【一般市民 ⑺】
二〇三三年 一月 十四日 午後二十二時三十分(アメリカ時間)
メリーランド州ボルチモア市、キリングフィールド邸。
クレア・キリングフィールドは激昂していた。
「まだ見つからないの!? ほんっと役に立たないわねあのクソ軍人!!」
「落ち着きなさいクレア。クリスタ君だって必死に捜索しているのよ」
スマホを片手に苛立たしそうに腰まで伸びた長い金髪を振り乱しているクレアを嗜めたのはクレアの、そしてレドグリフの母親であるアデリア・キリングフィールドだった。
「お前だってクリスタ君がレドグリフのことをどんなに大切に想っているか、知っているだろう?」
「それはそうだけど……でも、パパ!!」
「落ち着きなさい──レドグリフなら大丈夫さ」
そう言って娘を宥めるのはレドグリフとよく似た壮年の男──父親、グリムハルト・キリングフィールドである。齢六十を超えてなお現役で船乗りを勤めている港の男だ。
「なんせようやく愛しいハニーを見つけたんだ──あいつも港の男の血を引いている。愛しいハニーをろくに可愛がりもしないうちに死ぬものか」
そんなことを言いながら母親であるアデリアの隣に座り、口付けを落とす父親の姿にクレアは肩を軽く竦めてため息を吐く。この両親ときたら、年がら年中新婚カップルのようにいちゃついているのだ。
──そしてクリスタから送られてきたレドグリフと戦の写真を思い出し、兄も同じように年がら年中いちゃつくタイプなのだろうなと考えてクレアは思わず苦笑を浮かべる。
「あの堅苦しい兄さんがああいう風にデレデレになるなんて思わなかったわ」
「そうね。レドグリフはほら、強すぎる子だったから……周りと馴染めなくて、いつでも一歩引いたところにいたんだけれど……イクサさんのような、レドグリフと対等に肩を並べることのできる人がいてくれてよかったわ」
アデリアの言葉にクレアはうん、と頷く。
神社戦──その存在を初めて知ったのはニュースだった。日本でヒトガタを屠り続けていた〝最強〟の一般人。
初めは、バカにしていた。
だって〝最強〟はレドグリフなのだ。レドグリフを差し置いて強い人間がいるなんてありえないとクレアは嘲っていた。けれどそれはニュースに流れた戦の戦う姿を見たことで飛散してしまった。
レドグリフは最強だ。
けれど戦もまた、最強であった。
──次に戦の姿を目にしたのは、家に来たテレビ局の人間から見せられたビデオレターだった。
家族へ贈るメッセージと称した、レドグリフの戦への口付け。
──あの時の衝撃はきっと一生忘れられないとクレアは鼻を鳴らす。
「兄さんは一体何を考えてあんなビデオレターを寄越してきたのかしら」
「あら? 決まっているでしょう? お嫁さんを連れて帰るってメッセージよ」
「うむ。可愛らしいお嫁さんを捕まえたんだ。自慢せずにはいられまい」
「…………」
いくら堅苦しく生真面目な兄でも、やはりこの両親の子だということか──そう思ったというのは言うまでもない。
『──見てください、あの空を。まるで空が斬り裂かれたかのよう……いいえ、実際斬り裂かれてしまったのでしょう。あのふたりの〝英雄〟によって!!』
テレビの中ではアナウンサーが中国の空を指差しながら興奮したように解説を続けている。
国際宇宙ステーション墜落計画──レドグリフと戦を犠牲にして特殊個体デウスを滅するために行われたはずであったそれは、レドグリフと戦がデウスにトドメを刺すための前段階でしかなかったのだ。
少なくともクレアはそう考えていた。レドグリフならばやりかねないと。
〝四体目には勝てない〟──その言葉は間違いないだろう。嘘を吐くような男ではない。その上でレドグリフは〝ならばどうすれば勝てるか〟考え──それに、人類を利用したのだ。堅苦しく生真面目で、そして狡猾──それがクレアの兄だ。
レドグリフと戦の力をもってしても特殊個体デウスの肉体をこそげ落とすことは叶わない。ならば、とレドグリフは国際宇宙ステーションの墜落に伴って発生する膨大なエネルギーでデウスの肉体を削りに削り、こそげ落として──〝核〟を曝け出させることを考えた。そして、実行した。
人類にとっては国際宇宙ステーションこそが最後の攻撃であっただろうが、レドグリフにとってはただの前哨でしかなかった。本人に確認しなければ分からぬことではあるが、クレアは間違いないと確信している。
