その噂を聞きつけた東側の商人が、皇国の没落貴族の娘という触れ込みでセントパルミアに連れて来たのが彼女――ツァオ・メイランよ』
『彼女は、姫様だけでなく私達の皇国語と皇国の教師でもあるわ』
メイヤー夫人だけでなく、イングリットとマルグリットも流暢な皇国語を披露してみせると、柳偉はほんの少し瞳を見開いた。
ただの侍女だと侮っていたのだろう双子達までもが、流暢に皇国語を操れるとは思っても見なかったようだ。
柳偉は、再び大きな袖に隠れた両手を目の高さまで持ち上げると、軽く頭を下げた。
『それでは、もう一度ご忠告申し上げる……』
そうして両腕を胸の高さまで下げると、反対に下げていた頭を上げ胸を張る。
三人を順に見つめた後、メイヤー夫人に視線を止めると、吐き捨てるように言い放った。
――お前たちの王女を、第五皇子様に近づけるな――




