皇都からの伝令
大蜃皇国では、子供は母方の姓を名乗るので、父親が同じ兄弟でも母親が違えば姓が違うのが普通だ。
これは、後宮のみならず妾を持つ市井の民でも同じである。
それ故に同母腹の兄弟姉妹の結束が強いため、皇国の後宮では皇子の妃達は、父帝の妃達の出身国とは別の地域の者が選出されるのが慣例とされていた。
特定の氏族に権力が集中し過ぎないように、そして血が濃くなり過ぎ無いように。
血族婚が進めば、子供が産まれなくなる。産まれたとしても身体が弱く、乳幼児の死亡率が高く、成人したとしても短命である事が多い。
次代の天帝の健康を理由に、特定の氏族からばかり皇后や妃嬪を選出しない。それは一部の氏族に権力が集中することも自然と排除出来るのだから、誰が考えたのかは知らないが良く出来たシステムだ。
『ようこそお出でくだされた。第一皇子、子 彩蝣は、皇都から離れられず挨拶はあちらで行いますが、伝言を。"天帝陛下とともに、皇都にて姫君にお会い出来ることを楽しみにお待ちしています"、とのことです』
アリシアは、ぼんやりと掛けられた声を聞きながら思い出していた。
第二皇子、年は今年で二十八歳。
黒髪に黒い瞳の多い皇国にしては、髪の色も目の色も色素が薄い。
皇国の西方域の氏族なので、西に広がる砂漠の民との交易で商隊などの往来もあるからだろうか。
体躯も皇国人にしては大柄な方で、どことなく西側の民に似ている節がある。
母親の酉昭儀は、西の兌県の庚州の姫の侍女として入宮したが、天帝に見染められ第二皇子を身篭った。
文武に秀で人望も厚く一番皇太子にと望まれていると聞くが、母親が身分の低い昭儀のため、太子位は望みが薄いとも。
『ここは私の一族が治める州ゆえ、しばらく逗留し旅の疲れを癒されるといい』
先ほどアリシアと太監との遣り取りを笑った第三王子だ。年は今年で二十二歳。
ここ南西の坤県、皇国の南南西を治める申州出身の申賢妃を母親に持つ彼は、他の皇子達よりも肌の色が黒く、髪は黒に近い焦げ茶だ。第二皇子よりは血筋は良いが人望に欠く。
武に秀でてはいるものの、短気な気質は政には不向きとか。
そして、最後は……。
『こっちだよ、車に乗って。今から申州城に向かうよ!』
いつの間にかアリシアの側に居た第五皇子に、するりと右手を握られ強く引かれた。
「えっ⁈」
驚いたアリシアに構う事なく、ぐいぐいと引っ張って急き立てる。
自分の肩に届くかどうかという身長しか無いが、流石に男児の力は侮れない。
第四皇子は、幼少の頃に病気で亡くなっているらしいので、皇国には現在皇子は四人。
彼がその末弟ということになる。
年は、今年で十歳。
第一皇子とは同母腹の兄弟で、母親は五年前に病死された皇国の北にある坎県子州出身の子皇后。
どの皇子も母親似なのか、違う顔立ちだがそれぞれに美しい。
だが、三人の皇子の中でとりわけ綺麗な顔立ちで、北域出身故だろう白い肌に真っ黒な髪と、黒曜石のように煌く黒い瞳でアリシアを見上げてくる。
血筋でいけば第一皇子と、この第五皇子が皇太子候補なのだろうが。
噂では、第一皇子は病弱で子供を持つ事が難しいとか。
では、末弟の第五皇子が皇太子に封じられるかというと、幼過ぎという問題がある。
第二皇子は、母親の身分が低く、第三皇子は政に疎い。
故に未だ皇国には、皇太子が空位のままなのだ。
皇国の宮廷では、頭の痛い問題なのだろう。
『瑞蛉、姫君はお疲れなのだよ』
『女人をそのように乱暴に扱うな』
『疲れているなら、早く州城で休んだ方がいいでしょう?』
「え?あの……ちょっと、待って……」
にっこりと可愛らしくて笑いながら優雅に長衣の裾を翻し、駆け出す皇子に戸惑うアリシアを他所に、誰もこの皇子の行動を止める者が居ない。
歳の離れた一番下の弟は、他の兄弟から随分と可愛がられ甘やかされているようだ。
兄皇子達ですら止めないものを、こちら側から非難するのは難しいのか、後ろを振り返っても公国側の人間も助けてすらくれない。
急に走り出したりすれば、軽い目眩が襲って来る。
その時だった、兵士達の後ろの方で騒めきが起こった。
『伝令!伝令!』
『怜蜂殿下!皇都より火急にございます!』
『道を開けよ!伝令!皇都より伝令!』
皇都からの使者は、馬から転げるようにして降りると兵士達を掻き分け、皇子達の前にぼろぼろな姿を現した。
何処から乗って来たのか、倒れた馬は口からは泡を吹いている。あれではもう助からないだろう。
同じように何頭もの馬を潰しながらここまで駆けてきたのだろう使者も、同じように虫の息のように見える。
『何事だ!騒々しいぞ!』
皇都からの伝令なのに、自分の名が呼ばれなかったことに憤慨しているのか、禄蝉が叫んだ。
『皇子殿下に拝謁を賜ります!』
両脇を兵士達に抱えられるようにしてやって来た男は、息も絶え絶えといった様子だった。
整列している兵士達とは違い、ごてごてと装飾の多い兵装に身を包んでいることで、動き難そうでもある。
濃い黄色のスカーフが、襟元に見えた。
天帝しか動かすことの出来ない禁軍の中でも近衛にのみ許された色だ。
皇子達だけでなく、居並ぶ兵士達にも緊張に空気が張り詰める。
『挨拶はいい、皇都で何があった?兄上の身に何かあったのか?』
『いいえ、彩蝣皇子より伝令でございます!三日前未明、天帝陛下御崩御!』
『父、上……が?』
『大兄の間違いではないのか!?』
怜蜂と禄蝉が再確認するほどに第一皇子の身体は弱いのだろう。
そして天帝崩御の知らせは、誰もが予想だにしていなかったものらしい。
『大兄?父上?』
『天帝陛下御崩御にございます!彩蝣殿下の命にて伝令が発せられました!』
混乱する皇子達に、再び伝令の内容が繰り返された。
アリシアの右手に絡んでいた瑞蛉の指に力が籠る。
天帝が亡くなった?
どういう事?
コルセットが苦しくて……呼吸がしにくい。
『娘々っ?!』
朦朧とする意識の片隅でアリシアは、瑞蛉の叫び声と侍女達の悲鳴を最後に意識が途切れた。