「……兄さんも兄さんだけど、そんな兄さんについていくイクサさんも大概ね」
「レドグリフがあんなに気に入るんだもの──きっと素敵な子よ。早く会いたいわねえ」
アデリアはそう言ってグリムハルトを見上げて微笑み、グリムハルトもそれに同意して笑い返す。
ふたりともレドグリフと戦が未だ生きていると信じてやまない。──それはクレアも同様であったが。
一時は国際宇宙ステーション墜落計画におけるふたりの〝英雄〟の犠牲について嘆き悲しみ、咽び泣いた。そしてふたりの覚悟を汲み取り自分たちも腹を括り、ふたりの最期を見届けるべくテレビと向き合っていた──だが結果としてふたりは墜落の衝撃から生き残ったばかりかデウスにトドメを刺してみせてしまった。
その際に起きた衝撃波と摩擦電流による大爆発でふたりの姿は見えなくなってしまったが──ここまできたらもう、生きている以外に選択肢なんてあるわけがない。
──その時であった。
クレアが握り締めていたスマホが、震える。
「っ!! クリスタ!?」
即座に通話ボタンを押してマイクに向けて怒鳴り込んだクレアの耳に返ってきたのは──クレアが心の底から待ち望んでいた、言葉であった。
『見つかったぞ!! レドグリフもイクサも──ふたりとも生きている!!』
その瞬間のクレアの気持ちを言葉にするのは、どんなに名を馳せた文豪であっても不可能であろう。
クレアの腰が砕け、がくんとその体が床に崩れ落ちるのをグリムハルトが支える。ソファではアデリアが口を両手で覆ってまなじりに大粒の涙を浮かべ、声にならぬ悲鳴を上げている。
『大丈夫か? ふたりとも死にかけてはいるが──どうせ死にやしねぇ。とことん化物だぜこいつら。ありえねー』
クレアたちの様子は見えないだろうに、クレアたちが今どうなっているか察したのだろう──クリスタは微かに笑いながら続けてそんなことを言ってきた。
──笑ってはいるが、クリスタの声も震えている。いつもちゃらけている軽薄な男だが、レドグリフのことを心の底から大切に想っているのだ。歓喜に震えないはずがない。
『じゃあな。レドグリフとイクサをすぐ病院に運ばなきゃなんねぇ。しばらく時間はかかるだろうが──結婚式を挙げる準備でもしておくんだな』
そんな言葉を締めにして、クリスタとの通話は切れてしまった。
ニュースでは相変わらず中国の現状について実況されるばかりでふたりの〝英雄〟の無事の知らせが流れてくる様子はない。まだ、情報が届いていないのだろう。
「ああ……ああ、神様──神様、ありがとうございます……!!」
「だから言っただろう? なんせ俺たちの息子とその嫁だ──これしきで死ぬわけねぇ」
「……パパ、鼻水出てる」
この中で一番顔をぐしゃぐしゃにしている父親の姿にくすりと笑いながらクレアは零れ落ちた涙を拭い、すくっと立ち上がる。
「ママ、パパ!! クリスタからの話聞いていたでしょ? 兄さんとイクサさんを迎える用意しなくっちゃ!!」
「ええ……ええ、そうね。そうね……レドグリフはそういうことに関心がないからきっとイクサさんを飾り立てるだけで満足するわ」
「……確かに」
「それに我らが〝英雄〟だ──盛大にやらねば世界も納得せんだろう。今から準備せねばな!!」
ぐっと親指を突き立て、白い歯を見せながら笑うグリムハルトにクレアは頷き、早速とばかりにスマホを弄って式場のプランを検索する。
「ねえ、確かイクサさんって日本の神社のお子さんよね? じゃあ日本でもなんだったかしら、神前式──というのをやらないといけないわね」
「そうね。私たちだけで勝手に決めちゃダメね。イクサさんの家族ともコンタクト取らなくっちゃ。後でクリスタに聞いておくわ」
「ええ。お願いね──イクサさんのご家族だもの。きっと仲良くなれるわ」
すっかりレドグリフと戦が結婚した気でいる母親の姿にクレアは笑い、改めてレドグリフが無事であったことに安堵の息を漏らす。
「さすが私の兄さん」
〝英雄〟だからではない。
レドグリフが勝利し、生を掴み取ったのはひとえにレドグリフがレドグリフであるからこそだ。クレアが生まれた時からずっと見てきた──人類最強で、人類最高の兄。
さすが私の兄さん、とまた口にしてクレアは満面の笑顔を浮かべた。