【国際連合職員 ⑷】
二〇三三年 一月 十四日 午後十六時二分(アメリカ時間)
ニューヨーク市マンハッタン区、国際連合本部ビル内。
「目標地点座標、緯度40.142128軽度94.661966──変更なし」
「落下予定時刻にも変更なし」
NASAからの報告を伝達してくる職員たちに大統領は頷く。その隣では事務総長が硬い表情でモニターを見守っている。
アメリカからだと空に変わりはないが、モニターの向こう──中国では既にはるかな上空に不穏な物体が映っている。
「半径二百キロ区域の避難も完了。半径五百キロ区域も衝撃波や地震の被害に備え、警報発令中」
国際宇宙ステーションは二〇三〇年に行われた最先端研究棟の統合によりさらなる発展を遂げて約百五十六メートル×約九十八メートル、総重量約六百トンに及んでいる。
だがその人類の叡智の結晶も、今やただの鉄の塊として──いや。
人類最後の希望として、敦煌市に蠢く人類の敵を滅すべく──急降下し続けている。
この国際宇宙ステーションが墜落することによって敦煌市はまず間違いなく消滅することとなる。衝撃波によって半径五十キロ区域は軒並み破壊され尽くすことになるだろうし──マグニチュード八相当の地震も発生し、半径千キロ区域をはるかに超える地域で影響があることも想定されている。
決して認められてはならないことであるが──敦煌市で良かった、と事務総長は考えずにはいられなかった。中国西部の、荒廃した砂漠地帯が広がる地域──大都市も数えるほどしかなく、欧米などの密集区に墜落するのと比べると受ける経済的被害が圧倒的に少ないのだ。
「……いかんな。非人道的だ」
「……誰でも考えることだ。ましてや私たちのような立場であればな──絶対口にはするなよ」
「当然です」
事務総長の考えたことを察したのか、大統領がそう言ってきて事務総長は恭しく頷く。
「では大統領、予定通り……」
「分かった」
事務総長の促しに大統領は一度モニターを見上げ、もはや声にならぬ雄叫びを上げるだけの、意識が残っているのかどうかさえ定かではないふたりの〝死に物狂いの英雄〟を眺めて、けれどすぐ視線を戻して歩き出した。
それに倣って事務総長も数人のSPを呼び寄せて大統領に付き従う。
そうしてふたりが向かった先は──ジャーナリストのために開放された、一階ラウンジであった。
ジャーナリストたちによって設置された百を超えるモニターが三方の壁を覆っていて、世界各地のニュース映像は勿論のこと──軍による超小型ドローンの空撮中継も流れている。ジャーナリストの中には各国軍から派遣されてきた軍属ジャーナリストもいる──おそらくは米軍とコンタクトを取って中継の許可を取ったのだろう、と考えて事務総長は視線を玄関の方に向ける。
国連本部ビルの外では相変わらず、民衆によるデモ活動が行われていた。国際宇宙ステーションを堕とすことを公表してからずっとである。
デモ内容? 言うまでもない──〝英雄〟を殺すな、だ。
「……人の気も知らずに、な」
隣で大統領がぽつりと囁く。その沈んだ声色に事務総長は痛ましそうに眉を顰めた。軍部の人間以外で、レドグリフという男を誰よりも早く──誰よりも評価していたのがポーカー大統領なのだ。レドグリフをパーティーに誘ったものの遠慮され、けれど諦めきれずクリスタを召喚して強引に連れて来させたなんていうエピソードもある。
──そう、ポーカー大統領はレドグリフのファン第一号とも言うべき男だったのだ。それがレドグリフを犠牲にする方法を選ぶにあたって何も感じないなど──有り得ないというのに。
「……さて」
だが感傷に浸る暇もなく、大統領はジャーナリストたちの前に出て顔を上げる。職員たちがマイクを用意するのを待ち、大統領は口を開いた。
「──アメリカ合衆国大統領、マック・ポーカーである」
その声はカメラやマイクを通して──世界中に配信される。
国際宇宙ステーション墜落計画にあたっての、大統領からの声明である。
「ヒトガタ襲撃事件が発生して一週間──我々人類はあまりにも多くの宝を失ってしまった。そして今日、またいくつか失うことになる。ひとつは敦煌市という美しいオアシス都市──ひとつは国際宇宙ステーションという人類の叡智の結晶」
そして、と大統領は目を伏せる。
「──ふたりの〝英雄〟、それらを失うことになるだろう」
本部ビルの外に集まっている民衆からの罵倒が一層激しくなり、押し留めている軍がほんの少しだけ圧される。けれどそんな民衆を見てなお、大統領は落ち着いた面持ちで言葉を続ける。
「〝四体目には勝てない〟──レドグリフにそう言われた時、私は世界の終わりを感じた。だがレドグリフは諦めてなどいなかった」
──三日。三日後に私たちが復活した後、四体目の元へ行く。そして三日、時間を稼ぐ。
──四体目をその場から一切動かさぬ。動けぬよう、足止めする。
──だから国際宇宙ステーションを四体目に、堕とせ。
「そしてその言葉通り、レドグリフとイクサは見事──三日もの間飲まず食わずで、休む暇さえなく死に物狂いで戦い続け──デウスを足止めしてみせた」
銃など無意味。戦車もハリボテ。
ミサイルも効かぬ。水爆は先んじて破壊される。
そんな化物に対して、レドグリフと戦は約束通り三日間、一歩も敦煌市から動かさなかった。
「──〝英雄〟と呼ぶ以外に何の呼びようがある? ないだろう。あるわけがない。あのふたりはまさに──救世の〝英雄〟だ!!」
だからこそ!!
と、そこで言葉を切って大統領は大きく息を吸う。
「──〝英雄〟が死に物狂いで作り上げたチャンスを無為にするわけにはいかん!!」
〝英雄〟の意志。
〝英雄〟の覚悟。
〝英雄〟の信念。
〝英雄〟の──想い。
それらを受け継いで我々は、世界を救う。
「そして我々は新たなる脅威に備え、未来に臨んでいかなければならない」
地球外種子〝ネメス〟──その存在と脅威が判明した以上、これからの時代は宇宙からの脅威について真剣に考えなければならない。
〝ネメス〟自体、まだどこかに残っている可能性もあるのだ──今こそ人類が手を取り合って対策していかなければならないのである。
今度は、何処にも〝英雄〟はいないのだから。
『連絡!! 高度三万フィートに到達!!』
「──我々を罵るのは結構。私とて、自分の無力を詰る日々だ。だが今は」
〝英雄〟の覚悟を見届けよう。
そう言って大統領はモニターに向き直り、まっすぐ画面の向こうで死闘を繰り広げているふたりの〝英雄〟を眺めながら手に胸を当てる。
それに倣って国連の職員たちも手に胸を置き、護衛のために配備されているアメリカ軍の兵士たちも敬礼をモニターに向ける。
この時ばかりはデモ活動を行っていた民衆たちも罵倒の声を収め、両手を組んで祈るように額に押し付けた。
『──ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
『──あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!』
堕ちるるその瞬間まで、モニターの向こうにいる〝英雄〟は戦うことを止めなかった。